しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ケンペル「江戸参府旅行日記」三島~箱根・箱根関所~小田原

2021年09月20日 | 「江戸参府紀行」ケンペル&シーボルト
ケンペル「江戸参府旅行日記」  訳者・斎藤信  東洋文庫  昭和52年発行
第十一章  浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月



3月11日

日が昇ると駕籠に乗り込んだ。
今日は小田原の町まで八里の道を箱根の山を越える。

今日の旅程の半ばで昼食をとった。
湖は険しい山々に囲まれている。
ここにはハエも蚊もいないから、夏は静養していてもいいが、冬は非常に寒く体によくない。



(芦ノ湖と箱根の関所)




この村のはずれに将軍の番所があり、御関所と呼ばれている。
新居の関所と同様に、武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を通さないのである。
ここは江戸にとって戦略上の要衝であるから、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍らにある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、
右手には険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。



(箱根の関所)



(箱根の関所)




関所では、
日本人はみな駕籠や馬から下り、かぶり物をぬいで、人も荷物も点検を受けたが、
それはただうわべだけ行われたに過ぎなかった。


(箱根の関所)



(東海道五十三次10・箱根宿)










小田原の市に着いた。
町の外側には門と番所があり、
町筋は清潔でまっすぐに延び、中央の通りは道幅が広い。
城には白壁造りの新しい三重の天守があって人目を引く。




(東海道五十三次9・小田原宿)



住民は小ぎれいな服装をし、礼儀正しい態度、特に婦人の優雅な身のこなしから、裕福で身分の高い人々がここに住んでいるのがわかった。
われわれは、ここから江戸の宿の主人に宛てて、到着を知らせるために手紙を出した。







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