徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

福島県原発関連死地図(2013年度)

2014-03-10 23:59:59 | News Map

■原発関連死のあった福島県の自治体
<東京電略福島第一原発事故に伴う避難で体調が悪化し死亡した事例などを、本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、少なくとも1048人に上ることが分かった。昨年3月の調査では789人で、この一年間で259人増えた。事故から3年がたっても被害は拡大し続けている。>
(東京新聞2014年3月10日付 原発関連死1000人超す/福島、1年で259人増 避難長期化続く被害 本紙集計)

オレたちに世界を体感させるもの/「JAPANESE ONLY」問題

2014-03-10 22:09:37 | Sports/Football
何を通して「世界」を見るか。
本であったり、音楽であったり、演劇であったり、映画であったり、アートであったり。それがサッカーのようなスポーツである人も多いだろう。当然のことながら、世界を見つめる“接点”が多ければ多いほどオレたちの「世界」は拡がり、よりクリアに見えてくる。見えるというのは大げさかもしれないけれども、少なくともオレたちは世界を意識する。
思考に言葉のハードルはあっても国境のハードルはない。
オレたちがサッカーで見ているものは「世界」の豊かさだ。

「JAPANESE ONLY」問題。
すでに開幕戦で特定のプレーヤーに対して人種差別的なブーイングが起きたという話も出回っていた。土曜日は日本平に行って負けてヤケ酒を呑んでいたので、それどころじゃなかったのだが、日付に変わったあたりで事件を伝えるニュースを目にした。
「JAPANESE ONLY」という横断幕が意味するものはレイシズム以外にないのは多くの記事やブログで指摘されている通りだし、世界中のメディアに拡散されている現状では、この件に関していくら言い繕っても無駄としか言いようがない。10日の報道ではダンマクの提出者は浦和フロントの聞き取り調査に対して「差別の意図はない」と答えているようだが(またメディアでは、ヘイトスピーチ擁護とも取れるような様々な“意訳”を交えて報道しているが)、日本の、そして世界中のレイシストが使う、この言葉を選んだ時点でアウトなのだ。
すでにレイシズムを監視する市民の会によって、Jリーグ(公益社団法人日本プロサッカーリーグ)宛てた、<差別的横断幕 "JAPANESE ONLY" を出したサポーターおよびこれを放置した浦和レッドダイヤモンズ株式会社に対する断固たる処置を求める署名>も行われている。これはJリーグの中の話だけでは済まない。

JAPANESE ONLY(『オシムの伝言』公式ブログ)
「外国人お断り」-浦和レッズのゴール裏に差別主義横断幕(清義明/連載.jp)

Jではアジア枠が設けられているように、アジア系のプレーヤー、特に日中と共に東北アジアの3強リーグである韓国出身プレーヤーの獲得、起用はもはや特別なものではない。むしろ外国人枠3名とは別に有望な“外国人”が取れるのだから、多くのクラブはこれを有効活用するし、ほとんどのサポーターもそれを歓迎する(たぶん)。スタジアムレベルでは、Jリーグは少なくとも人種差別的な行為は皆無で、健全なリーグだと言える。
しかしJサポのアングラサイトでもある2ちゃんねるのドメサカ板では、半島出身者や在日を獲得すると必ず揶揄する書き込みが現れる。エスパルスならば「チョンパルス」といった具合に。主催者の系列団体に問題があったとはいえ、健太体制時代に韓国で開催されたピースカップに参加したときも中傷が酷かった。さすがにネトウヨの巣窟である。サポの文化(ネタ化)の少なくない部分は2ちゃんねる経由で行われ、熟成される。2ちゃんねるの最大勢力のひとつであり、現実にも決して“アジア枠”を使おうとしなかったレッズの姿勢は少々特殊ではあった。

月刊浦和レッズマガジン3月号に掲載されている「浦和ウルトラ師弟問答」なる企画で、URAWA BOYSの元リーダーである相良純真氏が、こうコメントしている。
<浦和のウルトラは韓国が嫌いだからね。ウチの歴史にはないことだから、最初はいろいろな反応が渦巻くと思う。昔はチョウ(・キジェ)さんがいたけれど、今ほど嫌韓の雰囲気はなかったからね。クラブのスタッフが本人には伝えているそうだけど、本人が相当の覚悟を持って浦和に来ていることは僕も感じるんだよね。そういう選手に対して、僕は頭ごなしに『でもダメだ』とは思えない。>
問題は「クラブのスタッフが本人には伝えている」という部分だ。これはクラブがレイシストの存在を明らかに認めているということだろう。ダンマク提出者の責任やコアサポ周辺の問題だけではなく、フロントがレイシストを看過してきたと言わざるを得ないのではないか。
浦和レッズやJリーグが国内完結型の方向性を持っているならともかく、出自を理由にした排除を求めるレイシズムは、サッカーというスポーツとJリーグのベクトルとは明らかに真逆なのだから、リーグやクラブの処分は適正に行われることを求めたい。

まあ、しかし正直なところ、浦和のフロントやリーグがどのような「処分」を下すのかは現時点では疑問ではある。
去年の清水エスパルスに対するサポーターの軟禁事件、選手バス襲撃事件に対するリーグ、フロントの処分は激甘だったという印象は否めない。さらに「差別事案」といえば、2011年5月のゴトビ核爆弾横断幕事件でのリーグの見解はあまりにも甘かった。浦和フロントは勿論、これまでトラブルに対するリーグの姿勢はほとんど事なかれ主義に近いものだったと言える。それはいかにも「差別に無自覚」な日本らしい立ち振る舞いだった。今回の件に関しても、リーグは「どのようなものであるかは分からないが、万一差別的行為であるならば看過はできない」とコメントしている。「どのようなものであるかは分からないが」ではない。レイシストのメッセージは明らかろう。
これはホームタウン、サポーターといった言葉で、これまで20年に渡ってサッカーを通して日本人の意識に変革を起こしてきたはずのJの理念に反するものといわざるを得ない。
ヘイト行為は一瞬にして多くの人を傷つける。そして残念ながら、「差別の意図はなかった」と安易に言い訳して取り下げることができる。ヘイトダンマクは簡単に降ろすことができるのだ(実際には信じられないことにゲーム終了まで降ろされなかったらしいが…)。実に簡単な話だ。
でも“そのダンマク”を降ろせば話は終わるのか。

日曜日には、またひとつサポーターの行動について残念なニュースがあった。千葉サポーターがゲームに勝ったにもかかわらず、また唯一の得点を挙げたプレーヤーにも関わらず、そのプレーヤーが「ライバルクラブからの期限付き移籍」というだけで、ライバルクラブを中傷するタオルマフラーを手渡してゴール裏でスピーチさせたという事件だ(また悪いことにチームカラーが同色なのだ)。
何て陰湿で、残酷なんだろう。何て男らしくないんだろうと思う。

勿論ゴール裏同士を口汚く罵り、煽り合うことはサポーターの習い性で、ある意味でエンタテイメントとも言える。
そんな煽り合いにも“社会”のルールはある。オレたちはサッカーを通して世界を、そしてオレたちが生きている社会(コミュニティ)を体感する。これは出自や年齢、性別を超えて、自分の愛するクラブの勝利のみを願い、サポートすることを共有する、シングルイシューの社会だ。それを逸脱するような行為は許されるべきではないだろう。そんなものを“相手”として認められるだろうか。
オレたちがスタジアムで争うのはサッカーへの理解、自分たちのクラブへの愛情の深さと熱さだ。
浦和レッズは、10年前の2004年に優勝したというだけで「サポーターだけ」を特集した前代未聞のMOOKが作られるようなクラブだ。こんなクラブは今のところレッズ以外、日本にない。愛情の深さも熱さも認めざるを得ない。
しかし、こんな事件はあまりにもセコ過ぎて、なんて男らしくないんだろうと思う。
そして、こんなことを繰り返すのは、レッズだけではなく、サッカーへの裏切り行為とも言えるものだ。ダンマク首謀者の“彼”は誰と、何を戦っているのか。
最後に、ある浦和サポーターの言葉を引用する。

<僕は、最後まで、サッカーに対してだけは裏切っちゃいけない、と固く誓っている。なぜならば、サッカーは僕のことを決して裏切らないからなんです。>

ヘイトダンマクは降ろされても、サッカーは一生続く。スタジアムのヘイト問題は適正な処分が下ることを願うし、サッカーに興味のない人たちや去年一年ヘイトスピーチと闘ってきた人たちにまでロックオンされてしまった以上は、これまでのような処分では済まされないことは確実だろう。
次の浦和のホームゲームはオレたち、清水戦である。今回の件で心を痛め、署名活動などに動いている浦和サポーターの皆さんには申し訳ないが、オレたちは違うところを見せてやろうぜ(やっぱし煽っておく)。

つまらない連中に四角四面に仕切られる前に、煽り合いながら一緒に前に進むんだよ。



サッカーとレイシズムの問題については、昨年7月に清義明さん主催のイベントが行われたので、こちらも参考に。
挑発と憎悪/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(1)
「憎悪」だけでサッカーは楽しめるのか/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(2)

【追記】
(当事者ブログ)サガン鳥栖戦における埼スタゴール裏ゲートでの人種差別的弾幕について。(「想像力はベッドルームと路上から」2014年3月9日付)
史上初の勝ち点剥奪か無観客試合 浦和にJが厳罰検討(中日スポーツ 2014年3月12日付)
横断幕 村井チェアマン「差別と認識」(デイリースポーツ 2004年3月12日付)

五野井郁夫 サッカーファンの名誉を挽回する(上)――人種差別に立ち向かった浦和レッズのサポーターたち(WEB RONZA 2014年03月21日)
五野井郁夫 サッカーファンの名誉を挽回する(下)――スポーツが持つ自浄能力(WEB RONZA 2014年03月22日)

横浜のゲーム/第2節 横浜FM戦

2014-03-10 01:16:46 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日は日本平でホーム開幕戦、横浜Fマリノス戦
大チャンスの後にあっさりカウンターを決められて、横浜にだらだらとスカされて、逃げ切られたという展開。終盤に怒涛の攻防があったとはいえ、 確かにACLを含めた連戦を控えている横浜に「流された」と言ってしまっても仕方がない展開ではある。樋口監督のコメントにもあるスカウティング、早めの先制点で容易になったゲームコントロールという意味では、どこをどう見ても横浜のゲームだったことは間違いがない。ホーム開幕戦なのに。

アブシンが全幅の信頼を置いているプレーヤーとはいえ大輔と浩太を組ませるとこうなるのも仕方がないとか、駿が中途半端にポストに徹していたのを見るにつけ、前半のうちにもっとシンプルに長いボールを試してみるのもいいんじゃないかとは思った。「ハイタワー」がまだ絶対的に機能する武器でない今、もっとチャレンジしてほしかったと思う。トシや村田の機動力やスピードも、その大きな展開の中で活きてくるだろう。
まあ、その中でも元紀は相変わらず高いテンションで自分の能力を発揮し続けるプレーヤーだと改めて思った。

そして指摘したいのはレフリーの問題である。
開幕前に出回った良記事<古参マリノスサポーターの「長く続けるサポ講座(全11回)」>では、レフリングに関しては「審判を理解する」としているのだが、こればかりは納得できない。負けたから言うわけてまはないが、今回は改めてレフリーについて書いておく。
レフリーというのは、要するに「どっちもどっち」の人である。彼らは、味方と敵しかいないスタジアムのビッチの中で、公平中立でなければならない存在である。その立場には同情するとはいえ、オレは彼らには公平中立であることに厳しく要求する。
プレーヤーは文句を言えないのだから(それ自体、カードを貰いかねないのだから表立って批判はできない)、“12番目のプレーヤー”はもっと文句を言うべきだと思うのだ。
この日、ゲームを担当した中村さんにもオレは要求した。ゲーム後だって文句を言った。俊輔にFK蹴らせたいからファウル取ってんのか、このヤローてな具合に。
終ってしまえばこれもエンタテイメントの一部で、「審判を理解する(楽しむ)」も理解できなくもないのだけれども、ゲームのフェアネスを保つためにも、やはりスタンドはしっかり要求した方がいいのではないかと思う。

この流れならば発狂寸前にヒートアップするのが日本平というスタジアムだったはずなのだが、開幕戦でありながら、ピッチに対してスタンドの圧力がいまいち感じられなかったのもちと残念だった(Aゾーンの野次オヤジ軍団は今年も健在だった…)。
大量の出禁者を出した去年のアウエイダービーの一件から、去年までゴール裏を引っ張ってきた2000年代以降のコアはどういう変化をしていくのだろうか。
次は15日、アウエイでセレッソ“フォルラン”大阪戦。

レッズの差別的弾幕の件は改めて。

3年経つということ/NO NUKES DAY 原発ゼロ★大統一行動&Peace On Earth

2014-03-10 00:21:34 | News


0309NO NUKES DAY 原発ゼロ★大統一行動の請願デモに参加した後、Peace On Earthが行われている日比谷公園へ向かった。
公園のステージ前に着いたとき、ちょうどBRAHMANのステージが始まろうとしていた。とりあえず、できるだけ前に進む。

最後の一曲を前に、TOSHI-LOWの“最後の長いMC”が始まった。
3年経って、オレは変わったのか? オレは成長したのか?日本の社会は変わるのか? 原発は止まるのか?
TOSHI-LOWは言う。SUGIZOがハイスタの曲をやったり、楽屋に教授がいて談笑している。楽屋では3年前には想像もできなかったことが起きている。これが3年経ったということ。3年経って、これが“最後”ではなく、ここからまたスタートですること。ステージ、ステージ脇、そしてステージの前に集まって支えてくれた人たちがいたこと。
3年後に何らかの結果を求めるよりも、3年という月日が過ぎて、3.11前には思いもよらなかった関係が生まれていたことの方が余程重要なことだろうと思う。



3.11を風化させないためと言い、被災者に聴いてもいないラジオを聴かせてドキュメンタリーを作った演出家がいる。風化はなぜ起こるのか。演出家は風化させないためと言って、よりわかりやすく、聴いてもいないラジオを聴かせて被災者への共感と感動を演出するわけだが、それは被災者を固定化させる予定調和に過ぎない。
「風化を防ぐ」というのならば、共感や感動を演出してフィルムに刻み込むよりも、どうしたって変わり続ける、今を伝え続けるしかない。

誰だって変わらないわけがないのだ。オレも3年前と同じように、請願デモの最後尾で歩いたけれども、そこでは3年前と違う風景が見え、年月が経ったことを実感させた。何が変わって、何が変わらなかったのか。そんなことを考えながら歩いた。
3.11以降、反原発からいくつかのイシューが生まれ、いくつもの新しい関係が生まれた。それは3年前には考えられないことだった。いくつものイシューと関係を積み重ねながら、この日のデモを歩きながら見えてきた風景は、2014年の「3.11」としか言えないものだったと思う。たとえ「変わった」としても、しかし、それは風化とは違う。

ます、あれから3年経った、そのことを噛み締めている人には見えているはずだ。
今、立ち向かうべき先は見えている。



BRAHMANのライブが終った後、彼らのタオルマフラーを求める人たちの長い列ができていた。それが反原発や被災地復興のためのデモの隊列につながっていくことを想像した。そうなってくれたら嬉しい。