徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

言葉の問題/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(3)

2013-07-15 09:17:49 | News
最後に木村さんと千田さんがイベントの終わりに言った「ヘイトではなくはっきりと差別と言った方がいいんじゃないか」というメッセージについて。
それは確かにそうで、その方が伝わりやすい場合もある。しかし「差別」という言葉が持つ昔ながらの硬直化したイメージよりも、ヘイト、ヘイトスピーチという言葉が持つ喚起力の方が大事じゃないかと思うわけです。
Jリーグの「革命」というのは、ファンをサポーターに、球団をクラブ、フランチャイズをホームタウンと言い換えたところから始まる。差別という言葉の通りやすさよりも、オレはヘイトという言葉の持つ違和感の方が、今は必要なんじゃないかと思う。在特会が自ら講習会(たぶん頓珍漢な内容だろうけれども)を開いてしまったように、ある意味で人を挑発し、人を動かす言葉ってのは必要です。

で、やっぱし個人的にはこの言葉を思い出す。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

当たり前のようでいて、今もこの言葉は頭の片隅に置いてある。

「憎悪」だけでサッカーは楽しめるのか/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(2)

2013-07-15 09:11:52 | News
『ネットと愛国』でその事実を書いた安田浩一さんも改めて指摘したように、「2002年」が嫌韓のきっかけになったレイシストは少なくないらしい。当然、2002年というのは小泉純一郎首相の日朝首脳会談と日韓ワールドカップだ。

1996年5月29日、博多の森球戯場で行なわれたキリンカップ・メキシコ戦は興味のない観衆、視聴者をも惹きつける好ゲームとなり、当時代表史上最高のゲームと評された。3日後に決定する2002年ワールドカップ開催国決定に最高の機運が訪れた。
いまだにワールドカップ出場経験のない開催候補ではあったが、ホームゲームとはいえメキシコ相手に一歩も引かないゲーム内容に、誰もが日本単独招致を疑わなかった。Jリーグ各サポーターも招致委員会の活動に協調し、来日したFIFA理事へのPRに自ら協力していたものの、Jリーグブームは沈静化し始めていたし、FIFA副会長だった鄭夢準大韓サッカー協会会長の強力な政治力に一抹の不安を感じながらも、開催国は日本だろうと固く信じていた。
しかし、結論は日韓共催。やはり鄭夢準の政治力でドローに持ち込まれたという印象が強い。
サッカーにはドローがある。劣勢がドローに持ち込めば、むしろ勝ちに近い。逆に勝利を確信しながら終了間際に同点ゴールを決められればダメージは大きい。この辺り、鄭夢準はやはり政治家で、サッカーを知っていた。
盗まれた(韓国の招致委員会設立は日本の2年後)と憤ったサッカーファンも少なくはなかったけれども、出し抜けを喰らった招致委員会はともかく、この「遺恨」についてニュースはそれほど続かなかったと思う。何しろ共催とはいえ自国開催が決まった以上、2002年の前大会である1998年のフランス大会は是が非にでも出場しなければならないとサポーターは覚悟したからだ。
だから翌1997年のアジア予選は、アジア大陸を横断する初のホーム&アウエイ方式も相まって異常な盛り上がりを見せた。アジア予選の壮行試合となった国立競技場での日韓戦では20歳の中田英寿が本格的な代表デビューを果たした。中田は後に国歌斉唱問題で右翼に糾弾されるわけだが、1997年以降、2002年へ向けて、いかに「代表」が世間の注目を集め続けていったのか、ということである。

そして2002年は日本のサッカーファン念願だった「祭り」になる。もうひとつのホスト国である韓国のゲーム(イタリア戦、スペイン戦)を、主審として華麗にアシストしたモレノというスーパースターも生まれた。



2002年までは「代表のサポーター」がいた、と思う。2002年以降は、きっと状況が変質してしまったのだろう、と思う。
しかしスタンドそのものが今変質しているのかといえばそんなことはないだろう。確かに「代表専門のサポーター」もしくは「代表にそれほど興味を持たないJリーグサポーター」が増えたのは実感としてあるが、ここでいう「過激化」しているのはサッカーや代表のゲームをダシにヘイトスピーチをする快感を覚えてしまったネット限定サポーターで、要するにネトウヨである。
鄭夢準の関与疑念を招きかねないモレノのレフリングや一部韓国サポーターの挑発的な行動は、嫌韓を是とするネトウヨを狂喜乱舞させ、彼らにサッカーの「もうひとつ」の楽しみを教えてしまった。ゲームを通じて「敵」を口汚く罵倒する楽しみ、である。勿論、サッカーの楽しみ方はそれだけではないのだが。



サポーターはネットによって育まれた。その「ゆりかご」の代表格が2ちゃんねるとサポティスタだっただろう。
2ちゃんねる前夜のサポティスタはスタジアムで配布されていた、実に情熱的なサポーター有志によるフリーペーパーだったわけだが、サイト化と同時に「ネタ」集めのポータルサイトとして浸透した。2ちゃんねるの代表的な嫌韓ネタスレといえば「しお韓(ようやくしおらしくなってきた韓国サッカー)」だろうか。数々の2ちゃん用語=ヘイトスピーチを生み出しながら、「ネタ」としての嫌韓を煽り続けた。
勿論今でも「ネタ化」をカルチャーと言い換えてもおかしくはない。それも確かにサッカーの楽しみ方である。しかしレイシズムの土壌になってしまっては、そんなカルチャーはお話にならない。

Jリーグにしても、代表にしても現状でスタンドでヘイトを繰り出す悪質なネットサポーターは少数派だろう。
磐田サポーターの少年2人がやらかした「ゴトビ核兵器」ダンマクなどは、いかにも2ちゃんねる的な無邪気なヘイトスピーチだった。そんなバカは確かにまだ少数派だ。
しかし、それに対して「スタジアムに政治は持ち込まない」というお題目を唱えているだけのリーグの対応はまったくお粗末で、ヘイトスピーチに関してやはり無自覚だったと思わざるを得ない。FIFA、UEFAがアピールしているように問題が国際的に共有されつつある今こそ、問題が小さい(小さく見える)からといってスルーするのではなく(まさにこれは「荒らしはスルー」のテンプレ化の弊害だ)、リーグも積極的にメッセージしていくべきだろうと思うのである。


(木村 元彦、園子温、安田浩一『ナショナリズムの誘惑』ころから)


(安田 浩一、朴順梨『韓国のホンネ』竹書房新書)


(ガブリエル クーン、甘糟智子・訳『アナキストサッカーマニュアル スタジアムに歓声を、革命にサッカーを』現代企画室)

挑発と憎悪/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(1)

2013-07-15 09:03:34 | News


木曜日。ネイキッドロフトでマリノスの清さん主催の「新大久保アゲインスト・レイシズム サッカーと愛国―フットボールvsレイシズム―」。在特会の悪行を追い続けるジャーナリストの安田浩一さん、松沢呉一さんに加え、ピクシーとフットボールと旧ユーゴスラビアとその周辺で起こった<ヘイトの現場>を描いた名著『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』の著者・木村元彦さん、元日本代表監督イビチャ・オシムの通訳を務め、旧ユーゴスラビアにも長く滞在されていたジャーナリストの千田善さん、レッズサポーターのフリーライター小田嶋隆さん、そして途中客席からはサッカージャーナリスト、写真家の宇都宮徹壱さん、『アナキストサッカーマニュアル』翻訳者の甘糟智子さんが登場するという豪華なメンバーとなった。


(木村元彦『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』東京新聞出版社/集英社文庫)


(木村元彦『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』集英社/集英社文庫)


(木村元彦『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』集英社インターナショナル)


本編は期間限定で公開されている模様なので今のうちに視聴してみてください。
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(前編/ust)
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(後編/ust)
そして司会の清義明さんのブログ。当日話した内容に加えて、おそらく話せなかった(話したかった)と思われる内容ががっつり書かれていますので必読。
くさいものにはフタをしろ!-初心者でもわかる在特会一派とカウンター活動-(清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX)

まずは前提。
サッカーの思想はボーダレスで、日本の片田舎で行なわれているゲームであっても常に「世界」とつながっている。それは背景にカルチャーの違いがあったとしてもボールひとつで「語り合える」共通言語を持っているからで、そこにサッカーの否定でしかないヘイトが入り込む余地はない。
Jリーグのほとんどのクラブには外国人プレーヤーが加入していて、またラグビーほどではないにしても、「日本人」だけで構成されているはずの日本代表には帰化選手が毎回のように参加している。サッカーという共通言語の前で日本人であること、日本である意味はそれほど重くはない。「違いがあること」それがサッカーの「豊かさ」を担保している(音楽だって、映画だって、文学だって同じ事だ)。

スタジアムでモンキーチャントのようなヘイトスピーチ(差別表現)が横行する欧州のシーンや、文字通り血を血で洗うようなヘイトの戦場だった旧ユーゴスラビアと日本の現状は勿論比べ物にはならない。しかし欧州にしてもヘイトスピーチに対する規制はまだ歴史が浅いという。だからこそ近年UEFA、FIFAでは差別反対に関して積極的なPRが行なわれている。
オレたちはゲーム前にテレビに映し出される、その<FIFA Say NO to Racism>という横断幕をどこか絵空事のように見ていないか。

翻ってみれば、直接「差別」という言葉ではなくとも、これまでも我が日本平スタジアム(IAI日本平スタジアム)には「人権」に関するバナーが掲示されていたし、配布物の中にそれに関するチラシもあった。
オレたちはそれを軽くスルーしている。2ちゃんねるあたりではそれを嘲笑するような書き込みも多く見た。
『空気の研究』ではないが<空気と安全はタダ>というのが日本の通り相場だったはずだが、いまやこれに「人権」を加えてもおかしくない。国会議員によって「生活保護」の思想が否定され、毎週のように排外デモが行なわれるこの日本で、生きる権利、平等に生きる権利は、それほど、残念ながら軽く、安っぽい(軽く見られて、安っぽく扱われている、と言うべきか)。

日本のスタジアムではヘイトスピーチ(差別表現)がほとんど見られない。しかし文字通りのヘイト(憎悪)=挑発はサポーターの習い性で、スタジアムでは揉め事がいくらでも起こる。2008年にサポーター同士が直接衝突したレッズ対ガンバ戦や、今年4月に4時間近くサポーターがスタジアムに軟禁されたレッズ対エスパルス戦のように挑発(または誤解)がエスカレートするケースも知っている。おとなしくて、従順な日本のサポーターの間でもヘイゼルヒルズボロのような悲劇は起らないとも限らない。

一方で、そんな挑発を「ネタ」として、観戦のスパイスにしている事実も否めない。
小田嶋さんが言うように、サポーターはゲーム中だけはヘイトスピーカーなのかもしれない。
その意味でサポーターは挑発(ネタ)のエスカレートに対して自覚的で、スタジアムは高度に空気を読まなければならない空間でもある。「ある程度」の挑発は織り込み済、挑発をネタとして楽しみ、もはやゴール裏同士で挑発し合うことが名物になっているゲームは存在する。いくら2ちゃんねるに醜悪なヘイトスピーチが溢れていようとも、日常的に、スタジアムという現場でサッカー的な思考に触れているJリーグのサポーターは、良くも悪くも空気を読む。つまりある意味でマニア化、蛸壺化しているわけだが、それ故にエスカレートに関して「安全装置」も働くわけだ。
過激なコアサポーターはどのクラブにも一定数いる。Jリーグで最も動員力がありレッズが最も「過激」で「暴力的」であるのは、抱えているサポーターのパイが他クラブよりも巨大で、一般的であるということだろう。一般的になればなるほど、ヘイトの問題は顕在化していく。

ということで、目下の問題は「代表」ということになる。
いや、スタジアムという「現場」に行かない、ネットサポーターというべきか。