しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ミカンを作る

2022年02月04日 | 農業(農作物・家畜)

(広島県生口島のレモン谷)


小学校の5年生だった頃、
両親は、それまで雑穀を作っていた畑でミカン栽培を始めた。
海沿いの段々畑で南向き、乾いた土地で条件はよかった。
その畑に行くと、年中ミカンの香りが漂い、瀬戸内海を行き交う船が見えて、
子ども心にも好きな風景だった。
中学校に入ると社会科の先生が、
「これからの農業は米麦だけでなく、ミカンなどがいいです」というようなことを授業で話していた。
両親はミカンの栽培を増やしていった。
高校生になる頃は、ミカンはすっかり成木になり、甘くなり、皮は薄くなっていた。
農具を入れる長屋には何段にもミカンを保管し、春まで順次に出荷していた。
茂平では有数のミカン農家となっていた。

高校を卒業してから、
尾道~今治航路の船に乗った。
船から見る島々のミカンには仰天した。
海岸から山の山頂近くまで、すべて段々畑で、そのすべてがミカン畑だった。
全山ミカン畑、全島ミカン島、といった感じの芸予諸島の島々だった。

船かおりてからも、衝撃はつづいた。
今治~松山の予讃線の汽車に乗った。
予讃線の車窓風景は片方が海、片方がミカン山だった。

両親のミカンはとても広島・愛媛のミカン農家には勝てないと思った。
規模以外に、ミカンにかける農家の意気込みを感じたから。

両親はミカン栽培を増やさなかった。
定期的に予防や草取りをして、秋になれば取入れ・・・を惰性的にも見えるようにつづけた。
そのミカンは人が来れば手土産に渡したり、小荷物で贈り物にしていた。
果物作りでも、(お金にならない)おまけの作物としてつづいた。

後年父は、「国が作れいゆうて作って、もうかったもんは何もねぇ」と語っていたが、その言葉はまっさきにミカンを思い起す。

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(父の話)

農林省がみかんを奨励して、植えると補助がでた。
それでみかんを植えたのだ。
最初はいくらかもうかっていたいたが、全国植えすぎで値が下がりだした。
それからはずっとだ。
国が言ってからするもので儲かるものはありゃあせん。


談・2000年05月28日

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(広島県高根島、甘いミカンで知られている)


ミカンを育てる

柑橘類は、世界でもっとも多くつくられている果物です。
日本では温州ミカンがもっとも多くつくられています。
日本での柑橘類の栽培は、暖かな気候の九州から東海地方に集中しています。
生産地は、静岡県、和歌山県、広島県、愛媛県、佐賀県、長崎県、熊本県などで、
主に生食用に用いられ、ジュースや缶詰にも加工されています。

温州ミカンは、
暖かな南面の傾斜地で栽培されています。
冬に暖かく、四季をとおして風が通り、排水性の良い場所が適しています。

傾斜地の栽培は、労力がかかり、作業道やモノレールを整備しています。
温州ミカンは、一年おきに豊作と不作をくりかえす隔年結果が起こりやすい果樹です。
剪定や摘果の仕方を工夫をして、隔年結果を少なくしています。

5月に花を咲かせます。
実は7月ころ自然落果をし、それが終わるころ摘果をします。
病害虫の防除をしながら育てます。
7~8月に散水します。
11月12月に収穫します。収穫が遅れると翌年の収穫に影響が出ます。
すぐ集荷するものと、貯蔵して出荷調整するものがあります。

「日本の農業4」 長谷川美典 岩崎書店 2010年発行




(広島県大崎下島大長のミカン畑、大長ミカンで有名)

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ミカン

海に南面して陽光と潮風を存分に受ける。
しかし急斜面での作業は足場が悪く、ことに収穫は大変である。
「温州ミカン」は明治以後普及した。

「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行


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コメント (1)
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