しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

学校帰りの森陰で

2020年05月24日 | 城見小・他校
学校帰りの森陰で



学校から茂平までは遠かった。
峠の手前に泉が湧いていた。
その泉に降りて行って手酌で水を飲んでいた。
泉の水は・・・当然ながら・・・塩分がまったくなく、
塩辛い水に慣れていた茂平の子にとっては名水だった。
女の子も、男の子もその泉の水を飲んでいた。
しかし学校へ行くとき、泉で飲む子は誰もいなかった。

野苺
帰り道は腹が減っていた。
道べりには、春から夏に野苺があった。
その野苺をつまんでは食べた。
しかし、野苺は実が小さく
食べても食べても腹の足しになることはなかった。

三太郎
用之江から茂平になり、道べりにTくんちの畑があった。
その畑は李が植えてあり、初夏に三太郎が食べごろになった。
その頃は、意識してTくんといっしょに帰っていた。
その訳は、Tくんが畑に入って三太郎を取って食べることがあり、その時は一個渡してくれた。
三太郎は、噛むときにプシッと皮を破る音がするのが好きだった。
すっぱい味もよかった。
その頃父に、
「ウチにも三太郎を植えてほしい」と言った。
父はすぐに植えてくれたが、木が成長して実がなる頃(高校生になっていた),
もう三太郎に興味はなくなっていた。

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岡山市民会館に新川次郎ショーを見に行く

2020年05月24日 | 昭和51年~64年
岡山市民会館に新川次郎ショーを見に行く

高校一年生の時、笠岡の大和座で「新川次郎ショー」があった。
その日は授業があり、見に行くお金もなかった。
授業中、今頃新川次郎は歌っているのだろうな、と気になった。
それから10余年後、岡山で新川次郎ショーがあった。
その時は独身貴族でお金のことはまったく気にならなかったが、
既に、新川次郎の地位が小さくなっていて、
「西川峰子・新川次郎ショー」だった。主役は西川峰子の方だった。
場所は岡山市民会館。
新川次郎は最後に「東京の日よいつまでも」を歌った。
その三番目は、
♪ああ岡山の日よ いつまでも~ で終わった。
いい声をしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

岡山市民会館に北島三郎ショーを見に行く

中学生の時、北島三郎が「ブンガチャ節」でデビューした。
次の「泪船」もヒットした。
それ以来北島三郎のファンだった。
昭和50年ごろ、岡山市民会館で「北島三郎ショー」があった。
既に歌謡界の大物になっていた。
定時後、一人でショーを見に行った。
数々のヒット曲を歌ったが、途中のおしゃべりで
「聴かせてやってんだから」と発言した。
その言葉を聞いた時、
いっぺんに北島三郎に対する熱が冷めた。
その発言のある前から、ステージでなんとなく偉そうな感じがしていた。
当時、三波春夫が
「お客様は神様です」のフレーズが知られていた。
それまでは、ファンに阿るような気がしていたが、三波春夫を大いに見直すようになった。
それからは、三波春夫の歌をよく聴くようになった。



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