私の愛蔵本から一冊紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/87/96e4fa65ffc1eced1aec64b4d60ed466.jpg)
※龍膽寺雄『風-に関するEpisode』奢覇都館1976年11月30日発行(美本/オリジナルセロハンカバー付)
キリコの絵を表紙にするこのセンス、いいなあ。
かつて神戸に奢覇都館(さばとやかた)という出版社があって、愛書家のための本造りをしていたのをご存知でしょうか?(いま気が付いたが住所は渦森台って・・・うわ、凄い近所!)この本はフランス装で、袋とじになったページを一枚ずつ切り分けて読むという手間の掛かる本なのです。当時の新刊(1,400円)を買ったのですが、いま見ると結構な値(古書価格)になっているようです。
龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)といってもご存知ない方が多いと思います。
作家活動を行ったのはわずか6年間。「放浪時代」でデビューし次々と話題作を発表するも、派閥悪を実名で批判して文壇を去り、その後まったく沈黙したまま世を去った作家なのですから。
この本については川端康成による評があるので、それを読んでもらうのが手っ取り早いでしょう。
龍膽寺氏のメルヘンは、大部分が近代的な視覚から成り立っているのであって、それを裸にしてしまえば、思いの他に古いロマンチシズムの骨組が、新しいメルヘンの魂を支えているのを見ることもあるが、今度の「風」は、最も美しく成功したものであろう。廃港の海辺の広場と、木馬館と、貿易店と、高原と、軽気球と、風見の鶏と、甃路の旋風と、それからいろいろな科学器具で、華麗なアラビア風なメルヘンを織る作者の作風は、その価値を今の文壇で十分認められることが、あるいは少ないかもしれないけれども、作者自らの楽しさがそれをつぐなうに足り・・・・・・(昭和7年2月「新潮」掲載の「文芸批評」より)
物語はこの木馬館を舞台に展開します。木馬館の女主人である壺婦人(つぼふじん)から、借金のカタに木馬館を手に入れた主人公は、そこを気球の格納庫にして、気流の研究に余念がありません。かつてこの街で悪名の高かった壺婦人も、今では木馬館の一室に家賃住まいをして、毎月の家賃も滞りがち(というか一度も支払っていない!?)、娘の真奈児の稼ぎで(・・・って何をさせているのか?)ほそぼそと暮している。意図的なものか偶然なのか、真奈児の見せる姿態に主人公はどうしようもなく誘惑されていく・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e8/6d62ece5c40793b9b60429e0f750bbc1.jpg)
※真奈児ってこんな感じ?①(アニメ「地獄少女」より)
真奈児(まなご)は「放浪時代」に登場する断髪の美少女「魔子」を原型としているのでしょうが、その名前から雨月物語(蛇性の淫)を連想させます。ひょっとしたら娘を操っているのかもしれない壺婦人と真奈児の関係はヘロデヤとサロメにも似ているでしょうか・・・(ヘロデヤ『公主(ひめ)はようしてくれました』―――サロメより)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7f/1afe86a5869f73a1a855f3a30bb6a377.png)
※真奈児ってこんな感じ?②(山口小夜子)
ラストの一節はこのように終わります。
昼間の君のあの言葉のとおりだ。ワナは意外なところにある!そうだ、もしかするとわたしの足元に。でも、わたしもまた血の悪徳を信じるよ。そして、だから、断じて、危険と、―――
そのくせわたしの眼は、華奢な女の子の頸すじに、皮膚を透してピキピク動いている、青い繊(ほそ)い静脈(すじ)まで、月の中で鋭く眺めながら!
わたしはまた心でつぶやくのです。
「そうだ!何よりも今夜は、風がないからいけないのだ!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/87/96e4fa65ffc1eced1aec64b4d60ed466.jpg)
※龍膽寺雄『風-に関するEpisode』奢覇都館1976年11月30日発行(美本/オリジナルセロハンカバー付)
キリコの絵を表紙にするこのセンス、いいなあ。
かつて神戸に奢覇都館(さばとやかた)という出版社があって、愛書家のための本造りをしていたのをご存知でしょうか?(いま気が付いたが住所は渦森台って・・・うわ、凄い近所!)この本はフランス装で、袋とじになったページを一枚ずつ切り分けて読むという手間の掛かる本なのです。当時の新刊(1,400円)を買ったのですが、いま見ると結構な値(古書価格)になっているようです。
龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)といってもご存知ない方が多いと思います。
作家活動を行ったのはわずか6年間。「放浪時代」でデビューし次々と話題作を発表するも、派閥悪を実名で批判して文壇を去り、その後まったく沈黙したまま世を去った作家なのですから。
この本については川端康成による評があるので、それを読んでもらうのが手っ取り早いでしょう。
龍膽寺氏のメルヘンは、大部分が近代的な視覚から成り立っているのであって、それを裸にしてしまえば、思いの他に古いロマンチシズムの骨組が、新しいメルヘンの魂を支えているのを見ることもあるが、今度の「風」は、最も美しく成功したものであろう。廃港の海辺の広場と、木馬館と、貿易店と、高原と、軽気球と、風見の鶏と、甃路の旋風と、それからいろいろな科学器具で、華麗なアラビア風なメルヘンを織る作者の作風は、その価値を今の文壇で十分認められることが、あるいは少ないかもしれないけれども、作者自らの楽しさがそれをつぐなうに足り・・・・・・(昭和7年2月「新潮」掲載の「文芸批評」より)
物語はこの木馬館を舞台に展開します。木馬館の女主人である壺婦人(つぼふじん)から、借金のカタに木馬館を手に入れた主人公は、そこを気球の格納庫にして、気流の研究に余念がありません。かつてこの街で悪名の高かった壺婦人も、今では木馬館の一室に家賃住まいをして、毎月の家賃も滞りがち(というか一度も支払っていない!?)、娘の真奈児の稼ぎで(・・・って何をさせているのか?)ほそぼそと暮している。意図的なものか偶然なのか、真奈児の見せる姿態に主人公はどうしようもなく誘惑されていく・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e8/6d62ece5c40793b9b60429e0f750bbc1.jpg)
※真奈児ってこんな感じ?①(アニメ「地獄少女」より)
真奈児(まなご)は「放浪時代」に登場する断髪の美少女「魔子」を原型としているのでしょうが、その名前から雨月物語(蛇性の淫)を連想させます。ひょっとしたら娘を操っているのかもしれない壺婦人と真奈児の関係はヘロデヤとサロメにも似ているでしょうか・・・(ヘロデヤ『公主(ひめ)はようしてくれました』―――サロメより)。
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※真奈児ってこんな感じ?②(山口小夜子)
ラストの一節はこのように終わります。
昼間の君のあの言葉のとおりだ。ワナは意外なところにある!そうだ、もしかするとわたしの足元に。でも、わたしもまた血の悪徳を信じるよ。そして、だから、断じて、危険と、―――
そのくせわたしの眼は、華奢な女の子の頸すじに、皮膚を透してピキピク動いている、青い繊(ほそ)い静脈(すじ)まで、月の中で鋭く眺めながら!
わたしはまた心でつぶやくのです。
「そうだ!何よりも今夜は、風がないからいけないのだ!」