<バブルの時期に日本人が見失った最大のものは、“人間関係”である。それまでの、貧しさから脱却出来ないでいた日本人を支えていた最大のものは、相互依存の人間関係だった。一億総中流の平均化を生んだもの、この相互依存を可能にする“人間関係”というパイプがあったればこそだろうが、すべて金で処理されるバブルの時期には、これがあっさりとなくなった。既に人間関係を持っていて、それを「煩わしい」と思っていた大人ならそれでもよかっただろう。しかし、これから人間関係を作っていかなければならない若い人間には、この欠落が最悪の方向に機能する。(中略)
バブルの時期には、孤立した若者が多かった。しかし金だけは世の中に余っていたから、彼等の多くは生活に困らなかった。(中略)彼らは孤立し自己完結して、欲望だけは充足されていた。彼等には大人になる必要がなかった。どうみても不健康だが、生活に困らない以上、この不健康は「不健康」として自覚されない。世の中から金が潮のように引いていって、生活というものが思い通りにならなくなった段階で、やっとこの「不健康」は「不快」として自覚される。
彼等は不健康で不快である。バブルの時期に「自分は満たされていてしかるべきだ」という状態に慣らされてしまった彼等に、「その責任は自分にある」という発想は生まれにくい。「この不快の責任は他人にある」と考える人間が多く生まれても当然だろう。だからバブル以後は、肥大したエゴの処理に誤った結果の犯罪が続発する。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社刊2000「神戸自動連続殺傷事件で思うこと」より)
<殺人の理由の多くは、怨恨である。恨んでいるから殺す--この殺人を回避する方法は、ただ一つ、「怨恨を生じさせる相手との関係を絶つ」だけである。その相手を無視する、その相手から離れる、その相手に対する恨みを捨てる。しかし、これがなかなか簡単にはできない。なぜかと言えば、怨恨というのは、「こっちがなにも悪いことをしていないのに、相手が一方的にいやなことを仕掛けてくる」というのが、その前提にあるからだ。(中略)怨恨による殺人事件の裁判では「どちらがどのくらい悪かったのか」が争われるけれど、この殺人の前提に「人間関係の破綻」があるは明らかである。(中略)
「関係」と言ったっていろいろある。(中略)「自分の外側にいる人間となんらかの関係を持ちたい」という欲望と、まだなんの関係もない他人に対して、「自分とあの人間との間には、もう当然、関係があってしかるべきだ」と思い込む“妄想”とは、明らかに違う。「自分の外側にいる人間となんらかの関係を持ちたい」という欲望が、そのまま“妄想”に変わって、「あの人間と自分との間には関係があってしかるべきなのにない--それが悔しい」になって、「だから殺す」になったらおしまいである。快楽殺人というのは、「他人との関係が持てない人間が、“関係”を暗示するような他人の存在に触発されて起こす、怨恨殺人」なのである。これを防止する方法は、「人と仲良くなれないからといって、それでヤケクソになって人に危害を与えてはいけない。そんなことをしたら、ますます他人と仲良くなれなくなる」と教えることである。(中略)人間関係の重要さを忘れた人間は、その「当たり前の一言」を忘れた。「当たり前の一言」が忘れられたら、事態はとんでもなくいびつで醜悪なものになる--ただそれだけのことだろう。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社刊2000「それをするのは子供だけだ」より)
天使のウインク
<恐怖を克服しなくてなんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで。世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読し、“天使が目くばせするような”方向へ私たちを導くハシモトの問題作。><恐怖を克服しなくて、なんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで、世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読する。『中央公論』連載エッセイの単行本化。>
登録情報
単行本:302ページ
出版社:中央公論新社 (2000/04)
ISBN-10:4120030008
ISBN-13:978-4120030000
発売日:2000/04
商品の寸法:19.4 x 13.4 x 2.4 cm
バブルの時期には、孤立した若者が多かった。しかし金だけは世の中に余っていたから、彼等の多くは生活に困らなかった。(中略)彼らは孤立し自己完結して、欲望だけは充足されていた。彼等には大人になる必要がなかった。どうみても不健康だが、生活に困らない以上、この不健康は「不健康」として自覚されない。世の中から金が潮のように引いていって、生活というものが思い通りにならなくなった段階で、やっとこの「不健康」は「不快」として自覚される。
彼等は不健康で不快である。バブルの時期に「自分は満たされていてしかるべきだ」という状態に慣らされてしまった彼等に、「その責任は自分にある」という発想は生まれにくい。「この不快の責任は他人にある」と考える人間が多く生まれても当然だろう。だからバブル以後は、肥大したエゴの処理に誤った結果の犯罪が続発する。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社刊2000「神戸自動連続殺傷事件で思うこと」より)
<殺人の理由の多くは、怨恨である。恨んでいるから殺す--この殺人を回避する方法は、ただ一つ、「怨恨を生じさせる相手との関係を絶つ」だけである。その相手を無視する、その相手から離れる、その相手に対する恨みを捨てる。しかし、これがなかなか簡単にはできない。なぜかと言えば、怨恨というのは、「こっちがなにも悪いことをしていないのに、相手が一方的にいやなことを仕掛けてくる」というのが、その前提にあるからだ。(中略)怨恨による殺人事件の裁判では「どちらがどのくらい悪かったのか」が争われるけれど、この殺人の前提に「人間関係の破綻」があるは明らかである。(中略)
「関係」と言ったっていろいろある。(中略)「自分の外側にいる人間となんらかの関係を持ちたい」という欲望と、まだなんの関係もない他人に対して、「自分とあの人間との間には、もう当然、関係があってしかるべきだ」と思い込む“妄想”とは、明らかに違う。「自分の外側にいる人間となんらかの関係を持ちたい」という欲望が、そのまま“妄想”に変わって、「あの人間と自分との間には関係があってしかるべきなのにない--それが悔しい」になって、「だから殺す」になったらおしまいである。快楽殺人というのは、「他人との関係が持てない人間が、“関係”を暗示するような他人の存在に触発されて起こす、怨恨殺人」なのである。これを防止する方法は、「人と仲良くなれないからといって、それでヤケクソになって人に危害を与えてはいけない。そんなことをしたら、ますます他人と仲良くなれなくなる」と教えることである。(中略)人間関係の重要さを忘れた人間は、その「当たり前の一言」を忘れた。「当たり前の一言」が忘れられたら、事態はとんでもなくいびつで醜悪なものになる--ただそれだけのことだろう。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社刊2000「それをするのは子供だけだ」より)
天使のウインク
<恐怖を克服しなくてなんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで。世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読し、“天使が目くばせするような”方向へ私たちを導くハシモトの問題作。><恐怖を克服しなくて、なんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで、世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読する。『中央公論』連載エッセイの単行本化。>
登録情報
単行本:302ページ
出版社:中央公論新社 (2000/04)
ISBN-10:4120030008
ISBN-13:978-4120030000
発売日:2000/04
商品の寸法:19.4 x 13.4 x 2.4 cm
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