1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart15はJackson Browneの"For America"。最高位は4月19日付の第30位。年間チャートは圏外でした。
Jackson Browneですが、このブログをご覧の皆様、もちろんご存知、ウエストコーストを代表するシンガーソングライターです。
生まれはドイツのようですが、すぐにロサンゼルスに移住、そのままロサンゼルスで音楽活動を開始します。
デビューアルバムのリリースは1972年、ファーストアルバム『Jackson Browne』からのシングルカット曲"Doctor, My Eyes"が最高位8位と、いきなりの大ヒットを記録します。
その後、74年のアルバム『Late for the Sky』が最高位14位、76年のアルバム『The Pretender』が5位、77年のライブアルバム『Running on Empty』が3位、80年のアルバム『Hold Out』でついにNo.1を記録します。
シングルでも、"Here Come Those Tears Again"が23位、"Running on Empty"が11位など、ヒットを続けます。
Jackson Browneはアルバムで聴くと、さらにその素晴らしさが良くわかります。私は特に『The Pretender』と『Running on Empty』が大好きなアルバムでした。
彼の通算8枚目のアルバムが『Lives in the Balance』。そのアルバムからのファーストシングルがこの曲 "For America"です。
曲の作者、プロデュースともにJackson Browne自身。イントロから、ギターとサックスの掛け合いがやたらとカッコいい曲です。
タイトルといい、PVといい、多分かなり政治色の強い曲ではないでしょうか。いい曲なのですが、そんなところが大ヒットには結びつかなかったのかもしれません。
この曲で、Jackson Browneとしてちょうど10曲目のTop40ヒット、先日紹介したClarence Clemonsとのコラボシングル"You're a Friend of Mine"を合わせると11曲目となります。残念ながら、この曲がJackson Browneの最後のTop40ヒットになってしまいました。
Jackson Browneですが、このブログをご覧の皆様、もちろんご存知、ウエストコーストを代表するシンガーソングライターです。
生まれはドイツのようですが、すぐにロサンゼルスに移住、そのままロサンゼルスで音楽活動を開始します。
デビューアルバムのリリースは1972年、ファーストアルバム『Jackson Browne』からのシングルカット曲"Doctor, My Eyes"が最高位8位と、いきなりの大ヒットを記録します。
その後、74年のアルバム『Late for the Sky』が最高位14位、76年のアルバム『The Pretender』が5位、77年のライブアルバム『Running on Empty』が3位、80年のアルバム『Hold Out』でついにNo.1を記録します。
シングルでも、"Here Come Those Tears Again"が23位、"Running on Empty"が11位など、ヒットを続けます。
Jackson Browneはアルバムで聴くと、さらにその素晴らしさが良くわかります。私は特に『The Pretender』と『Running on Empty』が大好きなアルバムでした。
彼の通算8枚目のアルバムが『Lives in the Balance』。そのアルバムからのファーストシングルがこの曲 "For America"です。
曲の作者、プロデュースともにJackson Browne自身。イントロから、ギターとサックスの掛け合いがやたらとカッコいい曲です。
タイトルといい、PVといい、多分かなり政治色の強い曲ではないでしょうか。いい曲なのですが、そんなところが大ヒットには結びつかなかったのかもしれません。
この曲で、Jackson Browneとしてちょうど10曲目のTop40ヒット、先日紹介したClarence Clemonsとのコラボシングル"You're a Friend of Mine"を合わせると11曲目となります。残念ながら、この曲がJackson Browneの最後のTop40ヒットになってしまいました。