(承前)←第1章を読みたいヒトはこの文字列をクリック!
さて、第2章に取り掛かることにします。
前回、事実(センテンス)と事物(モノ)について規定されたワケです。『世界を構成しているのは事物ではなく事実である』という発想の転換があったワケですが、ここで事態と対象という新しい言葉が登場します。今後の理解のためにこれらの言葉を解説しておきます。
2.01 事態は、対象(事柄、事物)が結合したものである。
2.011事態の構成要素であることができるのは事物にとって本質的なことである。
対象は事柄と事物を含んだ概念ということです。
事柄の説明は特にナイのですが『対象とはモノとその状態である』という風に理解しておきます。
さらに、ここで事態とは事実を含む概念であると説明されます。
事態のうち『そうである』ものが事実で、事態は『そうでない』ものまで含んだ概念です。
2.04 現実になっている事態たちの総体が、世界である。
2.05 現実になっている事態たちの総体によって、どういう事態が現実になっていないのか、ということも規定される。
ここまでは前回のおさらいって感じです。
で、新しい概念が示されます。
2.1 私たちは事実の像をつくる。
像ってナンだ!?パッと思いついたのはプラトンによる『洞窟の比喩』でした。
※『洞窟の比喩』我々が現実だと思っているものは真(イデア)の世界の影にしか過ぎない。
当たらずとも遠からずです。
これは現実を表現するためにはその写像が必要なのだ、ということ。
例えば夕暮れの菜の花畑を、蕪村は『菜の花や月は東に日は西に』と詠んだけれども、
ある人はこの風景を写真に撮り
また、ある人はこれを歌にする。
これらは現実の像である、という訳です。これで、ようやく第三章に読み進むことができます。
3 事実の論理像が考えである。
3.001「ある事態を考えることができる」とは、私たちがその事態の像をつくることができる、ということである。
3.01 真の考えの総体が世界の像である。
ここで、この章の最初に示した集合論的な図(↑)の緑色の部分のことだと分かったらOKです。
簡単ですね(ホントか?・・・・)。
(つづく)←凝りずに第3章を読みたいと思ったヒトはこの文字列をクリック!。
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ヴィトゲンシュタイン 論理学 もう何言ってんの〜??
の世界でした。
今回 mobile さんが しっかり咀嚼して下さったものを
ジーッと読んで 考えてみますね。
それから kindle unlimited にあったので
ダウンロードしたものを これまた あれこれ考えながら
読んでみます。
こればっかりは ミステリー読むわけには参りませんです。
ああ、
わからない、
わからない、
難しすぎて、とても私の頭ではついていけません┐('~`;)┌
mobileさま
ご心配いただきありがとうございました。
少しずつ元気になってきました。
今年ももう終わろうとしています。
どうぞよいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。
まだほんの数ページしか進んでナイのがバレる‼(自分の言葉に直すのは難しいンです)。挫折しないよう頑張ります🙋。
分からないのは私の説明が悪いンです。
ごめんなさい🙇ごめんなさい🙇。
偏に反省です。
続けてください。
単純に「命題が現実の像である」としておいた方が分かりやすいでしょう。
つまり、『ソクラテスは哲学者である』という命題は、ソクラテスが哲学者であるという事実(事態)に対応する像である、ということです。
ですから「当たらずとも遠からず」と言っています。正解だとは言っていません。
読み進みながら書いていますので、途中で感想が入るのは仕方がありません。
-------☆☆☆-------
第3章でキチンと図に描いて「世界→(写像)→論理空間」の関係を示しています。
https://blog.goo.ne.jp/mobilis-in-mobili/e/c22eb957954260fb9f6823fbcebb1842
第3章まで素直に読むとこの図のように理解した、ということですので、よろしく。