雨降りは嫌いでは無い。
まだ小学校にもあがっていない頃から、家の仕事以外殆ど母任せの我が家の畑、雨の日はその畑仕事が出来なくて家に母がいるのが嬉しかった。
母は手仕事をしながら、一緒に折り紙したり歌ったり私がクレヨンで書く絵を見てくれたりした。 3つ下の妹の子守もしながら。
雨がふります 雨がふる あそびに ゆきたし 傘はなし 紅緒の かっこも 尾がきれた
子供の頃の、そんな時の光景と母の歌は覚えている。 寝る時には昔話をしてくれていたので、その話や声の調子も覚えている。
書きながら思い出す・・古き良き時代。
母は編み物をしたり、縫物をしながら歌ってくれた、雨の日は。
「雨が降るとね、困る人もおるかもしれんけど、お百姓さんは助かるんよ。 雨は有難いんよ」
私が育って行く道程で、天候の不足を言った事は無い。 晴れの日は晴れのように 雨の日は雨のように・・どこかでこんな詩を見た事があるが。
雨の日など子供のころから聞かされていた精か、雨が降ると母の言葉を時々思い出す。
天候の不足を言わなければ、雨の後の晴れ間が感謝であり、晴れの続く雨が感謝になり、それらがやがてお陰さまになる、そんな気がする。
近年は異常気象で「今までこんな目に遭った事は無い」そんな言葉を良く聞くようになり、雨が災害となる事も多くて雨が嫌いでは無いとは
申し訳なくて言い難いのだけれど。
今日の雨で、昨年より半月も遅くなったけれど植えたゴーヤの苗や、種を蒔いた朝顔の芽もきっとぐんと伸びる、きっと。
そんなものたちの生き生きを笑顔で想像しながら・・歌を歌う。
雨がふります 雨がふる・・
紫陽花 今日の一枚