日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 感謝の積み重ね・・・ *

2006年03月02日 | 雑感

「愛ちゃんは順調にいってる? 次女さんは?」 朝、母から電話があった。 
「ええありがとう、順調よ二人とも」 
「どっちみたい?」 「太郎は生まれるまで聞かないと言っているから、でも日曜みんなうちへ来てね、
ご飯食べたのよ。 愛ちゃんおなかぐっと前へ突き出ててね、男の子かなって」
「そりゃぁ楽しみじゃねえ。 楽しみに待ちょうるけえね。 二人に大事にしんさいよ言うとってね」
しばし挙式のことやら話をする。 12日を17日と聞き違えていたようである。
兄夫婦に迷惑をかけないようにと健康には特に気をつけているから、母の元気はとても有難い。 
兄嫁さんにも本当に大切にしてもらっている。



(お正月実家に行った時、陶器の置物に書いた言葉・・母を感じて写して帰った)

田舎にいた小学校時代、井戸水の生活が水道になったり、プロパンガスの普及で
かまどでご飯を炊く生活が、ガス炊飯器となったり・・そんな時、
朝、栓をひねると水が出る、スイッチを入れるとご飯が炊ける・・洗濯だって私はたらいに洗濯板、手しぼりの時代があったけれど、手動の絞り機がついたり。
何をするにも母は「有難いね」 「感謝じゃね」 毎日毎日その動作をする度に口癖のように言った。
心から有難いね、という笑顔で言った。 耳にたこが出来るほど聞いた。
申し訳ないかな(もう・・分かったよ)心の中でそう思ったことがあった。

自分が所帯を持ち、口ぐせのように言っていた母の思いが分かるようになった。
それは年をとるほどに。 なんでもが便利で当たり前のような世の中だけど。

小さなことに感謝できないものは、本当の幸せは掴めないとか言われた事がある。
有難い、感謝、イコール小さな幸せなのである。 その積み重ねが大きな幸せ。 心の。
私はこの年になって、感謝や有難いと思える心は・・つまり母から譲り受けたものではないか。
まるで子守唄のように聞いてきた母の言葉の偉大さを、今はとても感謝に思える。
財産と言える物は何もない。 「家族の和」 母がいつも大切にしてきた事がら。
小さなことにもいつも感謝をしていたそんな母のお陰で、今の自分たちがあることは間違いない。
いつの間にか「有難いね」 「感謝やね」 そんな言葉の中に生きている自分だけど、
ご飯粒をこぼしたら目がつぶれるとか、過去のそんな言葉は今の時代通じないにしても、
私は子供たちに何かそんな心に残る言葉、伝えて来ただろうか。

それよりも、何に対しても決して不足を言わない母にはまだまだ足元にも及ばない。