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世直し大江戸学 石川英輔 NHKラジオ 2009年10月~12月号
民間まかせの初等教育
さまざまな教科書
現代人の多くは、それほど就学率が高かったのならさだめし教育制度は完備していたのだろうと思うだろうが、
江戸時代の日本には、義務教育の制度どころか庶民のための学校制度や教員免許など、教育に関する法規そのものがなかった。
幕府には、民間教育の部門がなく、江戸の市民行政を担当する町奉行所でさえ、手習いを専門に担当する役人などいなかったから、
誰でもその気になれば寺子屋・手習い塾を開業し、「お師匠様」と最高の敬称で呼ばれる教師になれた。
高等教育にはある程度の予算をつけて学問所を建てた幕府だったが、一般庶民の手習いにはまったく無関心だったといっていいだろう。
教室は、教師の自宅を使うのが普通で、教師の生活空間を昼間だけそのまま教室に転用したのである。
そんないい加減なことで初等教育ができるのかと首をかしげる向きもあるだろうが、それで高い識字率を維持していた以上、子孫のわれわれが余計な心配をする必要はない。弊害がなかった理由は簡単で、自転車もなかった時代の人々は狭い地域社会に住んでいたので、都市でもたちの悪い人間が入り込めばすぐわかったからだ。
寺子屋の教科書のことを「往来物」という。
往来とはもともと「手紙のやり取り」の意味で、
平安時代には手紙の模範文例集の意味になっていた。
鎌倉時代から室町時代になると、手紙文のための単語や短い文章などを集めた教科書のように使われるようになり、江戸時代には、寺子屋 で使う教科書の意味になった。
そして、数えきれないほどたくさんの往来物が刊行された。
寺子屋の教科書の中でもっとも有名なのが『庭訓往来』だろう。
これは代表的な往来物で、文語の手紙文の模範例になる二五通の手紙を十二ヵ月に配列してある。
現在の学校と寺子屋・手習いの最大の違いは、今の学校が「一斉授業」であるのに対して寺子屋式が「個別授業」だという点だった。
今の教室では、机を教師の方へむけて同じ教科書の同じ所を勉強するのが基本だが、
寺子屋式では一人一人の進み具合に合わせて教えるため、教師は原則として生徒と一対一で向き合う。
だから、生徒は机を好きな方向へ向けておくのが普通だった。
寺子屋には制服のたぐいはない。
服装は親の好みや経済力にしたがって決めることであり、師匠が口出しするべきことではなかったからだ。
寺子屋や手習いは、男子だけ、あるいは女子だけの塾が普通だったようだが、男女共学がなかったわけではない。
夫婦で師匠をしていて、夫が男子、妻が女子を教える場合もあった。
お上の決めた決まりはないので、それぞれの地域に合ったやり方で教えていたのである。
寺子屋教育の基本は読み書きだが、勉強が進むと漢文の初歩を習う場合もあった。
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「鴨方町史」
江戸幕府の文教政策と町人階級の台頭・農村の商業化に伴い、江戸中期以降庶民の間に読み・書きを主とする学問への要求が高まり、特に幕末期にかけて寺子屋は増加の一途をたどった。
町内にも多くの寺子屋の出現をみた。
寺子屋の実態を鴨方町にあった梅林舎を例にとってみると、次のようであった。
師匠坂本氏(斉・復二父子)は神職で、社務の余暇に教授した。
学科は習字と読書であった。
弘化・嘉永ごろ(一八四四~五四)より習学科を始め、読書科を漸次教授するにいたった。
習字科は正・草二体仮名より漸次教え、習字本はいろは・数字・通用金銭・名数・包物送遺・人名・村名・郡名・国名・商売往来・諸職往来・消息往来・風光往来・
書状文・庭訓往来であった。
読書科は三字経・孝経より漸次教えた。
読書は三字経・孝経・小学・四書・五経・諸詩集で、
女子は、女用文章・女小学女大学・そのほか各自随意であった。
授業時間は、朝の七つ (午前八時)より晩の七つ (午後四時)までの八時間で、その間に昼食時間を休んだ。
修業年限は数年が一般的であったが、梅林舎の例では、九年六年五年となっていた。
束修(入門料)・謝儀(授業料)などは入用であった。
授業料は、師匠より一定の額を定めないですべて父兄の意志に任せた。
五節句・中元・歳暮などに 贈り物がなされた。
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「ビジュアル版 学校の歴史」 岩本・保坂・渡辺 汐文社 2012年発行
江戸時代の筆記用具はどんなもの?
A. 筆記用具は筆と和紙
江戸時代に一般に使われていた筆記用具は筆です。
寺子屋での学習の中心は習字で、使われていたのは墨と毛筆と紙(和紙)でした。
字を双紙(半紙を何枚も束ねて冊子にしたもの)に書きました。
紙は貴重品でしたから、同じ紙に何度も重ね書きしたり、墨のかわりに水を使い、乾かしてはまた使ったりしました。
江戸時代の携帯用の筆記用具は 「矢立」 でした。
矢立は硯と筆を1つの容器におさめたもので、
硯の水(墨)がこぼれないよう、もぐさという草などにしみこませてありました。
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