吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

川田喜久治『ルードヴィヒⅡ世の城』株式会社朝日ソノラマ(昭和54年9月29日初版発行)

2018-06-21 06:32:56 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護


 今では『ロマンチック街道』などと銘打たれて俗な観光地の代表となっている『ノイシュバンシュタイン』その他の城に関する写真集。



 この本の発行当時はこれらの城を知る人はごく少数だった。



 ノイシュバンシュタイン, ホーエンシュバンガウ, リンダーホフそしてヘレンキムーゼーの4城の写真が配され、これに(あの)澁澤龍彦が解説を寄せています。

 玉座の間に玉座がなかったように、あの豪華な歌手の間の舞台でも、少なくとも王が生きているうちは、一度として演奏会が開かれたことはなかった。一度として廷臣がここに群がり集まったことはなかった。
 そういう意味で。ノイシュヴァンシュタインはまさしく空虚な城なのである。ワグナーの主題による壁画を眺めながら、巡礼のように部屋から部屋を歩きまわるのは、ただひとり、この空虚な城に住む幽霊のような神経症の王だけだったのである。




 とはいうものの、城づくりに熱中するあまりバイエルンの財政を傾け廃された王に対する芸術家たちの評価は高い。
 そして建設当時『壮大な無駄使い』と評されたこれらの城が今ではバイエルンを支える観光資源となっているのだ。


 
 この写真集の冒頭にもポール・ヴェルレーヌの王を讃える詩が掲げられています。

 王よ、この世紀唯ひとりの真の王者たる、陛下よ、敬礼を受けられよ。御身は政治の事がらや、家の中に闖入する「科学」の狂気から、御身の理性が蒙った屈辱の、恨みを晴らしつつこの世を立ち去りたいと望まれたのだ。
 「祈り」と「歌」と「芸術」の、そしてあらゆる「抒情」の暗殺者たる、かの「科学」。そして御身は単純率直に、しかも花咲き匂う抒情にみちて、これをば屠り倒されたのだ。
 御身は詩人であり、戦士であった。諸国の王たちが取るに足らぬものに成りさがっている現世紀の、唯ひとりの王者であった。そして「信仰」に従う「理性」の「殉教者」であった。
 御身の比類を絶する栄誉に対して、恭しく敬礼。そして願わくば御身の霊魂が、壮麗にして晴れやかなるワグナー楽の調べにつれて、黄金と鉄のきらめく、誇らしき儀仗の葬列を従えられんことを。



※湖に立つ十字架がルードヴィヒⅡ世終焉の地を示す。