☆誰も誘えなかったので、久し振りに一人で映画を観に行った。
閉店間際の昭島の<エスパ>で、値引きしていた海鮮丼を購入し、開演間近の<MOVIX昭島>になだれ込む。
本当は、館内で買った飲食物しか飲み食いしてはいけないのだが、予告の間に内緒で食った^^
・・・ここで、ちょっと余談を語りたい。
『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』だが、いい<邦題>を考えたので、皆さんに報告しておきたい。
『紀元後1千年(吹き替え版)1,000 A.C.』
なんて、いかがだろうか?^^;
# # # #
さて、『ハンティング・パーティ』である。
私は、非常に楽しんだ。
これは、社会派作品的な宣伝のされ方・批評のされ方をしているが、そんなことはなかろう、純娯楽作品だ。
背景こそ、ボス二アの民族紛争の「今」を描いているが、
私は、マーチン・ブレスト監督の一連の作品、ロード・バディ(友情)ムービー的な「粋な小気味よさ」を感じた。
タイトルクレジットや、音楽のセンス、編集にも、そんなスタイリッシュな作りが見えた。
そもそも、この地域の内紛は、どちらが正しくどちらが悪いなどと括れない複雑さをもっている。
その中で、どちらかの主張に肩入れするには、何らかの個人的な利害関係(と言うと、お金に思われようが、そうではなく、民族であったり、愛情であったりと、精神的なものも含む)しか理由はあり得ない。
海外のジャーナリストとして現地入りしていた主人公たちは、大枠としては、「戦争を食い物にする三流ジャーナリスト」なのである。
女を買い、酒をやり、他人の不幸をリポートして、食い扶持としているのである。
ほめられるのは、危険を恐れない蛮勇だけだ。
だから、そのバカ者どもが、何らかの思想をもって動くには、利害関係(つまり、個人的な問題。具体的な経験)しかないのである。
作品全体に社会性を求めるのはいいのだが、この主人公たちに社会性を求めるのは間違いである。
主人公たちは、フォックスと言う戦場における重犯罪者への個人的な思惑で動く。
それが、世界的には社会的な意味合いを持っているに過ぎない。
別に、戦争の悲惨さを訴えているわけではない。
主人公サイモンは、自分が受けた具体的な苦痛を晴らそうとしているだけだ。
それで良い。
◇ ◇
バルカン半島と言う、民族の坩堝地帯を、実によく活写していた作品だと思う。
町のいたるところに、文字通りの「蜂の巣のような弾痕」の壁がある。
そこでは、虐殺が行われ、女は殺される前に犯された。
そこには、臆面もなく、多くの人々が生活をしている。
田舎に入れば、善良であるべき農村のカフェの主人が追ってきて、いきなり銃を発砲してくる。
飲み屋の常連たちは、ふいにナタを構えたりする。
私は、ゲーム『バイオ・ハザード4』を思い出したよ^^;
◇ ◇
主演の三人は、いずれも、非常に魅力的な人物造詣であった。
落ちぶれたが、いまだヴァイタリティあふれるレポーター・サイモン。
サイモンの使いっ走りのようなカメラマンだったが、堅実な仕事で大成しているダック。
親のコネでテレビ局に入社してきた、ハーバード大卒の今風の若者・ベン。
それらは、三食パンのそれぞれの味のように異なる生き方の人物たちなのだが、それぞれが異なる欲望をもって、戦争犯罪人フォックス捕捉のための、粋な道中を形成していく。
中でも、サイモン役のリチャード・ギアが良かった。
私は、今まで、リチャード・ギアに魅力を感じたことなどこれっぱかしもなかった。
しかし、今回の、枯れていて、それでいての、フットワークの軽さに魅了された。
「うわ~! カッコいいなあ」と、ずーっと思いながら見ていた。
◇ ◇
二十年ほど前の洋画は、このような細部にお金をかけた、シナリオ重視の、粋な作品が多くあったものだがなあ・・・^^;
ちなみに、この『ハンティング・パーティ』の邦題は、
『隠し砦へ三悪人』
で、よろしかろう^^;
(2008/05/17)
閉店間際の昭島の<エスパ>で、値引きしていた海鮮丼を購入し、開演間近の<MOVIX昭島>になだれ込む。
本当は、館内で買った飲食物しか飲み食いしてはいけないのだが、予告の間に内緒で食った^^
・・・ここで、ちょっと余談を語りたい。
『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』だが、いい<邦題>を考えたので、皆さんに報告しておきたい。
『紀元後1千年(吹き替え版)1,000 A.C.』
なんて、いかがだろうか?^^;
# # # #
さて、『ハンティング・パーティ』である。
私は、非常に楽しんだ。
これは、社会派作品的な宣伝のされ方・批評のされ方をしているが、そんなことはなかろう、純娯楽作品だ。
背景こそ、ボス二アの民族紛争の「今」を描いているが、
私は、マーチン・ブレスト監督の一連の作品、ロード・バディ(友情)ムービー的な「粋な小気味よさ」を感じた。
タイトルクレジットや、音楽のセンス、編集にも、そんなスタイリッシュな作りが見えた。
そもそも、この地域の内紛は、どちらが正しくどちらが悪いなどと括れない複雑さをもっている。
その中で、どちらかの主張に肩入れするには、何らかの個人的な利害関係(と言うと、お金に思われようが、そうではなく、民族であったり、愛情であったりと、精神的なものも含む)しか理由はあり得ない。
海外のジャーナリストとして現地入りしていた主人公たちは、大枠としては、「戦争を食い物にする三流ジャーナリスト」なのである。
女を買い、酒をやり、他人の不幸をリポートして、食い扶持としているのである。
ほめられるのは、危険を恐れない蛮勇だけだ。
だから、そのバカ者どもが、何らかの思想をもって動くには、利害関係(つまり、個人的な問題。具体的な経験)しかないのである。
作品全体に社会性を求めるのはいいのだが、この主人公たちに社会性を求めるのは間違いである。
主人公たちは、フォックスと言う戦場における重犯罪者への個人的な思惑で動く。
それが、世界的には社会的な意味合いを持っているに過ぎない。
別に、戦争の悲惨さを訴えているわけではない。
主人公サイモンは、自分が受けた具体的な苦痛を晴らそうとしているだけだ。
それで良い。
◇ ◇
バルカン半島と言う、民族の坩堝地帯を、実によく活写していた作品だと思う。
町のいたるところに、文字通りの「蜂の巣のような弾痕」の壁がある。
そこでは、虐殺が行われ、女は殺される前に犯された。
そこには、臆面もなく、多くの人々が生活をしている。
田舎に入れば、善良であるべき農村のカフェの主人が追ってきて、いきなり銃を発砲してくる。
飲み屋の常連たちは、ふいにナタを構えたりする。
私は、ゲーム『バイオ・ハザード4』を思い出したよ^^;
◇ ◇
主演の三人は、いずれも、非常に魅力的な人物造詣であった。
落ちぶれたが、いまだヴァイタリティあふれるレポーター・サイモン。
サイモンの使いっ走りのようなカメラマンだったが、堅実な仕事で大成しているダック。
親のコネでテレビ局に入社してきた、ハーバード大卒の今風の若者・ベン。
それらは、三食パンのそれぞれの味のように異なる生き方の人物たちなのだが、それぞれが異なる欲望をもって、戦争犯罪人フォックス捕捉のための、粋な道中を形成していく。
中でも、サイモン役のリチャード・ギアが良かった。
私は、今まで、リチャード・ギアに魅力を感じたことなどこれっぱかしもなかった。
しかし、今回の、枯れていて、それでいての、フットワークの軽さに魅了された。
「うわ~! カッコいいなあ」と、ずーっと思いながら見ていた。
◇ ◇
二十年ほど前の洋画は、このような細部にお金をかけた、シナリオ重視の、粋な作品が多くあったものだがなあ・・・^^;
ちなみに、この『ハンティング・パーティ』の邦題は、
『隠し砦へ三悪人』
で、よろしかろう^^;
(2008/05/17)
邦題の件は…うまいっ!ざぶとん一枚!
シネ吉さんはお幾つでしょうか?
私の年代は、いよいよ「ランボー」の新作が見られるので楽しみで楽しみで^^v