しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

矢掛町の古墳散歩④番外編・茶臼山城本丸の石垣遺構

2022年02月10日 | 江戸~明治
場所・岡山県小田郡矢掛町矢掛・東三成
名称・茶臼山城跡「茶臼山文化の丘」
訪問日・2022年2月9日


これより矢掛・茶臼山城へ登城する。小田川の流れと矢掛市街地を見ながら登る。






春は桜の名所、茶臼山城跡。

今日は茶臼山城の石垣遺構を見に来た。春になって若葉が出る前に来ようと思っていた。




・・・・・

茶臼山城跡

天正12年(1584)毛利元清は標高96mの茶臼山へ移城した。
そして慶長5年(1600)関ケ原のの戦に西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した城跡である。
その間には九州征伐や征韓の役で三度の往復の途次、
豊臣秀吉が再三立ち寄った史実がある。
更に築城史的にも中世の山城から近世の平城に移る過渡期の枡形を持った平山城の典型的な形式を遺し周囲に濠を廻らし、
本丸、太鼓丸、二の丸、三の丸、小丸と幾段にも曲輪や櫓を設け、
山陽道の要衝をおさえる見事な城構えを今に遺す貴重な史跡なので、
矢掛町合併30周年を記念して「茶臼山文化の丘」として整備したものである。

(現地説明板)

・・・・・・



茶臼山城本丸の石垣↑。

もう少し石垣に近寄れるのだが、枯れ枝に服が引っかかったり、枯葉に滑ってひっくり返るのもイヤだからここまでにする。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢掛町の古墳散歩③小迫大塚古墳

2022年02月10日 | 令和元年~
場所・岡山県小田郡矢掛町南山田
名称・小迫大塚古墳
訪問日・2022年2月9日

二度目の訪問だったので、場所を探す心配や手間はなかったが、
前回に比べ、周辺の環境が一変していた。
ソーラーパネルに左右とも挟まれた、古墳への径だった。



・・・・・

小迫大塚古墳

矢掛町重要文化財
所在地 矢掛町南山田
指定年月日 昭和48年4月11日
管理者 南山田財産区







両袖型の横穴式石室をもつ、一辺23~27mの方墳。
現在石室全長10.7m、玄室の長さ6.5m、幅2.4m、高さ2.3m。
羨道部長さ4.2m、幅1.8m、構築年代は古墳後期から終末期と考えられる。
周囲に空濠があり、石室は南に開口する。
羨道の最前部は一部破損しているが、内部遺構は完全に保存されている。
天井の4枚の巨石、奥壁の岩は見事な一枚岩である。
町内古墳のうち最大のものである。
矢掛町教育委員会

(現地説明板)




(古墳のうえから南方を望む。前方に竹林寺山の天文台、すぐ近くにはソーラーパネルが見える)




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢掛町の古墳散歩②橋本荒神塚

2022年02月10日 | 令和元年~
場所・岡山県小田郡矢掛町里山田
名称・橋本荒神塚
訪問日・2022年2月9日




のどかな里山田の橋本地区の荒神さん横に「橋本荒神塚」はあった。
横穴式石室の奥に石棚があり、迫力があった。
古墳の周辺は地域の人の聖域になっているようで、清掃され、
見学がきもちよく出来た。

・・・・・




橋本荒神塚

町指定文化財
指定年月日 昭和41年4月12日
所在地 矢掛町里山田2524-1
管理者 橋本町内会
本古墳は南に開口する横穴式石室の円墳で、
墳丘の規模は高さ5メートル、径20メートルを有しています。
周囲には橋本古墳群として15基の円墳が確認されており、
荒神塚はそのうちの最大のもので、
築造年代は古墳時代後期(6~7世紀頃)といわれています。
古墳の前には荒神様が祀られており、
現在でも信仰の対象となっています。
石室は両袖式で大きさは、長さ約7.5メートル、巾約2メートルです。




また、この古墳で特出すべきは石室内部に石棚(いしだな)を有している点で、
このような石棚をもつ横穴式石室は和歌山県や九州地方に多く、
岡山県下では岡山市一宮の古墳などに6基確認されているだけです。
このことから備中地域にとどまらず広域にわたり活躍していた被葬者の姿がうかがえます。
矢掛町教委員会

(現地説明板)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢掛町の古墳散歩①芋岡山白江遺跡

2022年02月10日 | 令和元年~
場所・岡山県小田郡矢掛町中
名称・芋岡山白江遺跡
訪問日・2022年2月9日

峠道を登ったところにお堂や、古いお墓があり、遺跡の標識があった。
山に入って約5分、古墳に着いた。
古墳は落ち葉に埋まり、上の部分が見えるだけだった。



・・・・・

白江弥生時代後期集団墓地遺跡(芋岡山)
矢掛町重要文化財
昭和41年指定
所在地 矢掛町中白江
管理者 白江部落
地表下約7、8センチメートル土壌墓29基
組立石棺 2基
弥生時代後期共同墓地の遺構である

一号石棺 昭和34年7月発掘調査
長さ1.6メートル 巾 0.55メートル 深さ 1.35メートル
頭骸骨及び大腿骨の一部、櫛の残欠1個
頭骨は大阪市大鑑定で老年男子であった。
二号石棺
昭和41年2月調査
長さ1.7メートル 巾 0.35メートル 深さ 0.3メートル
保有悪く 性別その他不明。
以上一二号墳の成立年代は5世紀ごろと思われる
矢掛町教育委員会
(現地説明板)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする