徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

本当に「敵」はいないのか

2014-07-06 04:14:49 | News
まず3.11以降のやり方に80年代や90年代の社会運動のような、「敵」はいないという発想はない。
そこにはパブリックエネミーの再発見があった。
新宿の焼身自殺未遂のおじさんのように、原発問題でも自ら命を絶ち、原発政策の理不尽を訴えた農家の方がいた。
そこには命を賭して訴えかけたい、言葉として恨み辛みをぶつけ、遺したい「敵」がいるわけだ。
敵の再発見というのは自らの当事者性を発見するということに他ならない。他人の痛みは共有しつつも、そこに自らの居場所=社会を再認識する。社会に所属する以上はほとんど全ての人々は当事者であり、代弁者ではない以上、その怒りや憤りの熱に嘘はない。
オレは参加できなかったけれども、土曜日は新宿でデモがあった。安倍政権への批判が若い世代にも拡がっているという。
オレは「若いから」と言って評価することはないし、そのイシューはそんなに重要ではないだろうと思っているけれども、若い連中が集団的自衛権に対して、当事者として(徴兵制や戦争そのものに対して)猛烈な危機感を持ったというのも、代弁者ではない、嘘のない本物の社会的発言ということだろう。
若さは偶然としか言いようがないが、共に生きる社会の当事者であることは必然である。この時代に、特定の世代が社会にコミットしつつあるということは重要なことだと思う。

「敵」が明確になった3.11以降の反原発運動以降の社会運動は、自分の言葉で、誰かの代弁者ではない自分の怒りを表明するために人々は路上に出た。どうしたって3.11以前(さらに言えば民主党政権以前)の秩序を「取り戻し」たい安倍政権への闘争は必然である。原発で矛盾が噴出し、未来の破綻が見えた3.11以降の日本社会では、やはりこの流れはやはり必然としか言いようがない。
敵ははっきりと見えているのだから。

安倍shineの件。
自分「たち」の言葉の最大公約数がくたばれ=死ねだったってことじゃねえかなあ。その言葉に嘘がなければ何だって構わない。
経済政策面で安倍政権に対する評価を保留するのは理解できなくもないし、安倍がやらかしている原発推進も、あまりにも強引な集団的自衛権(武器輸出・開発)の真意も、結局は銭儲けの以外の何物でもないと思うが、マルチイシューの極北のような、エコノミスト視点でデモ・抗議批判する人が、こんなリスキーな人間に政権を託して大丈夫だと思うのか…。

ちなみに「首相を辞めれば後はどうでもいい」みたいな意見もあるけれども、オレは比喩ではなくて、本気で死んで欲しいと思ってるし、辞めて死んだ後でも墓は荒らされるべきだと思う。当然死んだら祝福するし。
嫁に誤魔化される気は一切ないし。

結局、オレは奴をネトウヨの親玉、御輿だ、ぐらいにしか思ってないんだけどね。

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