23日、今日は紛れもなく天皇誕生日である。 ニュースを見た。
皇后さまとの50年・・と語られるとき胸が詰まって話されるお姿に私も泣きそうになった。
令和になってはや5年になる。 想像もしないコロナによるパンデミックその3年を含めて。
測り知ることも出来ないが、そのご苦労に胸がいっぱいになった。 国民の祝日、孫も知っているだろうが。
そんな朝、起きてきた孫娘に開口一番「おはよう、今日は富士山の日よ」と言ったら「昨日聞いた」と言われた。
しまった! 昨夜晩ご飯の時、わいわい言っている中で「今日はにゃんにゃんにゃん、猫の日、のあとに
明日は富士山の日、2月23日ふじさん、ブログの人が書いて知ったわ」と言ったのだった。
先に、天皇誕生日って言えば良かった。 なんか非国民みたいな私、申し訳ない。
12月の私の誕生日の翌日、長女運転で私達夫婦と千葉の妹夫婦と静岡で合流した。
コロナ以前妹夫婦は毎月の様に夫婦で旅行していた。 昨年、母が亡きあと、少しづつ県外へ出るようになった。
コロナ前妹夫婦が私と長女を招待、4人で日本平ホテルに泊まった時、広い庭から少しの間清水港を望む富士を見た。
2人は何度か静岡に来たそうだが、雨風が強かったり雲が出ていたりで、富士山をまともに見たことが無いと言う。
そのくらい富士山ってやすやすと見えるとは限らないんだと実感した。
日本平の夢テラスでは読売TV,ピンクの洋服の阿佐ヶ谷姉妹さんがロケをしていた。 バッチリの富士山で幸運。
ブラタモリでさえ三保の松原の時、富士山は全く見えなかったと放映された。 リベンジしないんだ、タモリさんでも。
阿佐ヶ谷姉妹さんは、お正月何日だったか・・ヒルナンデスのバスツアーでやっていた。
言われる前に撮影風景撮ったけれど、スタッフさんが撮らないで下さいと言われてたのでアップは出来ない。
初日は日本平から朝霧高原へ。 ここでも富士山は私たちを喜ばせた。
お泊まりの駅近のホテルは3度目だが、申し分なく朝食のバイキングがとても美味しく多彩で充実、
コロナ禍出来たばかりで行ったとき、ホテルの方に感想を直接言わずにはおれなかったので言った。
しかしホテルの朝食バイキング、なんで朝からこれだけ食べられるものだろうかといつも思う。
上げ膳据え膳、主婦には最高。
富士山の日がどう言う意味合いで名付けられたのか調べてはないが、富士山はもう文句なしの誰もがその雄姿には
言う事なしである。 癒されるし気持ちが落ち着き・・なんだかまっとうな姿を見たらすごく幸せな気がする。
生きる力をもらえる幸せ・・本当に幸せは自分のこころが決める・・みつをさんの言う通りである。
富士山は簡単に語れないなぁ・・言えない。 世界遺産、言うと軽い気がして。
3人目の次女が生まれた時夫は、「この子が5歳になったら、みんなで富士山へ登ろう」そう言ったのに。
一度もそんなこと口にしなかった「登ろう」と言う言葉を。 なんでやねん
2日目は本栖湖、もうここはいつ来ても雄姿が見えている。 観光バスのお客さんが先客である、高齢者の。
ライダーさんも次々と車を止めて、ここは撮影のスポットである。 ここは千円札の裏にも描かれた本栖湖。
遅くなったお昼は、浜名湖を眺めながら食べる鰻の美味しいお店を、長女が予約しておいてくれた。
3時前だった。 すごく風が吹いていたのにそれでも浜名湖のロープウェイは動いている。
「あと鰻4匹なんですよ」せっかくなので、それを5人用に男性2人は鰻重、女性3人は鰻丼。
めっちゃふわふわで美味しい! お店の方の対応が明るく丁寧だし、笑顔と明るい声のおもてなし良かった。
帰路は妹婦も一緒に大阪へ。 車中も皆がずっとしゃべりっぱなし。 3年分の。
妹夫婦は富士山を2日ともバッチリ見えた事柄で、大満足だった。
令和4年の師走、コロナや母が亡くなったり色々あったが、終わりよければすべて良し・・と行きたいところ。
新しい年は心新たにいいスタートが切れると思いきや、それぞれの家に色々身体的精進のいることが出来て、
今、頑張って乗り越えている最中である。
この旅、時は師走、写真をアップする間が無かった。”富士山の日”のお陰で載せることが出来た。