しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

割烹べにす

2023年12月30日 | 無くなったもの(笠岡市)

場所・岡山県笠岡市中央町 
閉店・2023年11月30日
撮影日・2019.8.25


"べにす”がなくなった。

”べにす”では、
たまに昼食に行ったり、
年に二回の愛好会の新年会と夏のビール会をしていた。

 

 

料理もよく、
場所もよく、
会計もやさしく、
ママさんはおだやかな人だった。

突然の閉店に、
多くの笠岡人がびっくりしたり、さみしがっていると思われる。
11月末で閉店し、お店の看板はすぐに撤去された。

 

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鞆の浦トライアスロン

2023年12月30日 | 無くなったもの

場所・広島県福山市鞆町「せとうち福山―鞆の浦トライアスロン」大会
無くなった日時(発表日)・2023年12月22日
撮影日・2017年6月4日

 

鞆のトライアスロンが無くなるようだ。

・・・

中国新聞Web(最終更新: 2023/12/22)
鞆の浦トライアスロン、2024年以降開催せず
トンネル工事遅れ駐車場確保できず

福山トライアスロン協会(広島県福山市)は、
2024年以降、「せとうち福山―鞆の浦トライアスロン」の開催を打ち切る。

・・・

 

スタートは名勝鞆の浦の仙酔島。

仙酔島から泳いで本土へ渡る。

 

自転車でグリーンラインを登って、降りる。

 

芦田川の河川敷でバイクを置いて、ランが始まる。

 

 

 

 

芦田川大橋の下まで、河川敷を4~5回ぐるぐる回ってからゴールする。

 

 

鞆の町歩きを兼ねての応援見物は楽しかった。

コロナで中止がつづき、今度はトンネル工事がからんで中止、残念だな。

 

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明治の遠足

2023年12月30日 | 学制150年

明治20年代 

「富国強兵」をめざして、遠足、運動会、修学旅行が、訓育的性格をもって登場した。
明治後期には試験にかわって学芸会が、学習したことを人前で発表することを目標として成立した。
明治期末には、小学校で学校行事を含めた教科外活動の教育的価値が認められてきた。
このとき学校行事は、個々の行事としてではなく、まとまったものとして考えられるようになった。
文部省や地方当局は、外国に対抗できる国家・国民をつくることに懸命であった。
為政者たちは、試験、儀式、運動会、展覧会、学芸会に父兄の参集を強く呼びかけた。
父兄を学校に集め、父兄の教化をもはかった。

「学校の歴史第2巻小学校の歴史」  仲新 第一法規出版 昭和54年発行

 

・・・

(昭和4年の遠足)

・・・


「学校の歴史第2巻小学校の歴史」  仲新 第一法規出版 昭和54年発行


兵式体操の隊列運動の延長ともいえる
当時の遠足とは遠足運動会でもあった。
校外の神社境内、川原、海岸、原野、公園、田などに隊列をくんで遠足し、簡単な遊戯や体操を行って帰校するのが普通であった。

学芸会 
学芸会は試験や展覧会ともことなっていた。
試験とはちがい、教科の談話・対話・朗読や唱歌の合奏あるいは理科実験などであった。
また展覧会とはちがい、学習成果を活動的に発表するものであった。
学芸会は、他の行事よりも遅れて登場した。
学芸会が遅れて成立したのは、家庭との連絡を目的とする父兄懇談会の成立、児童の自主的な表現活動の重視などと関連をもって成立したためである。

・・・


「ビジュアル版 学校の歴史」 汐文社 2012年発行

A. 遠足 修学旅行の始まり
校外に出て集団的に活動する取り組みは早くから行われていました。 
初詣・お参り、見物、登山、船遊び、卒業旅行などがそれにあたります。 
自発的な行事だったといえます。

大正時代になると、小学校でも遠足や修学旅行が行われるようになりました。
大正中ごろになると、弁当を負って遠足が行われるようになり、
6年を卒業すあるときになって修学旅行が実施されました。

・・・

 

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