☆はい、観てきました。
私は、宮崎駿よりも手塚治虫が好きな男で、手塚マンガも、何百冊持っているか分からない。
そんな私だが、アトムにはそれ程に思い入れがない。
オリジナルのテレビ初期の爆発的なブームの後に、私は生まれたからだと思う。
だから、二週間ほど前、<MOVIX・昭島>のロビーで座っていた時に、通りすがりの老若男女が三組ほど、私の後ろの『ATOM』ポスターを見て、「これはアトムじゃない」と呟いて行っても、私自身はそれ程には気になっていなかった。
その三組だが、見事に世代が違っていて、二度リメイクされたテレビ版に、それぞれ影響された三世代であった。
◇
ハリウッド製の、香港のクリエイターが作った「アトム」であるが、絵が手塚調でないことを除けば(それが致命的と思う人もいるだろうが)、ちょっと画面作りが希薄に思えることもあるが、CGもうまく、作品としての完成度も高い。
冒頭の、舞台となる「メトロシティ」の生い立ちを語るにあたっての、手描き調のアニメや、
アトム誕生時のたどたどしい歩き方(ピノコ誕生時みたい)、
乱闘シーンの、手塚治虫が1コマで表現するかのような、大きく弧を描く敵のやっつけ方など、
手塚マンガをよく研究している気配もあった。
ただ、惜しむらくは、物語がつまらないのである・・・。
◇
その「つまらなさ」の原因は、どこから来ているかと言うと、
アニメ技術的な現代性があり、されど、アニメ作劇上の現代性のなさに起因する。
今、原作の『鉄腕アトム』を読んでもあまり面白くない。
映画版は、その、原作のケレンのなさに準じているからだ。
浦沢直樹の『PLUTO』程にアレンジしろとは言わないけど、このハリウッド版は、律儀に、原作からの物語的な冒険をほとんどしていないのである。
原作そのままの道徳的雰囲気に忠実なのである。
これでは、現代の客には受けまい。
現在は、戦うにあたっては「熱血」の時代である。
「ロマン」派の手塚の、戦いは物語のツマ程度に考える志向を、そのまま移殖してしまっても、客は燃えない。
多くのファンは、<ピース・キーパー>と戦うアトムに血の通った姿を求めるし、
落下する<メトロシティ>を下から支えるアトムに、「うおおおーっ!」と言う叫びを期待しているのである。
クラシックな物語をきっちりと語るだけでは、アトムを現代に蘇らせる意味はない。
日本におけるアニメ版の二度のリメイクでは、その当時の作劇傾向や、更にその時代の先に進めようという意志が感じられたものだが・・・。
ただ、ずーっとつまらない思いで観ていたのだが、和解した父親・天馬博士の「逃げよう」の優しさを振り切り、自分の使命とばかりに、<ピース・キーパー>との戦いに赴くアトムの姿にはグッときた。
ここで、作品テーマが明確になったからだ。
このシーンがなければ、この作品はつまらないままだった。
◇
それから、アトムであるが、非常に可愛かった。
元々が手塚治虫の絵は、セクシュアルなイメージを持っている。
確か、泉麻人など、子供の頃、アトムで夢精したとか言っていた。
今回のアニメCGは、アトムの表情が非常に豊かだった。
端整に描かれたアトムの顔が、不愉快なことに眉を吊り上げたり、歯をむき出したりと、表情をあらわにするシーンが多いのだが、
それが、ロリコン漫画で、主人公の少女がエロいことをされるシーンの表情に似ているのである。
で、アトムの身体の、二の腕などの肉感も見事で、柔らかそうだった。
日本語版の声を上戸彩が素直にあてているのも、相乗効果を上げている。
天馬博士に「お前みたいな機械は息子なんかじゃない!」とか言われて、「ひどい…」と言うアトム・・・。
また、アトムは、物語のクライマックス前で、悪い大統領に拘束されるのだが、その頬を撫でられたりしちゃって、妄想が膨らむってものだ^^;
・・・えっ? 「そんなことを考えて『ATOM』を見ていたのはお前だけだ!」だって?
そりゃまた、どうも失礼いたしやしたっと!!!^^;
(2009/10/13)
私は、宮崎駿よりも手塚治虫が好きな男で、手塚マンガも、何百冊持っているか分からない。
そんな私だが、アトムにはそれ程に思い入れがない。
オリジナルのテレビ初期の爆発的なブームの後に、私は生まれたからだと思う。
だから、二週間ほど前、<MOVIX・昭島>のロビーで座っていた時に、通りすがりの老若男女が三組ほど、私の後ろの『ATOM』ポスターを見て、「これはアトムじゃない」と呟いて行っても、私自身はそれ程には気になっていなかった。
その三組だが、見事に世代が違っていて、二度リメイクされたテレビ版に、それぞれ影響された三世代であった。
◇
ハリウッド製の、香港のクリエイターが作った「アトム」であるが、絵が手塚調でないことを除けば(それが致命的と思う人もいるだろうが)、ちょっと画面作りが希薄に思えることもあるが、CGもうまく、作品としての完成度も高い。
冒頭の、舞台となる「メトロシティ」の生い立ちを語るにあたっての、手描き調のアニメや、
アトム誕生時のたどたどしい歩き方(ピノコ誕生時みたい)、
乱闘シーンの、手塚治虫が1コマで表現するかのような、大きく弧を描く敵のやっつけ方など、
手塚マンガをよく研究している気配もあった。
ただ、惜しむらくは、物語がつまらないのである・・・。
◇
その「つまらなさ」の原因は、どこから来ているかと言うと、
アニメ技術的な現代性があり、されど、アニメ作劇上の現代性のなさに起因する。
今、原作の『鉄腕アトム』を読んでもあまり面白くない。
映画版は、その、原作のケレンのなさに準じているからだ。
浦沢直樹の『PLUTO』程にアレンジしろとは言わないけど、このハリウッド版は、律儀に、原作からの物語的な冒険をほとんどしていないのである。
原作そのままの道徳的雰囲気に忠実なのである。
これでは、現代の客には受けまい。
現在は、戦うにあたっては「熱血」の時代である。
「ロマン」派の手塚の、戦いは物語のツマ程度に考える志向を、そのまま移殖してしまっても、客は燃えない。
多くのファンは、<ピース・キーパー>と戦うアトムに血の通った姿を求めるし、
落下する<メトロシティ>を下から支えるアトムに、「うおおおーっ!」と言う叫びを期待しているのである。
クラシックな物語をきっちりと語るだけでは、アトムを現代に蘇らせる意味はない。
日本におけるアニメ版の二度のリメイクでは、その当時の作劇傾向や、更にその時代の先に進めようという意志が感じられたものだが・・・。
ただ、ずーっとつまらない思いで観ていたのだが、和解した父親・天馬博士の「逃げよう」の優しさを振り切り、自分の使命とばかりに、<ピース・キーパー>との戦いに赴くアトムの姿にはグッときた。
ここで、作品テーマが明確になったからだ。
このシーンがなければ、この作品はつまらないままだった。
◇
それから、アトムであるが、非常に可愛かった。
元々が手塚治虫の絵は、セクシュアルなイメージを持っている。
確か、泉麻人など、子供の頃、アトムで夢精したとか言っていた。
今回のアニメCGは、アトムの表情が非常に豊かだった。
端整に描かれたアトムの顔が、不愉快なことに眉を吊り上げたり、歯をむき出したりと、表情をあらわにするシーンが多いのだが、
それが、ロリコン漫画で、主人公の少女がエロいことをされるシーンの表情に似ているのである。
で、アトムの身体の、二の腕などの肉感も見事で、柔らかそうだった。
日本語版の声を上戸彩が素直にあてているのも、相乗効果を上げている。
天馬博士に「お前みたいな機械は息子なんかじゃない!」とか言われて、「ひどい…」と言うアトム・・・。
また、アトムは、物語のクライマックス前で、悪い大統領に拘束されるのだが、その頬を撫でられたりしちゃって、妄想が膨らむってものだ^^;
・・・えっ? 「そんなことを考えて『ATOM』を見ていたのはお前だけだ!」だって?
そりゃまた、どうも失礼いたしやしたっと!!!^^;
(2009/10/13)