徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

あのときの悪夢/サッカーと原発 Jヴィレッジの今

2013-02-09 22:21:47 | News


「僕個人としては、こういう話を聞くと非常に困ってしまいますね。(略)今回のように原発の何十年後がどうなるかわからない場所に何十年も使うNTCを作る。そんな急に決めていいんですかね。地道にやって欲しいです」(北澤豪/週刊プレイボーイ95年3月7日、14日号)

今週のアエラの記事「クロスした二つのJと復興 サッカーと原発 Jヴィレッジの今」でライターの木村元彦さんが引用したきーちゃんのコメントである。Jヴィレッジの「危険性」は、チェルノブイリの反対運動が完全に沈静化してしまった95年当時であっても、必ずしも原発反対派でなくとも危惧を抱いていたものだったと思う。あのときの悪夢は3.11で現実化した。日本サッカーの拠点だった施設は原発事故対応の前線拠点として使用されている。
東電が原発立地地域の振興策としてのナショナルトレーニングセンター(NTC)「Jヴィレッジ」の建設をJFAに提案したのは1994年。当時JFAは<慢性的な練習場不足に悩>んでいたとは言うが、ワールドカップ予選での「ドーハの悲劇」、Jリーグブーム直後の1994年、要するに東電はブームに便乗しようとしただけという方が正しいのではないか。その後、Jヴィレッジは97年7月にオープン。97年といえばアジア協会で本格的にホーム&アウエイが採用されたフランスワールドカップ予選で日本中が熱狂した年である。ボビー・チャールトンを招いたオープニングセレモニーで東電とJFAはいかに鼻高々だっただろうか。そして2002年のワールドカップ開催に至るまで東電は日本のサッカー界周辺に食い込み続け、イメージ戦略に利用し続けたのだから、もはやJヴィレッジの提案が不幸の始まりと言えなくもない。
しかもJヴィレッジは東電の「寄付」という形にはなっているものの、建設費用は「実質的に電気料金に上乗せされただけ」だという。そして結果的にNTCとして機能しなくなったばかりか、今や東電の事故処理に活用するために召し上げられて芝も剥がされて駐車場になっているというのだから馬鹿馬鹿しい。おまけにJヴィレッジ自体は地元に密着し、設立時の目的である「原発立地の地域振興」に大きく貢献していたというのだからさらに救われない。
勿論Jヴィレッジがサッカー界に果たしてきた役割は小さくはない。それとこれとは話が違う、ということである。

今週のアエラは読んでおいた方がいいと思います。

(Asahi Shinbun Weekly AERA2013年2月4日号)


<今回の措置は、Jヴィレッジがある樽葉町の大部分が昨年8月、警戒区域から外れたことを背景に、原発から変える途中の作業員の装備から、町内に放射性物質が落ちないようにするのが目的。工事車両の除染は、既に原発敷地内で行っている。Jヴィレッジには新施設完成後も東電福島本社のほか、全身の内部被ばく線量を調べる「ホールボディーカウンター」や作業員の休憩所、東電社員の単身寮などが残る。>
(東京新聞2013年2月3日付 福島第一に新除染施設 Jヴィレッジ機能縮小へ)

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