ケンペル「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
第十一章 浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月
3月11日
日が昇ると駕籠に乗り込んだ。
今日は小田原の町まで八里の道を箱根の山を越える。
今日の旅程の半ばで昼食をとった。
湖は険しい山々に囲まれている。
ここにはハエも蚊もいないから、夏は静養していてもいいが、冬は非常に寒く体によくない。
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(芦ノ湖と箱根の関所)
この村のはずれに将軍の番所があり、御関所と呼ばれている。
新居の関所と同様に、武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を通さないのである。
ここは江戸にとって戦略上の要衝であるから、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍らにある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、
右手には険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。
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(箱根の関所)
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(箱根の関所)
関所では、
日本人はみな駕籠や馬から下り、かぶり物をぬいで、人も荷物も点検を受けたが、
それはただうわべだけ行われたに過ぎなかった。
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(箱根の関所)
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(東海道五十三次10・箱根宿)
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小田原の市に着いた。
町の外側には門と番所があり、
町筋は清潔でまっすぐに延び、中央の通りは道幅が広い。
城には白壁造りの新しい三重の天守があって人目を引く。
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(東海道五十三次9・小田原宿)
住民は小ぎれいな服装をし、礼儀正しい態度、特に婦人の優雅な身のこなしから、裕福で身分の高い人々がここに住んでいるのがわかった。
われわれは、ここから江戸の宿の主人に宛てて、到着を知らせるために手紙を出した。
第十一章 浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月
3月11日
日が昇ると駕籠に乗り込んだ。
今日は小田原の町まで八里の道を箱根の山を越える。
今日の旅程の半ばで昼食をとった。
湖は険しい山々に囲まれている。
ここにはハエも蚊もいないから、夏は静養していてもいいが、冬は非常に寒く体によくない。
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(芦ノ湖と箱根の関所)
この村のはずれに将軍の番所があり、御関所と呼ばれている。
新居の関所と同様に、武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を通さないのである。
ここは江戸にとって戦略上の要衝であるから、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍らにある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、
右手には険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。
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(箱根の関所)
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(箱根の関所)
関所では、
日本人はみな駕籠や馬から下り、かぶり物をぬいで、人も荷物も点検を受けたが、
それはただうわべだけ行われたに過ぎなかった。
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(箱根の関所)
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(東海道五十三次10・箱根宿)
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小田原の市に着いた。
町の外側には門と番所があり、
町筋は清潔でまっすぐに延び、中央の通りは道幅が広い。
城には白壁造りの新しい三重の天守があって人目を引く。
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(東海道五十三次9・小田原宿)
住民は小ぎれいな服装をし、礼儀正しい態度、特に婦人の優雅な身のこなしから、裕福で身分の高い人々がここに住んでいるのがわかった。
われわれは、ここから江戸の宿の主人に宛てて、到着を知らせるために手紙を出した。
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