本来哲学は『この世界はいったいどのような姿をしているのか』を問う学問だったはずです。
しかし自然科学の発達によってその役割は数学や天文学、素粒子理論等にその立場を譲ってしまったように思えます。
そのような時代に哲学の役割とは何なのだろうか?単に理屈をこねくり回すだけの学問なのだろうか?
一般に哲学は難しいと思われがちだ。特にその用語は難解だ。どうしてこんな難しい言い方をしなければならないのか?全くもって理解に苦しむものが多い、多すぎる。
※エドヴァルド・ムンク『叫び』
私が(勝手に)敬愛する梅原猛先生は『難しいことを難しく語るのは誰にでもできる。難しいことを易しく語ることが大事なのだ』というようなことを仰った(テキトーな記憶にもとづいて書いているので一語一句正確なものではない、ご了承いただきたい)。私もその意見には全面的に賛成です。ある時、哲学者の方にその疑問をぶつけたことがある。その方の答えは『難しい概念を取り扱うには、難しさに耐えて考える訓練が必要なのです』というものだった。その時は『そういうものなのか』と思ったけれど、今になってみれば『本当にそれでイイのか?』と思えてならない。
哲学などとと呼ぶから難しく思えるので、英語でいうフィロソフィはもっとくだけた感じなのです。『ものの考え方』くらいの語感だと思えます。そのように気軽に考えたいものです。
"What a wonderful philosophy you have." Mad Max (1979)
※マッドマックスより(『何でもするよ』の答えとして)『いい心懸けだ』って言ってます。
で、ここに『20世紀最大の哲学書』なるものがあるのです。出版元の光文社は『カラマゾフの兄弟』の新訳を出して評判になった会社。この哲学書も読み易い文体で書かれ『普通に読める』とあるじゃないか。さらにこの本、実に薄い!(本文は150ページに満たない小著なのだ)。・・・それにしてもこんな凄い本が880円+消費税で買えるって、現代とは凄い時代なのだとしか言いようがない。
※ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』光文社古典新訳文庫/2014年1月20日初版第1刷
しかしながら、この本が哲学に関する20世紀最大の転換点になったのは間違いないのです。
で、これから読み進めていこうと思います(きなこママ以外誰もコメントしてくれなくなってもイイ!そういう決心で!)。
では、最初のページです(本全体が、数字とそれに続く文章で構成され、数字はヴィトゲンシュタイン自身が附したものです)。
1 世界はそうであることのすべてである。
1.1 世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。
さあ、いきなり難しいことが出てきた。これは論理学の世界観を示す言葉なのです。
世界は何で構成されているか?地球や人や犬猫その他の動物,松梅桜その他の植物,・・・etc.と考えるのが普通ですが、論理学上はそうではないとヴィトゲンシュタインは言います。モノではなくセンテンスの総体が世界だ、というのです。
こんな時『なんでや!』と言うのが関西人の特質です。
そこで試しに『犬とは何か?』を考えてみることにします。
実は『犬とは何か?』を説明するのは結構難しいのです。『イヌ科の動物の総称』では何の説明にもなっていません。犬を表現しようとするとこれはセンテンスになります。『犬は四つ足である』,『犬は尻尾がある』,『犬はワンワン吠える』・・・。論理学上は『こうした記述の総体が世界である』というワケです。
1.11 世界は、事実によって規定されている。その事実がすべて事実であることによって規定されている。
1.13 論理空間のなかにある事実が、世界である。
1.2 世界を分解すると、複数の事実になる。
こうして初めてアリストテレス的三段論法も成り立つのです。①『四つ足で尻尾があってワンワン吠える生き物は犬である』→②『ポチは四つ足で尻尾があってワンワン吠える』→③(結論)『ポチは犬である!(おおっ!)』
(つづく)←無謀にも第2章を読みたいと思ったヒトはこの文字列をクリック!
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懐かしいー、ジャストマイタイプでした♡
試験で、哲学者の顔写真が10人ほどズラリと...
「その哲学と代表的な著作を記入せよ」って...
クッ~ヤラ( ゜∀゜ )レタという思い出があります。
相変わらずセンスの良いチョイスにノックアウトでございます。
酸素タンクも空にせずに、、、
無事に、ご帰還出来ますように…。祈。
ヴィトゲンシュタインは人間的にも興味の尽きない人物です(顔つきも凄く個性的)。
最初に興味を持ったのは、山田正紀『神狩り』を読んだときです。
何と!小説の冒頭にヴィトゲンシュタインが登場し、ラッセルとの決別について語ります(・・・あーあ、バラしちゃった。私が本を読む動機って実にイイ加減なのです)。
とりあえず、読み通せるよう努力致します。
I believe that the heart does go on
Once more you open the door
And you're here in my heart and my heart will go on and on
(マイ・ハート・ウィル・ゴー・オンぐるぐる)
頑張れ、ネモ船長。
語りえないことについては、沈黙するほかない、
そういうわけで、、、お元気で。
いえ、ご好意は有難く頂戴致します。
コメントを下さった事、そしてここにご招待下さった事、本当にありがとうございます。
『難しいことを難しく語るのは誰にでもできる。難しいことを易しく語ることが大事なのだ』
凄くよく分かります。
そしてそれと同時に私にとって凄く苦手な事です。
私にはある大好きな小説があります。
「涼宮ハルヒシリーズ」です。
この作品には、「時間平面理論」等、難しい事が出てきます。
そしてこれをこの作品の登場人物が説明したりします。
私は、たとえば私が「時間平面理論」を他の人に説明するとしたらどう説明しようかと考えました。
そして、私は音楽のようなものと説明しようと想いました。
「時間には断絶がある」
「それは限りなくゼロに近い断絶」
こういった事を例えるのに私にとっては音楽が最も適していました。
『難しいことを難しく語るのは誰にでもできる。難しいことを易しく語ることが大事なのだ』
本当にその通りだと想います。
私も他の人に説明されて全く分からない事がよくあります。
それは私の理解力が不足している事が原因である事が多いと想います。
ですが、それでも「わかりやすく説明してよ」を想う事がよくあります。
会話って本当に難しいですね。
実際に会ってお話したら表情やジェスチャーもあってわかりやすい事もありますが、文字だけの世界ではそれがない。
しかも実際に会ってお話した場合、表情やジェスチャーが言葉の本当の意味をかき消してしまって言葉の本当の意味が伝わらなくなってしまう事もある。
実際に会ってお話した場合、感情的になってしまってもそれを我慢せずに一気にまくし立ててしまうかもしれない。
文字だけの会話の場合、感情的になってしまっても物理的な声が届く事はなく、落ち着いてからお返事できるかもしれない。
会話ってお話の内容や状況によって物理的な声でおこなった方がいい事もあるし、文字だけでおこなった方がいい事もある。
会話って本当に難しいですね。
今回のあなたのお話でその事を改めて想いました。
大切なお話をして下さって本当にありがとうございました。
さくらのユーホへの失礼なコメントに対して丁寧なご返事を頂戴して恐縮です。
この件は当面早急な判断はせず調査結果を待とうと思っています。全面賛成でなくって申し訳ないのですが・・・。
『涼宮ハルヒの憂鬱』はテレビシリーズで観て結構好きです。私はあの『きょん』とか、あるいは『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』に登場する『ヒッキー』とかのキャラに共感を覚えます。変に斜に構えたスタイルですみません。
また、ときどき様子を見に行きますので、よろしくです。
『論考』の趣旨は、対象が確定しておれば、すべての要素命題も自動的に確定し、すべての要素命題が確定すれば、複合命題も自動的に確定する、というところにあります。つまり、「すべての命題=語りえることのすべて」はすでに確定しているというわけです。
そして、すべての命題はもとはと言えば単純な対象を組み合わせただけのものだから、「語りえることはすべて明晰に語ることができる。」ということになります。しかし、日常語による命題もどきの例を挙げて説明していると、mobilisさん地震は理解していたとしても、説明を聞いた人はその辺のニュアンスを掴み損ねるような気がします。
われわれが経験するのは事実であってものではないという意味だと思います。
例えば、リンゴというものを例にとりますと、リンゴそのものが単独で我々の経験に現れるということはありません。
「テーブルの上の皿にリンゴが置かれていた」とか、「母親がナイフでリンゴの皮をむいていた」というような具体的事実として現れてくるのです。