もし二人でバスで出かけていたら、みんなに会えるドキドキやわくわく感で、きっと胸がいっぱいだったであろう。
長女がホテルに送るよと言ってくれたので、次女は美容院へ予約し、孫たちもみんなで賑やかな見送りになった。
なので、車の中はわいわいで、ドキドキ感などすっかり飛んでいた。
5時前にホテルに到着。
フロントの方がすぐに冷たいお茶を出して下さった。
昨日、今日と大阪は30度近くで暑い。 今年初の、少し甘くて美味しいグリーンティーを頂いた。
T美が早朝の出発から何度かLINEで現状報告をしてくれていた。
着くなり電話が入りバスが遅れているとのこと、みんなに迎えられるはずが、私たちが迎える側になった。
予定より30分遅れて到着。
「わ~ぁ」みんなが次々と笑顔で入って来る、まるで「大阪へようこそ!」と言った感、なんか変。
手を振ったり握ったり、懐かしい再会である。
夫とは小学校は違うが、中学でみんなと一緒に学んだ仲、男同士のおつきあい、女性以上に深いものがあるであろう。
それなりに年を重ねている一人一人、でも変わらない面影が嬉しいなぁ・・一気に心は高揚する。
85歳になられた恩師、I先生・・みんなに混じってお元気で来られた姿に胸がいっぱいになる。
6時の宴会が6時半になったので、それまで別々に部屋で談話。 男性はお風呂に。
小学校の還暦の祝いの会、中学校の還暦旅行以来、10年ぶりの再会であるが、一瞬にして年月の距離が無くなった。
懐かしい小学校や中学時代の話に花が咲く。 そしてこの場所に来られない人たちにも、心を馳せる。
大阪では他に男性のSちゃん、女性のY美ちゃんも参加。
即効誰か分かるのに、Y美ちゃんとは高三では生徒会で一緒にやった仲なのにどうしてもあの頃の顔が繋がらない。
お仕事でエステやってる・・そっか、それでなんや。 うちもやって欲しいわぁ・・。
別の部屋のM美ちゃんが、大阪の二人にと、手作りの布袋に田舎のワカメを、手作りのお財布、岩城の芋けんぴを下さった。
宴会参加歓迎のプレゼントだそうで。 常日頃から彼女はそうらしいが、すごいなぁ、その心遣い、嬉しいなぁ。
6時半、いよいよ宴会場へ。
くじびきで席が決まった。 同席は Tちゃん、Kちゃん、T君、Mちゃんと私の5人。
Tちゃんを見ると、幼稚園のお弁当の時間、あることを言われ泣いて帰った苦い思い出を必ず思い出す。
今なら笑い話で終わるが、今更ね・・と言わなかった。
幹事さんの挨拶、責任者、先生のご挨拶、みな「挨拶は短めに!」がついていた。
大阪在住のSちゃんの乾杯の音頭で”古希祝いの宴”は始まった。
何を話しても嬉しくて懐かしくて楽しい。 お酒が入ると尚更。
Mちゃんも私も飲めないので、こういう時は少し寂しい。 趣味や健康、親の介護の話・・色々話は尽きない。
「同じテーブルになったと言う事はどこかで繋がっとるんよのう」Kちゃんが私と同じこと思っていた。
いきなりの縁でも、きっと共感したり、教えられることがあるように思う。
同級生夫婦だったMちゃん、旦那様が亡くなられている。 同じ地域だったのでMちゃんとは良く行き来していた。
「二人の人が羨ましいわ・・一人は寂しいよ」しみじみと言われる言葉に、胸が詰まった。
夫にもっと感謝しなくては・・少しでも長くいられるように・・彼女の言葉は私にそう思わせた。
Kちゃんの長男さんは鹿児島で所帯を持っているとか、我が家と同じだ。
あちらのご両親が孫の成長が楽しめるし、男手がない分助かるしおすそ分けそう思えば・・「ほうかのう・・」
夫にみんなを撮ってよと言っていたので回っていたが、でしゃばったらあかんからと思っていて控え目だった。
還暦旅行では、夫と写真を撮って全員へのメッセージ入りでデジブックを作成、希望者にDVDをプレゼントさせてもらった。
今回は途中参加なのでせめて今夜の写真だけでもと思っているが、感激で手が震えた?映りが良くなくて申し訳ない結果。
恩師に夫を紹介させて頂くつもりでいた。 T美が「はよ行き」と催促、同じこと思ってくれて有難いなぁ。
先生に夫を紹介すると「K次さんじゃろ」そう言ったので夫は驚いていた。
後で夫は、「なんで知ってたんかなぁ、会うと思うて、ちゃんと下調べしてるんや、すごいなぁ」と言った。
昔の先生はそうだったが、特にI先生は、生徒の家の事情もまるごと抱えて下さり心ある熱血教師だった。
私も、母が身体が弱かったり色々な家庭の事情があったりで、良くアドバイスして下さった。
私が生きる中で、人生を変えてくれた人十人の中にいる存在である。
「あんあたはいつもそう言うてくれるが・・」と言ったけれど、本当に感謝をしている。
男子は先生が宿直の時に遊びに行ったり、クラスのみんなを家に呼んで奥様のおぜんざいを頂いたり心いっぱいだった。
もう、恩師で年賀状のやりとりが続いているのは先生だけである。
いつも印刷の挨拶のそばに、変わらない達筆で、折々に見合う言葉を必ず添えて下さっている。
奥様をなくされてお一人住まいだけど、ひと回り小さくなられている気がするけれど、T美やU子も良く
地域の役でお会いするので、離れていても続いている三人娘(先生は三馬鹿と言う)縁を喜んで下さっている気がする。
昨年の秋彼岸二人で帰省した時、島の懐かしい場所をあちこち思い出を辿りながら車で回った。
先生の家のそばも通った。
夫には先生の事を良く話しているので「行って来いや」と言ってくれたが、咲いていた彼岸花だけを撮った。
良かった。 先生と言葉が交わせて。 夫も紹介できたし。
「それでは先生、お元気で」 先生は少し小声で「みっちゃんなぁ、ちょっと痩せや」肩を叩いて言われた。
最初から参加していたら、カメラ係と認識して撮り回ったと思う。 小心者で、気になりつつ撮るのならしっかりと・・
そう思いながら、料理がくると撮っては、カバンにしまったカメラ。
撮り忘れもあるが、献立の中に自分で作るおだしで食べる明石焼きが一品にあったのが、大阪に来た感いい演出だった。
Mちゃんと「おなかがいっぱいやね」と言いながら私は完食。 美味しい料理だった。
U子がお役なのか、最後に”瀬戸田音頭”をみんなで踊ることになった。 歌詞カードも用意してくれている。
過去の役職もあり何処でも率先してやれるいい性格だ、実に羨ましい。
踊りなんて私や夫の大の苦手分野だけど、同級生と言う親近感はそんな気持ちを払拭、なんの躊躇もなく
さっと輪に入った自分を意外に思った。
同級生・・活躍していようがなんであろうが、小学生時代からを知っている訳で、誰がどうあろうと私が
デブッチョでも気を使うことなく、あの頃のお互いに戻れると言う気安さ。 いいなぁ・・。
年を超えた同窓会はそうはいかない気がする。
夫が、高校のそれに近くのホテルだったので参加した時「もう、行かへん」と言った。
知らない人の多いこと、年の差、プライド、面白くも何ともなかったそうだ。
みんなが輪を作り踊る宴、和やかな盛り上がりで終わったいい宴、企画だった。
おとなしい私は、自分の席から離れることはなかった・・何人か言葉をかけに来てくれたが、せっかくなのに
今度いつ会えるか分からないのに、大阪ならばこそ会えたのに、みんなに声をかけてお礼を言えば良かった・・悔い。
明日の予定が、”あべのハルカス” ”なんばグランド花月”と言うこともあり、宿が道頓堀だったのだろう。
宴会の後カラオケに・・と繰り出したが、夫はせっかくなので、タイガースが優勝で飛び込む橋、グリコのネオンは
見とかなあかんやろうと、案内した。
日曜と言うこともあって、観光客に一番人気の道頓堀はすごい人。 「やっぱり都会じゃのう・・」
道頓堀へ来たら、法善寺横丁に、そして水掛け不動さんへお参りしないとね。
「お賽銭百円以下はあかんで」 みんなを笑わせながら夫は言った。
せっかくならみんなを連れて行ってあげたい、家でそう言っていた夫の気持ちが伝わった。
(この翌朝T美が行ってない人を誘って、7時半の食事の前に、水掛け不動さんへお参りしたよ」と月曜電話をくれた)
ジャンカラ、カラオケへ。
誰がうまいとかどうとか知らないけれど、マイクを持つと(わ・・ぁ)と、びっくりしたり。
人が変わるなぁ。 笑って笑ってなんと楽しい1時間半。
普段歌わない夫も、歌うならこれしか・・”岬めぐり” ”宗右衛門町ブルース” 二曲もいってびっくりした。
11時前「バスの時刻表見て」と次女に電話した時、次女は私と夫に「もうバスないので迎えに行くからゆっくりして」
と電話、LINE入れていたと言う。 以心伝心、やっぱり親子やなぁ・・すごい偶然。
ホテルの前まで迎えに来てくれて、みなさんにもお礼を言ってくれた。
ありがとう、みなさん。 さようなら、次は喜寿に会おうと言う、うん、会おうね!
バンザイ・・同級生、ありがとう、古希祝いの宴。 さぁ、どうやって写真を編集して送ってあげようか・・。
夫と同郷、同級生で良かった。 知り合って56年、人生の金婚式を終えている、すごい。
共に生きて共有できる思い出は多く重なっている訳で、そしてこれからも楽しく?重ねていける訳で・・。