しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和39年、西郷輝彦が歌手デビューした

2022年02月22日 | 昭和36年~40年
東京オリンピックがあった昭和39年、
日本中に活気と若者の雑踏があった。
しかし、できたばかりのクラウンレコードは有名歌手が北島三郎と五月みどりの二人だけの、まさによれよれの状態。
そこへ「君けを」の西郷輝彦がデビューし、つづいて水前寺清子が売れて会社は継続権を得た。クラウンは西郷で救われた。





当時は歌が売れると、即映画化され、歌った人も出演していたが、
新聞の芸能蘭では、西郷の演技が上手いという評価だった。


管理人もまた、「十七歳のこの胸に」「涙をありがとう」「涙になりたい」は、歌も映画も楽しませてもらった。
その後映画では予科練生になったり、小説吉田学校に出たり、
テレビでは現代劇、時代劇。主役、脇役、なんでも演じて楽しませてくれた。


カラオケでは、
「十七歳のこの胸に」「涙をありがとう」「兄妹の星」の3曲が持ち歌。
ということは、
60年近くも、西郷さんで人生をいくらか味付けされたり、憩いの時を持つことができて、
お世話になってきたわけだ。

合掌。

(西郷輝彦は2022年2月21日、75歳で亡くなった)






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メートル法  昭和33年3月22日 

2022年02月22日 | 昭和31年~35年
体重27貫500の若乃花


その頃、茂平の家には農作物の計量用にハカリがあった。
大人が計ってくれると「6貫じゃ」、
学校で先生が計ると「22キロです」。

大相撲のラジオ放送は〇〇貫、△△尺、と力士を紹介していた。
今思うと、この頃からアナウンサーもメートル法で紹介に変わったのだろう。

天声人語氏が気にしている土地・建物はまだ半分使われているし、
アメリカが関するものではヤード・ポンドがそのまま使用しているように思う。

メートル法に関係ないが、ちょうどこのころ年齢の数え方が変わった。
「年齢(トシ)は何ぼうなら?」
「数えでココノツで、満でヤッツです」というような会話をしていた。


・・・・・・



メートル法  昭和33年3月22日 天声人語・荒垣秀雄

メートル法でいくと、”佐渡は四十九里波の上”の佐渡おけさも
”佐渡は百九十二コンマ四キロメートル・ナーミーの上”という迷調子になる。
”千里眼””斗酒なお辞せず””五万石の殿様””一寸の虫にも五分の魂”
などはどんなふううになるか、ひまな御仁はひとつ換算してみてもらいたい。

これはまあ冗談だが、長年おなじみの尺貫法もことし一ぱいでさよなら。
来年一月から計量単位はメートル法に統一される。
大工さんや建具屋さん、畳屋さんは目を白黒させることであろうが、
実施のやさしい面もある。

若乃花の体重は二十七貫五百匁だというが、若い世代の人たちには身長も体重もメートル法が身について、何尺とか何貫目というとかえって首をかしげる。
国民の六三パーセントはメートル法で育ってきている。
一般の国民も、鉄道のキロ数やタクシーのメーターでメートル法に慣れているし、
米の配給でも電気、ガス、水道の使用量でも主婦はメートル法になじんでいる。

問題なのは土地、建物の計量である。
これはお役所仕事からいっても、登記簿や土地建物台帳の書きかえが大仕事なので、
この面でのメートル法実施は四十一年三月末まで延期されている。
それまでは”坪”も”間”も使う。
六尺に三尺のタタミが一・八メートルに〇・九メートルの畳になり、
六間の間口が一〇・九メートルの間口になり、
二十四坪の家が七九・三平方メートルというふうに、いちいち換算するのか。
ややこしくて家がひん曲がったり戸障子が合わなくなろう
それは材木の造り方から違ってくるし、家の規格も根本的に変わってくる。
かといって、今住む家をとり壊しもならず、元の寸法で修理や取り替えもせねばなるまい。
さてどういうことなるか、
笑いごとではない。




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