『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『高校デビュー』を観た]

2011-05-07 21:34:52 | 物語の感想
☆文筆衝動の絶不調は続いているのだけど、短信ながらも頑張って書きます。

 とは言え、この作品、「中学時代をクラブ活動に明け暮れていた主人公が、高校入学を機に恋愛を志向し、ひょんなことから知り合った<お洒落イケメン>から恋愛成就の手ほどきを受けつつも、勘違いを交え奮闘する」と言う、やり過ぎ感はあれど定番の流れをしっかりと見せてくれる好編であった^^

 クライマックスでは、ちゃんと感動させてくれた。

 主演はモデルの大野いとで、私などから見たら、物語冒頭の「ダサい、恥ずかしい主人公」の時点でも、とても可愛く見えるものだ^^

 しかし、この「ダサさ」「恥ずかしさ」こそが、先行の『ランウェイ・ビート』に腹が立ち、この後の『パラダイス・キス』に銃口を向けたくなる私でも安心して見られる親近感なのだ。

   ◇

 この大野いとが演じる主人公・晴菜の個性だが、その演出が、痴呆を描くように凄まじかった^^

 痴呆がやばければ、昔、私が働いていた工場にいた中国人留学生のような、ちょいと「片言な生き方の人」のような演出であった^^

 おそらく、限りなく芸能活動が素人に近い彼女とても、彼女なりの演技プランがあり、拙いながらも、「ダサさ」の中に格好良さを出せたと思う。

 しかし、作り手は、彼女にそんなことを許さなかった。

 彼女の意思などは無きものにし、作り手が作品全体を俯瞰したときの、作品を万全に形成させるピースとしての晴菜像を植えつけていた。

 だから、晴菜はひたすらにダサく、一本抜けた個性を発揮させていた。

 それが貫徹されているので、可愛い顔の大野いとが、何とも微妙な魅力に感じさせられた(誉めてます^^)。

 物語の序盤、観客である私たちは、晴菜の奇行に鳥肌を立てさせられる^^;

 それは、作り手の思惑通りである。

   ◇

 さて、晴菜の<モテ>コーチをするのが、イケメンのヨウ(溝端淳平)である。

 ヨウは、晴菜の「高校デビュー」への素直な思いなど、ちょっとした余興ぐらいにしか思っていなかった。

 ・・・だが、徐々に、晴菜のペースに乗せられて行く。

   ◇

 余談だが、溝端淳平は格好良い顔だが今風ではなく、どちらかと言うと、正統派の容姿である。

 それは、大野いとにも言える。

 だが、彼らを取り巻く周囲の者は、男も女も、今風のメイクの女だったり、個性的な男だったりしている(特に、ヨウの友人の男二人、なんか無性にムカつく顔だ^^;)。

 そこが、現代的な雰囲気を醸すのだが、結局は、正統派の美男美女が主役を張れるのだなと安心した次第^^

   ◇

 この物語のテーマは、「ダサい、恥ずかしい娘」が「お洒落なモテ娘」に変わっていくところにあるのだと思われそうだが、違う。

 本当のテーマは、「恋愛を夢見ていた娘」が、結局は、「ダサくても、ダサいままでしか生きられず、でも、ダサいと隠していた自分の本当の姿こそが、実は魅力的だった」と言うことを、

 「お洒落なモテ男」の心の変化の中で描いているところにある。

 変化したのは晴菜ではなく、ヨウだったのである^^

 晴菜はバカだが、とても可愛い^^

                                                   (2011/05/07)
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[東日本大震災 (東京の私の思い・43 「命名[ココア]/映画『100,000年後の安全』を観た」)]

2011-05-04 23:31:28 | 保守の一考
☆忙しい・・・。

 足早に語ります。

 今日は本職でなく、バイトで、相模原の古淵に行きました。

 ゴールデン・ウィークなので、町には家族で出かけている幼女がいっぱいで、眺めていて幸せでした。

 暖かい天気で、おじいちゃんに抱かれているくびれた手足が可愛い赤ちゃんもいました^^

 鹿島神社に行き着きました。





 いつもならば、家族の健康や生活の向上・日本の繁栄を祈るのだが、

 今日はさすがに、「そろそろ結婚させてくれぃ」と念じた^^

 さて、駅前の区画に、ビン・ラディンの隠れ家のように大きな土地の屋敷があった。

 歩いていると、そこから、犬が吠えてきた。

 大きな敷地に放し飼いにされているトイ・プードルだ。

 私は、この犬を見ると、その目が面白くて、いつも笑ってしまう^^

 で、その家の周回するように道を歩いていたら、敷地内を吠えながらついてくる。

 壁があるのだが、隙間から私を見て、吠えながらついてついてくる。

 面白いし、可愛い^^

 私は、そいつを写真に撮りたく、格子の囲いに戻った。

 しかし、そいつは、私が歩いて行ってると思い込んでいて、敷地内を周回の道に沿って進んでいた。

 バカである^^

 でも、愛すべきバカである^^

「おい! おい!」

 私が何度も呼ぶと、やっとこっちに気付いて、駆け戻ってきた。

 恥ずかしがる様子も無い。

「恥じらいを知らぬヤツだぜ!」

 私はなおも吠える<ココア>にシャッターを切った。

     

 <ココア>とは、私が咄嗟に名づけた^^;

 ・・・作業が終わりに近づいた。

 古淵駅前に戻っていくと、とある保育園にこのような看板が!

 

 看板の上に、風車がいっぱい回っているのは、深い意味があるのだろうか?

   ◇

 先日、映画『100,000年後の安全』を観た。

 いや、昨夜、彼女と見たのは、この作品じゃないぞ^^;

 彼女とは、仲良く『高校デビュー』を見て笑った^^(感想は近日)

 ・・・さて、映画『100,000年後の安全』は、いちお、反原発の内容である。

 評判が良いようなので、私の気持ちに影響が出るかなと素直な気持ちでも観た。

   100,000年後の安全 - goo 映画

 <・・・原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。(作品資料より)・・・>

 だそうだ。

 しかし、くだらなかった。

 何ら具体的な表現を用いず、延々と「超ド級の危険物」として、放射性廃棄物の恐怖を煽り続けていた。

 もう、「危険」は前提で、それについて語るつもりはない様だった

 フィンランドの孤島に作られる「オンカロ」と呼ばれる放射性廃棄物最終処理施設の「あり方」について、関係者が素人みたいな問答を繰り返す。

 この施設は22世紀に完成するそうで、その地下深くへ掘り進む発破工の作業が交互に描かれる。

 メチャクチャである。

 なんで、延々と発破工の作業を見せられなくちゃならないのか?

 つまり、この作品は、現時点では、語るべき「気持ち」だけはあるが、見せるべきものはない状況なのである。

 トンネルは、現在、誰が歩いても何ら害のないトンネルに過ぎないのだが、あたかも、そこが放射能で充満しているかのようなこけおどしのイメージを被せている。

 私は呆れたと言うか、飽きて、少し寝た^^;

 しかし、アート系の作品を手がけてきた、この作品の監督は、論理的でないが、なんか、妙に見てて心地良い映像をこさえている。

 インタビューを受ける者たちの表情や手振り見振り、トンネルの非日常空間の描写、章立てされた作品の、それぞれの章のダーツの標的のような絵柄と警告のような効果音、「内容がない」のに、なんか面白いのであった。

 だから、この作品を評価する多くのバカな人は、この作品に騙されてしまうのだろう。

 また、「10万年」と言うキーワードに、私が子供の頃に見た茨城は水戸の歴史館の庭に、石碑のように存在していた<タイムカプセル>に感じたような、未来とつながる物への「畏怖」みたいなものは全編を通して漲らせていた。

 「オンカロ」と言うネーミングにも(「秘された場所」の意らしい)、カリスマがある。

 とにかく、この作品には、欧米人の放射能への「言い知れぬ恐怖」が充満している。

 私は、一般の欧米人の知能指数は、あまり高くないと感じている。

 いまだに、自国の字さえ読めない者もいるらしいし、

 672円の買物をする時に、気を利かして1000円札と172円を渡したりすると、その利便を計算できないのが外国人である。

 放射能の恐怖も具体的に解明しようとさえしない。

 具体的に考えたら、十万年間に思いを馳せようなどとは思うまい。

 だから、十万年後の世界を想像すること自体も異常だが、それに明快な答えを出せないのも異常だ。

 作中、十万年前のネアンデルタール人も理解できないのだから、十万年後の人間の考え方など分からないと言うのだ。

 私に言わせたら、「お前ら、根本的に狂ってるわ!」である。

 答えは簡単なのである。

 私などは、少なくとも、このようなイメージを起こせる。

「人類は、200年以内に、放射能の恐怖を科学で克服できる」

 「オンカロ」の10万年間に対し、下らない想像をするよりも、

 科学が放射能を研究し尽くし、大気中での無効化か、身体的な無効化を想像する方が、自然のことであろう。

 こんな作品を有り難がって鑑賞する人が多いのには驚く。

 反原発の人に言いたいのは、仮に、全ての原発がなくなっても、放射性廃棄物は、もう、充分すぎるほど、世界中に存在してしまっているからね^^;

 例えば、こんなんさえある。

     《防護服など放射性廃棄物大量発生 先見えぬ原発ごみ処分 (産経 2011/05/03)》

 <東京電力福島第1原発の事故対応で、現場で発生したゴミの処理が深刻な問題として浮上している。水素爆発による瓦礫(がれき)のほか、高い放射線量を防ぐための使い捨て装備など、厳重管理が求められる放射性廃棄物が大量発生しているが、処分の見通しは立っていない。
 ■先例
 遠隔操作の重機を使った撤去作業が本格化している大量の瓦礫。参考になるのが、日本で初めて商用原発の廃炉が進められている日本原子力発電・東海原発(茨城県東海村)の例だ。
 同原発で解体に伴うコンクリートや金属などの廃棄物の総量は約20万トン。このうち放射性廃棄物となるものは約12%、2万3500トンと見込まれている。
 廃棄物を減量するため、可能な限り焼却、切断、破砕などの処理を施し、専用ドラム缶に入れて貯蔵建屋で厳重保管する。東海原発での実績は、平成22年末までで計510トン、ドラム缶約1460本分にのぼり、原電も「ノウハウは福島第1原発に十分生かせる」と自信をみせる。
 ■毎時900ミリシーベルトも
 だが事前に核燃料を取り出して作業が行われた東海原発と違い、今回問題となっているのは、福島第1原発の瓦礫などが発する高い放射線量だ。
 福島第1原発で回収された瓦礫からは、おおむね毎時100~200ミリシーベルトの放射線が出ており、中には毎時900ミリシーベルトと高線量のものもある。
 瓦礫はコンテナに詰められ、敷地内のグラウンドに“野ざらし”にされているが、コンテナから1メートル離れた場所の線量でさえ、毎時1~2ミリシーベルトという。
 国際原子力機関(IAEA)の基準では、年間0・01ミリシーベルト以上の放射線を出せば放射性廃棄物として扱うとされているが、「高レベルの放射性廃棄物と、そうでないものが、一体どれくらいの量になるのか見当がつかない」(東電)。
 近畿大原子力研究所の杉山亘講師は「放射線レベルの高低にかかわらず、福島第1原発の瓦礫は放射性廃棄物として扱い、しっかりと管理する必要がある」と、放射線量レベルによって区分しようとする東電の考え方に懸念を示す。
 ■使い捨て装備
 作業員が身につける防護服やマスクなど、復旧作業に伴って大量に出される装備も放射性廃棄物になる。
 通常、防護服は専用のランドリー施設で洗濯して再利用するか、放射線量が高い場合は焼却し、灰を放射性廃棄物として処分する。
 だが、今回の東日本大震災の影響で、専用のランドリー施設などが使えず、防護服は“使い捨て”。毎日、数百着の防護服がポリ袋に詰められ、敷地内の倉庫に積み上げられている。4月末時点で約4万着に達したという。
 ほかにも、東電社員や作業員らが排出する食料品の容器など生活ゴミや、排泄(はいせつ)物も低レベルの放射性廃棄物扱いになるという。
 東電は「現在は特定の場所でしっかり管理しているが、処分方法のメドが立たない。保管場所にも限界がくる」と、問題の深刻さを認めている。(原子力取材班)>

 ・・・良かったですね。

 反原発の方は、これで、まだまだヒステリーを継続できるよ^^ 良かったね^^

 私ァ、寝る・・・。

                                                    (2011/05/04)
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[東日本大震災 (東京の私の思い・42 「東電管内の人々は、値上げを享受しろ」)]

2011-05-03 18:37:22 | 保守の一考
☆仕事で失敗して、ちょいと落ち込んでいる。

 私は、自分なりに幾つもの防御策を張って仕事にあたっているのだが、・・・はぁ、隙があったのだろう・・・。

 前にも書いたが、ミス無し記録は、無い状態が続くにおいては賞賛され得ようが、ミスしたら、その時点で「普通の人」である^^;

 こんなときは、彼女に会って慰めてもらうでちゅ

 なので、今日は短信。

   ◇

   《原発賠償4兆円、政府が試算 電気料金値上げ前提 (朝日 2011/05/03)》

 <東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う損害賠償をめぐり、政府内の試算が明らかになった。賠償総額を4兆円、東電の負担を約2兆円と想定して、2020年度までの東電の業績を試算。賠償は最終的に電力各社が10年にわたって負担する内容だ。東電管内は電気料金が約16%上がる前提になっている。 ・・・>

 だから、言わんこっちゃない。

 値上げは避けられなかったが、あんたら、愚民どもの<放射能ヒステリー>による風評被害で、その率は跳ね上がったんだよ。

 政府が負担するのも、私から見たら、至極、当然のことだ。

 実際、健康な生活が全く損なわれない、危険領域からあまりにも隔たりのある暫定基準値などは、政治指導の結果で生まれたものだからな。

 そして、政府の支払うお金は、我々の税金だ。

 税金が上がるのもしょうがないよね。

 ハハハ、あんたらが選んだ民主党政権だよ^^

 うん、自民党政権でも税金アップは起こっただろうよ、でもね、先ほど「風評被害でその率は跳ね上がった」と記したけど、民主党の対応の帰結で税金アップ率も跳ね上がるわけだよ。

 私は、殊更に<放射能ヒステリー>で騒ぎ立てなかったし、一昨年の衆議院選挙のときも、必死で民主党の危険性を訴えてきたつもりだ。

 でも、それを、あんたらに浸透させられなかった。

 だから、その罪もあるし、電気代アップも税金アップも受け入れるよ。

 もちろん、あんたらは、一切の文句は言えない。

 民主党に投票し、原発エネルギーを使用しつつ、それでも、手のひらを返すように非難をはじめたお前らは、その行動の責任を取れ!

 いいか?

 今回の震災は「想定外」なんだよ!

 「想定外」だから、あんなにもの人々が犠牲になってしまった。

 じゃあ、それぞれの自治体に、犠牲者の賠償をしてもらうか?

 それぞれの自治体の政治中枢、その集積の国政を担う民主党に投票したのは、誰だ?

 「脱コンクリート」は、ダム計画を無くし、ひいては原発依存につながる。

 ダムがあれば、風評被害に拠る水不足も緩和されたはずだ。

 「スーパー堤防計画」も無くし、

 「コンクリートから人へ」のスローガンは、翻って、数万人の犠牲者になってしまった・・・。

 現在の民主党の「アナーキー」は、お前らにとって「想定外」だったんだろ?

 だったら、お前ら、反省しろ!!!

 政治や社会に対しての、愚かな非難がすぐに自分に戻ってくるのが「民主主義」なんだ・・・。

   ◇

 それから、予言をしておく。

 おそらく、日本の周囲に存在する「恐喝国家」が、今回の国内賠償金の試算に10倍する額を日本政府に叩きつけてくるのを覚悟しておいた方がいいぞ。

 仮に、菅を辞めさせて、小沢・鳩山サイドが政権を担ったとしても、

 「恐喝国家」に何十兆円の賠償金を払う約束をしてしまうのが目に見えている・・・。

 自民党にさえも「媚半島」「チャイナスクール生」はたくさんいる。

 次回の選挙では、選ぶ議員を熟慮してくれよ、いいか、バカども!


                                                      (2011/05/03)
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