「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
第十一章 浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月
3月10日
日の出に出発、午前中に吉原まで、午後は三島までの道である。
清見に着いた、奥津という小さな町からさして遠くない200戸の村であって、
海岸の砂にたびたび海水をかけ、それを煮つめて良い塩が作られる。
蒲原までの間の村々では耕地がほとんどない。
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(国道1号線、奥津川)
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(奥津川川越跡)
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(東海道五十三次17・興津宿)
馬に乗っていたわれわれは、奥津からはまた駕籠に乗り換えて、最初に早い流れを渡り、
螺旋階段を登るように苦労して薩埵峠の山地を越えた。
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(薩埵峠・・・・この時、富士山が見えるまで2時間待ちました)
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(東海道五十三次16・由比宿)
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(昭和32年前後の由比ふきん)
由比の村までかつがれて進んだ。
そこからまた馬に乗り換えて大きな蒲原の村に着いた。
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(東海道五十三次15・蒲原宿)
1里半で大きくて流れが急な富士川に着いた。
川幅いっぱいに水があるのでなく、二つに分かれて流れており、中洲には露店が立っているのが見えた。
一方は歩いて渡ることができたが、もう一方は歩いて渡るのは危険で、平底の舟でしか割れなかった。
川を渡ってから、再び馬に乗ってたくさんの村々を過ぎた。
昼の1時には吉原という小さな町に着いた。
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(東海道五十三次14・吉原宿)
われわれの全行程中で、富士山はこの辺りから一番近いところにあった。
富士山は旅行中、われわれの道標になり、地図を作るにあたって一つの基準として役立った。
その姿は円錐形で左右の形が美しく、堂々としていて、草や木はまったく生えていないが、世界中でいちばん美しい山と言うのは当然である。
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(東海道五十三次13・原宿)
人々は登るのに三日かかるが、
下りるにはたった三時間しかかからない。
それは、下る場合にはアシとか藁で作った籠を利用し、腰の下にこれを結び付けて、
夏ならば砂の、冬ならば雪の上を、これで滑り下るためである。
日本の詩人や画家がこの山の美しさをいくらほめたたえ、うまく描いても、それで十分ということはない。
吉原から半里のところにある元吉原で昼食をとったが、
子供たちが群れを成して近づいてきて、前方20~30歩のところでとんぼ返りをしながら、輪を描いて駆け回り、施し物をもらおうとした。
子供たちに小銭をたくさん投げてやった。彼らはぶつかりあってつかもうとして、大変面白かった。
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(東海道五十三次12・沼津宿)
沼津という小さな町で夜になってしまい、
残る1時間半の真っ暗な道を、三島まで行かねばならなかった。
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(東海道五十三次11・三島宿)
第十一章 浜松から江戸までの旅
1691年(元禄4)3月
3月10日
日の出に出発、午前中に吉原まで、午後は三島までの道である。
清見に着いた、奥津という小さな町からさして遠くない200戸の村であって、
海岸の砂にたびたび海水をかけ、それを煮つめて良い塩が作られる。
蒲原までの間の村々では耕地がほとんどない。
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(国道1号線、奥津川)
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(奥津川川越跡)
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(東海道五十三次17・興津宿)
馬に乗っていたわれわれは、奥津からはまた駕籠に乗り換えて、最初に早い流れを渡り、
螺旋階段を登るように苦労して薩埵峠の山地を越えた。
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(薩埵峠・・・・この時、富士山が見えるまで2時間待ちました)
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(東海道五十三次16・由比宿)
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(昭和32年前後の由比ふきん)
由比の村までかつがれて進んだ。
そこからまた馬に乗り換えて大きな蒲原の村に着いた。
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(東海道五十三次15・蒲原宿)
1里半で大きくて流れが急な富士川に着いた。
川幅いっぱいに水があるのでなく、二つに分かれて流れており、中洲には露店が立っているのが見えた。
一方は歩いて渡ることができたが、もう一方は歩いて渡るのは危険で、平底の舟でしか割れなかった。
川を渡ってから、再び馬に乗ってたくさんの村々を過ぎた。
昼の1時には吉原という小さな町に着いた。
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(東海道五十三次14・吉原宿)
われわれの全行程中で、富士山はこの辺りから一番近いところにあった。
富士山は旅行中、われわれの道標になり、地図を作るにあたって一つの基準として役立った。
その姿は円錐形で左右の形が美しく、堂々としていて、草や木はまったく生えていないが、世界中でいちばん美しい山と言うのは当然である。
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(東海道五十三次13・原宿)
人々は登るのに三日かかるが、
下りるにはたった三時間しかかからない。
それは、下る場合にはアシとか藁で作った籠を利用し、腰の下にこれを結び付けて、
夏ならば砂の、冬ならば雪の上を、これで滑り下るためである。
日本の詩人や画家がこの山の美しさをいくらほめたたえ、うまく描いても、それで十分ということはない。
吉原から半里のところにある元吉原で昼食をとったが、
子供たちが群れを成して近づいてきて、前方20~30歩のところでとんぼ返りをしながら、輪を描いて駆け回り、施し物をもらおうとした。
子供たちに小銭をたくさん投げてやった。彼らはぶつかりあってつかもうとして、大変面白かった。
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(東海道五十三次12・沼津宿)
沼津という小さな町で夜になってしまい、
残る1時間半の真っ暗な道を、三島まで行かねばならなかった。
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(東海道五十三次11・三島宿)
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