TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

春の哀しみ

2022年03月13日 | インポート
20年余りお世話になってきたクリニックが4月いっぱいで閉院になる。
こうした知らせはいつも突然にやってくる。
待合室でふと聞こえてきた「閉院」とか「転院」などという単語。
こういう単語に対しては、敏感である。
嫌な予感がして受付を見ると、突然で申し訳ありませんが……の掲示。
その日の診察で話そうと思っていたことが、この文面でいっきにぶっとんでしまった。
嘆くまい、と思って臨んだ診察だったが、やはり出てくるのは涙しかなかった。
こういうことはこれまで何度も繰り返してきたはずなのに、ちっとも慣れない。
それどころか、年々、意味合いが重くなる。
80歳を超えた先生の御年齢を考えると、特にそうだ。
これまで喪失したもの、これから喪失していくだろうことまでがいっきに押し寄せてきて、とても立ち向かえないような心細い気持ちになる。
スーパーやデパートで、迷子になった幼児が親を呼びながらわき目もふらずに走り回っているのと同じような心境といったらいいのか。
どんなに周りが親切に声をかけても、その子の耳には届かない。
やっと見つかった母親がどんなにおっかない顔をして叱り飛ばしても、その子にとっては何よりも安心なのである。

わたしにとって、先生は道しるべだった。
会わないときでも、そこに行けば会えるというのが支えになっていた。
聞いてもらいたいことをパソコンに打ち込むとき、その向こうに、先生をいつも意識していた。

動揺しているのは、わたしだけではない。
クリニックの近くの公園では顔見知りの患者さんたちが3,4人集まっている。
きっと今後のことを、不安感を、共有しているのだろう。
わたしはこういう場面にスッと混じることができない。

先生いわく、これからは、今まででやり損ねていたことの”補足”をしていきたいのだとか。
一日診察にかかわっていると、そうした時間をとることができないのだと。
具体的な計画というのはわからないが、活動を中止してしまうのではなく、やりたかったことに的を絞るらしかった。
新たな出発。閉じるのではなく……。
81歳。わたしよりも20歳以上も年上なのに、やりたいことにあふれている、その姿勢を示したかったのかもしれない。
保険診療医としての仕事からは手をひくそうだが、これまで続けてこられたミーティングやカウンセリングは続けられるそうだ。
少しずつ、段階を踏んで、さようなら、ということかもしれない。


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2 コメント

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Unknown (ジュン)
2022-03-13 12:03:52
そのような思いに駆られるのですね
余り病院にかかっていません(幸せ)でした
数年前近所に女医さんでお若い方が
クリニックを開きかかりつけ医にお願いしました
気さくで何でもお話しできます
閉院になったら同じ思いになると思います
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Unknown (TOMATO)
2022-03-13 16:25:35
こんにちは、ジュンさん

医療機関にはなるべくならかからないで済めばいいですが、そうもいかないとなると、なるべく相性のいい、信頼できる医師に依頼したいと思い……。
ジュンさんも、良い医師にめぐりあえて幸いでしたね。

いざ、こういうふうなお別れの時がくると、本当に切ない気持ちになります。喪失体験というのは、大小含めて、いつまでたっても慣れません。
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