哲学者ウィトゲンシュタインは建築に関しても一切の妥協を許さなかった。
※ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン
あまりにも有名な『論理哲学論考』の作者は(やっぱり!)かなりの変人だった!
ウィトゲンシュタインが姉(マルガレーテ)のために設計した家の資料に、長姉(ヘルミーネ)が書いたエッセイ『家族の回想』を配した、実に興味深い本です。
これを世界的に有名な建築家『磯崎新(いそざきあらた)』が訳したというレア物の1点!
※クリムト作『マルガレーテ・ストンボロウ=ウィトゲンシュタイン嬢の肖像』
収容所時代、彫刻家ドロビルと知り合った際のエピソードが面白い(ウィトゲンシュタインは第一次世界大戦に従軍し捕虜になっている)。ヘルミーネの筆の冴え!
偶然に二人の会話はクリムトのウィトゲンシュタイン嬢の肖像に及びました。これは私の妹グレーテルの絵で、この画家の他のすべての肖像画のように、すぐれて流行的で優雅で、挑発的でさえありました。ルートウィッヒがその肖像画を "ぼくの姉さんの肖像だ。" と言ったので、ドロビルは、この髪をのばし、手入れの悪い収容所の姿と絵の内容をくらべてみて、ルートウィッヒは正気じゃないと思ったらしいのです。"じゃ、きみはウィトゲンシュタインかい?" といって、ドロビルは楽しげに頭を叩き大笑いをしたということです。
友人の建築家パウル・エンゲルマンに姉の住宅の設計を依頼したウィトゲンシュタインは、建築に強い関心を示し、設計に変更を加えてはますます熱中し、とうとう自分の設計に変えてしまいます。
設計図はウィトゲンシュタインの手によるものです。
さまざまな申請書に『建築家ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン』との署名が行われています。
※平面図
※外観図
※館の外観
内部は『論理哲学論考』の世界を思わせる静謐な空間になっています。
※ホール。テラスへ続くガラス窓と階段。柱の上部は少し削られ、柱頭が形成されている。
論考はシンプルなドイツ語で書かれた美しい文章から成っています。
この建物もその精神を体現したようにシンプルで美しい調和を保っているのが分かります。
第二の大問題だとルートウィヒが私にいったのは、扉と窓についてだった。それは全部鉄製です。とても背の高い扉で、これまたとりわけむずかしいものだったのです。桟は垂直にだけあり、水平の桟がないので、精度を保つことは困難だといわれたものです。八つの製作所と細部にわたる話し合いがなされたうち、やっと一つが引きうけたのですが、何ヶ月もかかって製作した扉も、使用に耐えないといって突きかえされました。最後に扉を完成した製作所との話し合いの途中、派遣された技術者がまったくヒステリー状態に陥ったりしても、彼はあきらめませんでしたが、その技術者はルートウィヒの要求を実施することが可能かどうか、疑問に思っていました。事実、製作所がとりわけ優秀だと思っている専門家にまかせても、遂に成功しません。筆舌につくしがたい程の長期間に実施と製作がなされたその結果は、興奮と、費やされた努力にまさに値するものでした。
※一切の装飾を排した把手
※把手と鍵穴
ルートウィヒは、すべての窓、扉、窓の把手、放熱器などを、あたかも精密機械でもあるかのような精度で、すばらしいプロポーションのデザインに仕上げました。それから彼は、非妥協的な精力をもって、すべてのものが同じような精度でつくられるよう叱咤したのです。私は錠前屋が鍵穴の位置について彼に尋ねていたのを聞いたことがあります。"ちょっと、技師さん、たった一ミリがあなたにとって重要なんですか。" すると彼が言い終わらぬうちに、大きい声で "ヤア(そのとおり!)" というので、錠前屋はもう退くしかありません。
※放熱器(写真が撮られた時点では白く塗装されているが当初は金属の色だった)
あかるい部屋におかれた二つの黒い物体のシンメトリー、ああ、何とすばらしいものでしょう。放熱器は、まったく非のうちどころないプロポーションをしており、正確で、なめらかで、やさしい形をしているので、グレーテルが寒い季節が過ぎると、それを美しい美術品の台に使用すると、放熱器だとは分からない程でした。
住宅が完成して後、ウィトゲンシュタインはふたたび哲学の世界に戻っていきます。
註)①文中 "グレーテル"と呼ばれているのは、マルガレーテ・ストンボロウ=ウィトゲンシュタイン嬢のことです。
註)②今回はこの本の表記にしたがいルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインのことを "ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン" としました。
註)③ウィトゲンシュタインが若いころ学んだのは航空力学であり、建築家として正規の教育は受けていません。
追記 磯崎新の代表的な作品として、私なら『奈義町現代美術館』を挙げます。ここは建物自身が常設展という不思議な建築なのです。