「一九四五占守島の真実」 相原秀起著 PHP新書 2017年発行 より転記する
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第五方面司令官樋口季一郎は、ソ連軍が千島列島を占領した後、北海道まで攻め込むに違いないと察し、
91師団に対して「断乎、反撃に転じ、上陸を粉砕せよ」と命じた。
8月18日早朝より戦が始まった。
大本営が指示した自衛戦闘終了の刻限は18日、午後4時。
戦闘の最中、午後1時、長島大尉が停戦交渉に出発。
午後4時を迎え、各部隊は積極的な戦闘を中止した。
午後6時50分、池田連隊長敵中に突入。
19日朝、長島とソ連大佐の停戦交渉始まる。
午後3時、竹田浜で始まる。
72旅団長・杉野巌と参謀長の柳岡武らを派遣した。
杉野が口火を切って、現在、両軍が対峙している現状ラインで停戦することを提案した。
ソ連軍は停戦と同時の即時武装解除、さらに日本軍戦車を後退させる要求をしてきた。
杉野らはソ連側の要求を受け入れることにして、堤師団長のもとに戻ってきた。
しかし、
堤は停戦については承知するが、即時武装解除は認めなかった。
満洲の関東軍が即時武装解除の結果の、居留民の悲劇を恐れた。
このため、
柳岡と長島は翌20日、再びソ連軍と再交渉することとなった。
ソ連側は日本の背信行為と受け取った。
20日、
再び竹田浜へ柳岡と長島が目指した。
ソ連軍に監禁された。
午後7時、
旅団や戦車隊に明21日午前6時総攻撃の命令をした。
大本営から「即時停戦と武装解除」が届いた。
21日、
堤はソ連軍将校に停戦と即時武装解除に応じることを伝え、
午前6時直前
「攻撃止め!攻撃止め!」。
22日正午、
堤は長島や通訳とともに占守島沖合に停泊するソ連警備艦「キーロフ」に赴き、降伏文書に調印した。
武装解除は
占守島の中央部の三好野飛行場で行われる事が決まった。
23日、
弾薬・兵器・トラック・小銃などが集められ山積みにされた。
正午前、占守島防衛の指揮を執っていた73旅団の杉野巌少将が現地に到着、
約1万3千人の将兵が並ぶ中、蒼白な面持ちで入場して、全将兵に最後の別れの閲兵を行った。
全将兵が南西の皇居を排して君が代を斉唱した。
続いてソ連軍指揮官のグネチコ少将らが入場、杉野旅団長と握手をして武装解除は終わった。
この日、
モスクワのスターリンは「日本人捕虜50万人をソ連に移送し強制労働に従事させよ」と指令を出した。
武装解除後、
占守島の戦車兵・小田は島に上陸してきたソ連軍重戦車を見て衝撃を受けた。
「あの日にこんなものが上陸してこなくてよかった」とほっとした。
主力の97式中戦車でもまったくかなわないことは一目みればわかった。
その砲身はまるで高射砲のようだ。
「こちらはせいぜい6トン軽戦車、相手は30トンくらい。これじゃあ相手にならない。早く戦争が終わって良かった」。
この戦車に日本軍戦車の砲弾が命中しても簡単に跳ね返されただろうと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第五方面司令官樋口季一郎は、ソ連軍が千島列島を占領した後、北海道まで攻め込むに違いないと察し、
91師団に対して「断乎、反撃に転じ、上陸を粉砕せよ」と命じた。
8月18日早朝より戦が始まった。
大本営が指示した自衛戦闘終了の刻限は18日、午後4時。
戦闘の最中、午後1時、長島大尉が停戦交渉に出発。
午後4時を迎え、各部隊は積極的な戦闘を中止した。
午後6時50分、池田連隊長敵中に突入。
19日朝、長島とソ連大佐の停戦交渉始まる。
午後3時、竹田浜で始まる。
72旅団長・杉野巌と参謀長の柳岡武らを派遣した。
杉野が口火を切って、現在、両軍が対峙している現状ラインで停戦することを提案した。
ソ連軍は停戦と同時の即時武装解除、さらに日本軍戦車を後退させる要求をしてきた。
杉野らはソ連側の要求を受け入れることにして、堤師団長のもとに戻ってきた。
しかし、
堤は停戦については承知するが、即時武装解除は認めなかった。
満洲の関東軍が即時武装解除の結果の、居留民の悲劇を恐れた。
このため、
柳岡と長島は翌20日、再びソ連軍と再交渉することとなった。
ソ連側は日本の背信行為と受け取った。
20日、
再び竹田浜へ柳岡と長島が目指した。
ソ連軍に監禁された。
午後7時、
旅団や戦車隊に明21日午前6時総攻撃の命令をした。
大本営から「即時停戦と武装解除」が届いた。
21日、
堤はソ連軍将校に停戦と即時武装解除に応じることを伝え、
午前6時直前
「攻撃止め!攻撃止め!」。
22日正午、
堤は長島や通訳とともに占守島沖合に停泊するソ連警備艦「キーロフ」に赴き、降伏文書に調印した。
武装解除は
占守島の中央部の三好野飛行場で行われる事が決まった。
23日、
弾薬・兵器・トラック・小銃などが集められ山積みにされた。
正午前、占守島防衛の指揮を執っていた73旅団の杉野巌少将が現地に到着、
約1万3千人の将兵が並ぶ中、蒼白な面持ちで入場して、全将兵に最後の別れの閲兵を行った。
全将兵が南西の皇居を排して君が代を斉唱した。
続いてソ連軍指揮官のグネチコ少将らが入場、杉野旅団長と握手をして武装解除は終わった。
この日、
モスクワのスターリンは「日本人捕虜50万人をソ連に移送し強制労働に従事させよ」と指令を出した。
武装解除後、
占守島の戦車兵・小田は島に上陸してきたソ連軍重戦車を見て衝撃を受けた。
「あの日にこんなものが上陸してこなくてよかった」とほっとした。
主力の97式中戦車でもまったくかなわないことは一目みればわかった。
その砲身はまるで高射砲のようだ。
「こちらはせいぜい6トン軽戦車、相手は30トンくらい。これじゃあ相手にならない。早く戦争が終わって良かった」。
この戦車に日本軍戦車の砲弾が命中しても簡単に跳ね返されただろうと思った。