日曜日はスカパーでJ史上初の無観客試合(ゲーム)となった浦和戦。この注目の一戦でボランチに起用されたのは浩太でもタクでもなく、ミッドウィークのナビスコカップ予選の仙台戦で切れのある動きを見せていた六平と竹内。後半はペトロヴィッチの2枚交替で猛烈に押し込まれたとはいえ、六平はこの一週間で今後の中盤のポジション争いに名乗りを上げた(最後を決めていれば…六平のオヤジも出てきたかも)。ということで…。
無観客ゲームでなければ浦和の同点弾となった後半31分のチュンソンのラグビータックルは見逃されていただろうか(J's Goalのレポートにある通り、あれは、まさにチュンソンが「ゴールをこじ開けた」)。
無観客ゲームなければ、終盤に(関根と)原口に押し込まれまくり、PKを取られてもおかしくなかった豊の危ないファウルは見逃されただろうか。
勿論、それはわからない。わからないけれども、ゴールの歓喜もなくずっと神妙な顔つきでプレイし続けたプレーヤーと比べて、この日のゲームに「緊張感」がなかったとするならば、それはストレスフリーの飯田淳平氏だっただろう。なぜならばサポーターは、チームのチャントを歌ったり、プレーヤーを鼓舞するコールだけではなく、ピッチ上の「フェア」を強烈に求めるものなのだ。
ドローという結果は今回のようなエクストラの状況では無難な結果だったということになるのだろう。勿論“巻き込まれた”形の清水としては納得するわけにはいかないのだけれども、そんなことは浦和のプレーヤーも同じ事で、今回の件はあくまてもチームの問題ではなく、スタンドとクラブの問題である。
ある著名ブロガーによると「浦和はよくやった」のだという。彼によるとクラブのイメージも向上したらしい。差別表現の問題やスタンドの問題はそんなに簡単に払拭されるものなのか。「無関係な」プレーヤーたちにSports for PeaceのTシャツを着せて、メッセージを読み上げさせれば済む話ではない(何故清水のプレーヤーにも呼びかけなかったのか…まったく)。
報道を見る限り「無観客」ばかりに注目が集まり、プレーヤーの神妙なコメントを引用して幕引きに仕立て上げる報道も少なくない。しかし現時点で浦和は全カテゴリでの横断幕、旗の使用を無期限自粛、ゴール裏の全席指定席化も言及している。これは問題がまったく収拾しておらず、見通しが付いていないと見るのが正しいだろう。
しかし本当にプレーヤーは無関係なのか。この問題にはコアサポーターグループの根深い「嫌韓意識」があることは当初から指摘されてきたし、「Japanese only」のダンマク以前に、クラブの調査でもそれは具体的に触れていたはずだ。これはチュンソンが結果を出せばいいだけという話ではないだろう。
また浦和で噴出した問題が他クラブと無縁とは思えない。2ちゃんねるのドメサカ板のようなネット掲示板では、10年前と変わらず差別的な言葉が日常的に使用され、サポーター同士の「挑発」を超えたヘイトスピーチが繰り返されている。それは決してスタンドで既得権を叫ぶ強面の兄ちゃんばかりでなく、普通の人々の間で交わされている。
今回の無観客ゲームに対して、清水のフロントは、IAI日本平スタジアムを開放し、自主的にパブリックビューイングを開催した。PVの開催費用に関して浦和フロントから負担の申し出があったそうだが、浦和に対する今回の処分による全体の負担を考慮し断わったという。
清水というクラブも、昨シーズンはフロントとサポーターの衝突が続いた。去年の今頃など、大敗が続き、そのたびに選手バスが囲まれ、監督と強化部長が直接説明に追われるなど、その関係は最悪に近い状況だった。また秋の静岡ダービーでの一件で、フロントは大量のコアを出禁処分にし、スタンドでのダンマク掲示禁止の処分さえ下した。個人的にはまったく処分は理不尽だと思ったし、トラブルの経緯は納得できるものではなかったし、これは春のトラブルに対するフロントの意趣返しだとすら感じた。
オレは今でもサポーターはフロントに管理されるべきではないと思うけれども、それでもやはり信頼関係は必要だろう。
この日のゲームのハーフタイムには日本平で声を上げ続けるサポーターの様子がプレーヤーたちに伝えられたという。
今回のようなエクストラな状況で、サポーターの信頼を得た清水フロントの措置は、それこそ、「よくやった」と思うのだ。
「Japanese only」のような問題が起こった時、徹底管理ーー横断幕を全面禁止し、全席指定席にすることが正しいやり方とは思えない。「それ」が起きてしまった時、必要なのはフロントの毅然とした適切な対処であり、決してマニュアルで対応する管理ではないと思うのだ。
サポーターがピッチ上のフェアを要求するように、一人ひとりが勇気を持ってスタンド内の「フェア」をも強く要求するようになれば素晴らしい。
その背中を押してくれるのは、やはり、結局は明快で、力強い、こんな「言葉」なのだ。
<まず、今回何が起こったかについて話をしなくてはいけないと思います。人種差別というものは、パスポートも何もあったものではなく、社会の病気だと思っています。それが次の世代へ、親から子へと移っていっていると思います。我々にはサッカーという美しいゲームがあります。この美しいものに色はなく、すべての国際色を持っているものです。(中略)人と人には違いがあり、だからこそ世界というものは美しい場所であると思っています。私がサッカーを始めたころ、サッカーボールは白と黒でした。今、我々が使っているボールには様々な色が使われています。エスパルスには9カ国の国籍の人たちがいます。カナダ、韓国、スロベニア、オランダ、スタッフにはドイツ人、ブラジル人、そして、私はもうどこから来たのか分かりません(笑)。(中略)今日の試合を楽しむことはできませんでした。ファンがいなかったから楽しめませんでした。声がなく、美しいオレンジ、美しい赤の戦いがありませんでした。内容に関しては良い時間帯と悪い時間帯がありましたが、それはファンから得られるパワーやエネルギーが足りなかったからだと思います。無観客試合になるのは、これが最後になることを願っています。1つになっていきましょう。>(アフシン・ゴトビ/J's GOAL 3月23日付)
このゲームの両監督が雄弁な外国人監督だったのは象徴的だった。
ちなみにアフシンと浦和のペトロヴィッチ監督は、ゲームに関しては毎回子供っぽい「挑発」を繰り返す。それが差別でも、単なる罵倒でもなく、実に「フットボール的」なのは言うまでもない。
アフシンが「楽しくなかった」というのは、比喩でも何でもなく、本音だっただろうと思う。