場所・岡山県小田郡矢掛町矢掛・東三成
名称・茶臼山城跡「茶臼山文化の丘」
訪問日・2022年2月9日
これより矢掛・茶臼山城へ登城する。小田川の流れと矢掛市街地を見ながら登る。
春は桜の名所、茶臼山城跡。
今日は茶臼山城の石垣遺構を見に来た。春になって若葉が出る前に来ようと思っていた。
・・・・・
茶臼山城跡
天正12年(1584)毛利元清は標高96mの茶臼山へ移城した。
そして慶長5年(1600)関ケ原のの戦に西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した城跡である。
その間には九州征伐や征韓の役で三度の往復の途次、
豊臣秀吉が再三立ち寄った史実がある。
更に築城史的にも中世の山城から近世の平城に移る過渡期の枡形を持った平山城の典型的な形式を遺し周囲に濠を廻らし、
本丸、太鼓丸、二の丸、三の丸、小丸と幾段にも曲輪や櫓を設け、
山陽道の要衝をおさえる見事な城構えを今に遺す貴重な史跡なので、
矢掛町合併30周年を記念して「茶臼山文化の丘」として整備したものである。
(現地説明板)
・・・・・・
茶臼山城本丸の石垣↑。
もう少し石垣に近寄れるのだが、枯れ枝に服が引っかかったり、枯葉に滑ってひっくり返るのもイヤだからここまでにする。
名称・茶臼山城跡「茶臼山文化の丘」
訪問日・2022年2月9日
これより矢掛・茶臼山城へ登城する。小田川の流れと矢掛市街地を見ながら登る。
春は桜の名所、茶臼山城跡。
今日は茶臼山城の石垣遺構を見に来た。春になって若葉が出る前に来ようと思っていた。
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茶臼山城跡
天正12年(1584)毛利元清は標高96mの茶臼山へ移城した。
そして慶長5年(1600)関ケ原のの戦に西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した城跡である。
その間には九州征伐や征韓の役で三度の往復の途次、
豊臣秀吉が再三立ち寄った史実がある。
更に築城史的にも中世の山城から近世の平城に移る過渡期の枡形を持った平山城の典型的な形式を遺し周囲に濠を廻らし、
本丸、太鼓丸、二の丸、三の丸、小丸と幾段にも曲輪や櫓を設け、
山陽道の要衝をおさえる見事な城構えを今に遺す貴重な史跡なので、
矢掛町合併30周年を記念して「茶臼山文化の丘」として整備したものである。
(現地説明板)
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茶臼山城本丸の石垣↑。
もう少し石垣に近寄れるのだが、枯れ枝に服が引っかかったり、枯葉に滑ってひっくり返るのもイヤだからここまでにする。