☆東京は三日ほど雨が降り続いており、なんか映画『セブン』の舞台のようだった。
私は、MOVIXのポイントが貯まったので、本日は誘う人もなかったのだが、一人で、映画『僕の彼女はサイボーグ』を観に行った。
これは、見る前の印象では、確実にデートムービーであった。
その公開初日の第一回目の上映に、単身で乗り込める私と言う男は、なんて男気があるのだろう。
# # # #
・・・私は、韓国人が嫌いである。
しかし、この作品はその韓国人監督の良さが見事に開花していた。
・・・この作品が、その韓国人監督から見た「萌え」要素を狙ったということも分かる。
その罠にははまるまい、と思って鑑賞した。
しかし、それ以上に、巧みな演出が冴えていた。
◇ ◇
私は、この作品を甘く見ていた。
これは、もしかして、これからのアイドル映画のスタンダードになるのじゃないか?
うん、「伊豆の踊り子」や「時をかける少女」みたいにさ。
時代時代のアイドルが、このサイボーグヒロインを演じるのである。
◇ ◇
サイボーグの、感情を持たないヒロインが、主人公と交際を続けていき、一時間ほどまでの上映時間を、予定調和の二人の心が通い合う時間に費やし、残りの三十分強を大事件の時間とし、ハッピーエンドが待っている・・・、そんな展開を予想していた。
私は、そもそも、綾瀬はるかは好みじゃなくて、なんか「のっぺり」した顔だなあ、などと思っていた。
だけど、予告編で見たら、その「のっぺり」具合がサイボーグという設定にマッチしている気がして、ちょっと魅力的だったので、見る気持ちが湧いた程度だ。
だから、物語序盤の未知の美女として展開するヒロインには、ダレ場を感じさせられるだろうと思っていた。
だけど、そこには、あらゆる演出テクニックで、ヒロインを魅力的に見せようとするアイディアが溢れていて、私を圧倒した。
物語上の工夫で、ヒロインはけして感情を持たない訳ではなく、笑うし、泣くし、怒る。
均整の取れたプロポーションは、モデル歩きが映える。
肩幅の広さが、実にサイボーグチックだ^^
多くの衣装に身を包み、そのいずれのファッションもさまになっている。
屈託なく、よく食べ、よく飲み、そして、逃げる^^
更には、殴る^^;
紹介としてのヒロインの魅力ではなく、物語全編、綾瀬はるかの多角的な魅力に満ちていた。
これは、ファンにはたまるまい^^;
◇ ◇
サイボーグの彼女は、未来からやってきた。
彼女は、一年前と現在、二度、主人公のもとを訪れる。
ここに見事なからくりがあった。
時間テーマの作品では、筒井康隆の「時をかける少女」や「ドラえもん」の一連のタイムマシンを絡めた短篇に連想がいく。
その両者のエッセンスをうまく抽出した物語展開だが、私がもっとも、似た雰囲気を感じたのは、筒井康隆の短篇「時の女神」だった。
淡々と心を打つ時間テーマの作品だった。
「僕の彼女はサイボーグ」にも、なんとも、儒教思想を持つ韓国人特有の、いい意味での「家族愛」「郷土愛」が描かれていて、私はしみじみと感動した。
この「郷土愛」のシーンなど、明らかに、物語展開上、不要なシークエンスでもある。
しかし、そこには、大林宣彦監督が尾道に込めたような想いが描かれるのである。
主人公の男の子(小出恵介)も、現代の日本人の男にはいない大林チックな優しさを示していた。
ちなみに、「ガバイばあちゃん(吉行和子)」も出てましたよ^^
「ガバイばあちゃん」だけでなく、「チョーク投げ講師」として竹中直人も登場している。
◇ ◇
日本映画の監督として招聘されたクァク・ジェヨン監督は、韓国人としての現代日本観を余さずに描こうと努力しているし、それを消化しきっていた。
あくまでも、韓国人から見た日本観なので、その風景は、主人公のリアクションを含めてズレてもいるが、それが良かった。
サイボーグの彼女は、突飛な行動を多々する。
それは、周囲から見たら、日本では「バカップル」を見てしまったかのような恥ずかしさを覚える。
だが、その「二人だけの盛り上がり」を映画鑑賞者のこちらに認知させ巻き込んだとき、その物語は、異常な盛り上がりを見せるのだ。
サイボーグの彼女が、レストランで「♪ハッピー・バースディ・トゥーユー」を歌うとき、明らかに恥ずかしいのである。
でも、それは「二人だけの盛り上がり」の中では「可愛い!」のである^^;
そこまで、私の気持ちを引きつけた、この監督は非凡である。
◇ ◇
大事件が起こり、サイボーグの彼女は大破する。
その姿はショッキングである。
あたかも、映画『セブン』のラストか、筒井康隆『ロートレック荘事件』の犯人かっちゅうぐらいだ^^;
以前、韓国産のギャルゲームで、女の子の生首を鉢植えで育成するゲームがあり、日本人おたくにはそっぽを向かれていたが、韓国人にとっては、大破したサイボーグ彼女を含め、それは「あり!」なのだろうか?
◇ ◇
それから、物語のエピローグだ。
ここにおいて、見事な「大どんでん返し」が行われる。
確かに、その直前までの展開には、サイボーグ彼女の情動を考えると、やや矛盾があったのである。
だが、最後のエピソードで、また違う、少なくとも私には理解できない「常識」が示される。
あまり詳細に書くと、酷いネタバレになってしまうので、書かないが、ちょっと捻って書くが、
自分が愛したサイボーグの彼女を失い、また違う、外見とメモリーだけ同じサイボーグが現われて、それと結ばれたからといって、それはハッピーエンドとして、本当に納得できるのか?
と言う問題だ。
私ならば、同じ経験をし、死んでいった「彼女」こそが、本当に愛せる(した)「彼女」だと思うのだ。
クローンは、「彼女」であって「彼女」ではないのである。
PS.綾瀬さんの「うおおおおっ!」と叫ぶ声が良かったです。
(2008/05/31)
私は、MOVIXのポイントが貯まったので、本日は誘う人もなかったのだが、一人で、映画『僕の彼女はサイボーグ』を観に行った。
これは、見る前の印象では、確実にデートムービーであった。
その公開初日の第一回目の上映に、単身で乗り込める私と言う男は、なんて男気があるのだろう。
# # # #
・・・私は、韓国人が嫌いである。
しかし、この作品はその韓国人監督の良さが見事に開花していた。
・・・この作品が、その韓国人監督から見た「萌え」要素を狙ったということも分かる。
その罠にははまるまい、と思って鑑賞した。
しかし、それ以上に、巧みな演出が冴えていた。
◇ ◇
私は、この作品を甘く見ていた。
これは、もしかして、これからのアイドル映画のスタンダードになるのじゃないか?
うん、「伊豆の踊り子」や「時をかける少女」みたいにさ。
時代時代のアイドルが、このサイボーグヒロインを演じるのである。
◇ ◇
サイボーグの、感情を持たないヒロインが、主人公と交際を続けていき、一時間ほどまでの上映時間を、予定調和の二人の心が通い合う時間に費やし、残りの三十分強を大事件の時間とし、ハッピーエンドが待っている・・・、そんな展開を予想していた。
私は、そもそも、綾瀬はるかは好みじゃなくて、なんか「のっぺり」した顔だなあ、などと思っていた。
だけど、予告編で見たら、その「のっぺり」具合がサイボーグという設定にマッチしている気がして、ちょっと魅力的だったので、見る気持ちが湧いた程度だ。
だから、物語序盤の未知の美女として展開するヒロインには、ダレ場を感じさせられるだろうと思っていた。
だけど、そこには、あらゆる演出テクニックで、ヒロインを魅力的に見せようとするアイディアが溢れていて、私を圧倒した。
物語上の工夫で、ヒロインはけして感情を持たない訳ではなく、笑うし、泣くし、怒る。
均整の取れたプロポーションは、モデル歩きが映える。
肩幅の広さが、実にサイボーグチックだ^^
多くの衣装に身を包み、そのいずれのファッションもさまになっている。
屈託なく、よく食べ、よく飲み、そして、逃げる^^
更には、殴る^^;
紹介としてのヒロインの魅力ではなく、物語全編、綾瀬はるかの多角的な魅力に満ちていた。
これは、ファンにはたまるまい^^;
◇ ◇
サイボーグの彼女は、未来からやってきた。
彼女は、一年前と現在、二度、主人公のもとを訪れる。
ここに見事なからくりがあった。
時間テーマの作品では、筒井康隆の「時をかける少女」や「ドラえもん」の一連のタイムマシンを絡めた短篇に連想がいく。
その両者のエッセンスをうまく抽出した物語展開だが、私がもっとも、似た雰囲気を感じたのは、筒井康隆の短篇「時の女神」だった。
淡々と心を打つ時間テーマの作品だった。
「僕の彼女はサイボーグ」にも、なんとも、儒教思想を持つ韓国人特有の、いい意味での「家族愛」「郷土愛」が描かれていて、私はしみじみと感動した。
この「郷土愛」のシーンなど、明らかに、物語展開上、不要なシークエンスでもある。
しかし、そこには、大林宣彦監督が尾道に込めたような想いが描かれるのである。
主人公の男の子(小出恵介)も、現代の日本人の男にはいない大林チックな優しさを示していた。
ちなみに、「ガバイばあちゃん(吉行和子)」も出てましたよ^^
「ガバイばあちゃん」だけでなく、「チョーク投げ講師」として竹中直人も登場している。
◇ ◇
日本映画の監督として招聘されたクァク・ジェヨン監督は、韓国人としての現代日本観を余さずに描こうと努力しているし、それを消化しきっていた。
あくまでも、韓国人から見た日本観なので、その風景は、主人公のリアクションを含めてズレてもいるが、それが良かった。
サイボーグの彼女は、突飛な行動を多々する。
それは、周囲から見たら、日本では「バカップル」を見てしまったかのような恥ずかしさを覚える。
だが、その「二人だけの盛り上がり」を映画鑑賞者のこちらに認知させ巻き込んだとき、その物語は、異常な盛り上がりを見せるのだ。
サイボーグの彼女が、レストランで「♪ハッピー・バースディ・トゥーユー」を歌うとき、明らかに恥ずかしいのである。
でも、それは「二人だけの盛り上がり」の中では「可愛い!」のである^^;
そこまで、私の気持ちを引きつけた、この監督は非凡である。
◇ ◇
大事件が起こり、サイボーグの彼女は大破する。
その姿はショッキングである。
あたかも、映画『セブン』のラストか、筒井康隆『ロートレック荘事件』の犯人かっちゅうぐらいだ^^;
以前、韓国産のギャルゲームで、女の子の生首を鉢植えで育成するゲームがあり、日本人おたくにはそっぽを向かれていたが、韓国人にとっては、大破したサイボーグ彼女を含め、それは「あり!」なのだろうか?
◇ ◇
それから、物語のエピローグだ。
ここにおいて、見事な「大どんでん返し」が行われる。
確かに、その直前までの展開には、サイボーグ彼女の情動を考えると、やや矛盾があったのである。
だが、最後のエピソードで、また違う、少なくとも私には理解できない「常識」が示される。
あまり詳細に書くと、酷いネタバレになってしまうので、書かないが、ちょっと捻って書くが、
自分が愛したサイボーグの彼女を失い、また違う、外見とメモリーだけ同じサイボーグが現われて、それと結ばれたからといって、それはハッピーエンドとして、本当に納得できるのか?
と言う問題だ。
私ならば、同じ経験をし、死んでいった「彼女」こそが、本当に愛せる(した)「彼女」だと思うのだ。
クローンは、「彼女」であって「彼女」ではないのである。
PS.綾瀬さんの「うおおおおっ!」と叫ぶ声が良かったです。
(2008/05/31)
というのは、アクションがとても見応えがあったことと、綾瀬はるかが抜群に可愛くて魅力的でしたね!
ジローが愛する”彼女”のサイボーグを作って、過去へと送り込み、自分の人生を良い方向へと軌道修正していく、この映画はそんなオタクな夢を叶える一人の男性の夢物語でもあったような気がします。
私も大好きですよ!
ブロガーが集まって、ことごとく、この作品を批判し出したら、私は、こめかみに血管を浮かべて肯定しましょう^^
おそらく、綾瀬はるかは、私の今年の主演女優賞です!
これからも4649!