徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

予定調和を越えるとき/差別撤廃 東京大行進に向けて(3)

2013-09-18 21:19:20 | News
当事者とは何か。在特会と在日外国人の関係は加害者と被害者という意味で本来の当事者だろう。
しかしヘイトを吐く人間と吐かれる人間だけが当事者なのか。
加害者にとっては声を上げる当事者が実際の被害者であればあるほど都合がいい。それはとてもわかりやすい構図である。加害者にとって当事者は在日で、反日であって欲しい。それが彼らの予定調和を約束してくれる。
また一方で一部のサヨクのように当事者に「寄り添う」という形で、非常に屈折した当事者性をアピールする人たちもいる。彼らにとって矢面に立つ(べき)なのは当事者同士で、結局「わかりやすい構図」を温存したまま、目の前の問題の解決よりも、終わりのない議論(勉強会)という予定調和を望んでいるように見える。

<リベラルが親になってしまったゲームとは、周到な責任逃れのゲームである。「私には何ができるのだろうか」という問いがしばしば発せられる。(中略)リベラルは、自分たちがリベラルであることをできるだけ多くの黒人に証明してみせるのに多くの時間を消費する。これは、自分たちは黒人の問題に直面しているという誤った確信から生じている。黒人には何の関係もない。問題は白人人種主義であり(中略)白人リベラルは、黒人の問題は黒人自身に任せて、彼らはわれわれの社会の本当の悪―白人人種主義を問題にしなければならない。>(フランク・トーク=スティーヴ・ビコ「白い皮膚に黒い魂?」/スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く 黒人意識運動の思想』峯陽一、前田礼、神野明=訳/現代企画社)

40年前に書かれた若きビコの言葉はそのまま日本の状況にも当てはめることができる。

勿論それまで活動していた在日に加えて、カウンターの高揚によって勇気付けられた在日の参加者の数も増えているだろう。しかし、この半年間に最も急増したのは、「オレだって当事者だ」と自覚した日本人だっただろうと思う。加害者と被害者という当事者同士の単純な構図だけではなく、そこ(新大久保=東京=日本)で共に生きるコミュニティを見出し、加害者に対して怒りの声を上げている。
新大久保でのカウンターの現場で罵倒と共に多く聞くことができた言葉は、
「おまえらは日本の恥だ」
という言葉だったと思う(勿論オレも言った)。右翼でもない日本人が、構えることもなく、自然にこんな言葉を在特会にぶつけた。その「日本」とは勿論国家でも政府でもなく、日本や東京、そして新大久保というコミュニティのことだろう。加害者でも被害者でもなく、同じ場所に共に生きる「当事者」として、彼らの悪ふざけやいじめに怒りの声を上げたわけだ。
新大久保ではカウンターを通してきっと「新しい関係」が生まれつつある。

「仲良くしようぜ」というフレーズも、それは怒りの裏返しであっただろうと思う。またそれは挑発だったのかもしれない。
誰とだっていつでも仲良くできるほどお人好しじゃない。
しかし、あの予定調和の憎悪が渦巻く街でこのフレーズを掲げるということは、例えば同じバスに乗り、隣り合わせた身も知らぬ乗客と「仲良く」するようなものである。自分を甘やかしてくれる他人ばかりではない。しかし自分にとって都合の悪い隣人に意味不明な敵意を向けるのではなく、まず他人を他人として認めろ、ということである。
そこからまた新しい関係が始まる(=仲良くしようぜ)のである。

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

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