1987年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズもPart50となりました、50回目の記事はAerosmithの"Dude (Looks Like A Lady)"。最高位は12月12日からFROZEN CHARTの1988年1月2日付まで、4週連続の第14位。年間チャートは残念ながら圏外でした。
Aerosmithですが、もちろんみなさんご存じですよね、アメリカを代表するロックグループです。
今でもほぼオリジナルメンバーで活躍するAerosmithですが、結成は70年代初めにまでさかのぼります。Steven Tyler、Joe Perry、Tom Hamilton、Joey Kramer、Brad Whitfordで結成。しばらくはライブを中心に活動、1973年にファーストアルバム『Aerosmith』をリリースします。
初めてのヒットは1975年にリリースした3枚目のアルバム『Toys in the Attic』。シングルの"Sweet Emotion"が36位と、初のTop40ヒットを記録します。続いて、この曲はファーストアルバムに収録された曲ですが、名曲"Dream On"がチャートを上昇、最高位6位の大ヒットとなります。
"Sweet Emotion"→"Dream On"のヒットは、当時高校生の私にとっては衝撃的な曲。魂の叫び、スティーブン・タイラーのボーカルに、荒々しいジョー・ペリーのギター、ロック少年たちの心を鷲掴みにした曲でした。
その後も、"Last Child"、"Walk This Way" などのヒットが続きますが、78年に最高位23位を記録した"Come Together"を最後に、ヒットチャートから姿を消してしまいます。"Come Together"はこちらをご覧ください→→→
その後は、ドラッグの影響で活動は低下、ジョー・ペリーはバンドを脱退、アルバムは出すものの、長い低迷時期に入ります。
復活の兆しは1984年、ジョー・ペリーがバンドに復帰、オリジナルメンバーがそろい、徐々に活動を活発化させてきます。
そして1986年、ヒップ・ホップグループRun-D.M.C.による"Walk This Way"が突如大ヒット、この曲は、驚くことに、スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが参加し作成されたRapバージョンでした。何がおこるのかわかりませんね、この曲のヒットをきっかけに、再びAerosmithに日が当たり、ついに、チャートに復帰したのがこの曲"Dude (Looks Like A Lady)"です。Run-D.M.C.バージョンの"Walk This Way"については、こちらをご覧ください→→→
"Dude (Looks Like A Lady)"の曲の作者はSteven TylerとJoe Perry、ソングライターのDesmond Childの3人の共作。Desmond Childといえば、ロック系のソングライターとして数々のヒット曲を世に送り出している人です。Bon Joviの"You Give Love a Bad Name"、"Livin' on a Prayer"も、彼が共作者に名前を連ねています。
この曲、実に10年ぶりのエアロスミスのヒット曲になりましたが、嬉しいことに、バンドの方向は変わっていませんでしたね。野性味あふれるスティーヴン・タイラーのボーカルにジョー・ペリーの荒々しいギターは健在です。
パワーアップして、さらに洗練もされ、エアロスミス、完全復活を告げるヒットでした。
Aerosmithですが、もちろんみなさんご存じですよね、アメリカを代表するロックグループです。
今でもほぼオリジナルメンバーで活躍するAerosmithですが、結成は70年代初めにまでさかのぼります。Steven Tyler、Joe Perry、Tom Hamilton、Joey Kramer、Brad Whitfordで結成。しばらくはライブを中心に活動、1973年にファーストアルバム『Aerosmith』をリリースします。
初めてのヒットは1975年にリリースした3枚目のアルバム『Toys in the Attic』。シングルの"Sweet Emotion"が36位と、初のTop40ヒットを記録します。続いて、この曲はファーストアルバムに収録された曲ですが、名曲"Dream On"がチャートを上昇、最高位6位の大ヒットとなります。
"Sweet Emotion"→"Dream On"のヒットは、当時高校生の私にとっては衝撃的な曲。魂の叫び、スティーブン・タイラーのボーカルに、荒々しいジョー・ペリーのギター、ロック少年たちの心を鷲掴みにした曲でした。
その後も、"Last Child"、"Walk This Way" などのヒットが続きますが、78年に最高位23位を記録した"Come Together"を最後に、ヒットチャートから姿を消してしまいます。"Come Together"はこちらをご覧ください→→→
その後は、ドラッグの影響で活動は低下、ジョー・ペリーはバンドを脱退、アルバムは出すものの、長い低迷時期に入ります。
復活の兆しは1984年、ジョー・ペリーがバンドに復帰、オリジナルメンバーがそろい、徐々に活動を活発化させてきます。
そして1986年、ヒップ・ホップグループRun-D.M.C.による"Walk This Way"が突如大ヒット、この曲は、驚くことに、スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが参加し作成されたRapバージョンでした。何がおこるのかわかりませんね、この曲のヒットをきっかけに、再びAerosmithに日が当たり、ついに、チャートに復帰したのがこの曲"Dude (Looks Like A Lady)"です。Run-D.M.C.バージョンの"Walk This Way"については、こちらをご覧ください→→→
"Dude (Looks Like A Lady)"の曲の作者はSteven TylerとJoe Perry、ソングライターのDesmond Childの3人の共作。Desmond Childといえば、ロック系のソングライターとして数々のヒット曲を世に送り出している人です。Bon Joviの"You Give Love a Bad Name"、"Livin' on a Prayer"も、彼が共作者に名前を連ねています。
この曲、実に10年ぶりのエアロスミスのヒット曲になりましたが、嬉しいことに、バンドの方向は変わっていませんでしたね。野性味あふれるスティーヴン・タイラーのボーカルにジョー・ペリーの荒々しいギターは健在です。
パワーアップして、さらに洗練もされ、エアロスミス、完全復活を告げるヒットでした。
音時さんのコメントがありませんでしたので、なんかあったのかしらん、と思っちゃいましたが、ブログを見たら、“Dude”あげていただいていて安心しました^^
1977年の日本武道館のエアロスミスですか、それは興奮しますね。"Dream On"や"Walk This Way"の大ヒットの直後ですか。エアロスミスの特に"Dream On"、ロック少年だった私の心に響きました。カッコよかったなぁ。独特の野性味というか、粗削りなロックが10代の少年の心を虜にしました。
そんなエアロスミス、この曲でまさに、あのエアロスミスが復活したっぞ!の時だったです。ジャケットも、貫禄は付きましたが、まだまだ曲者っぽ所も残していて、良かったなぁ。
その後の、80年代後半から90年代にかけて、まさかこれほどまでの大スターグループになるとは、想像だにしていませんでした。
このエアロスミスの復活には驚きましたし、嬉しかったですね。その昔、"Dream On"が、ラジオの全米Top40から流れてきた時の驚き、あのシャウトは感動的でした。Run-D.M.C.の時には、懐かしのグループを久しぶりに聞いた、くらいにしか思っていませんでしたが、この曲で完全な復活でしたね。ほんとによかった。
こちらにコメント忘れており、星船さんに先にいただいちゃいましたね(^_^;)。
僕は何度か自分のブログにエアロを取り上げるたびに書いてますが、エアロスミス初来日(1977年の日本武道館)を中学生のとき仲間3人と見に行ったのが僕の洋楽ライブの初参戦。なのでとっても思い出のあるバンドなんです。
でもアルバム“Draw The Line”以降は、エアロ自身がクスリの常習でダメになっていき、ジョー・ペリー脱退もあり、もう1980年前半は、ほとんど聴かなくなってしまっていました。
それが、この1980年代中盤に、レーベルの移籍、外部ソングライターの作品を取り入れ、MTVの作成など、新生エアロが「パーマネント・ヴァケーション」で復活したのは嬉しかったですね。
翌年の1988年の再来日が決まった時も来日公演に行きたかったのですが、ちょうど仕事もし始めたところで昼休みに電話をしてチケットを取ろうと試みたのですが取れず、涙を飲みました…(-_-;)。
この曲“Dude”は、イントロがエアロの復活を告げているようで、結構好きだったなあ。
デイヴィド・カヴァデールに続いてエアロスミスの完全復活はよかったですね。(Run-D.M.C.に感謝?)
エアロスミスは「ロックス」まではよく聴きましたが、その後ジョー・ペリーが抜けてからはダメでしたが87年以降はメンバー交代がなく長く続いてるエアロスミスはスゴイです。
この年は知らない曲も多くなりましたが、イイ曲がありますね。TOP40の放送があったら良かったなーと思います。
ジグソーのスカイハイ→エンジェル、というと、あのジェフリアになったバンドかと思いましたよ。
で、『Permanent Vacation』、エアロスミス初のアルバムからの3曲のTop40ヒットとなりましたね。
私は79年途中からでありまして、花は遅かった…。
KISS、BCR、ナイトフィーバー、ジョリーンは確かにお姉が水を向けてくれていたのに、プロレス一本やりだったのが悔やまれます。
でもお姉もマスカラスのテーマ、ジグソーのスカイハイはスゴく良いねと言ってくれました。
クイーンは気持ち悪い人が居るとにべもなし。
エロスミスはさすがに純情無垢な中学生乙女には怖さしかなかったでしょう。
その代わりロックに何も興味ナシで釣りばかりやって「釣りマガジン?」に大物釣って写真で掲載された同い年のいとこはケーシーさんの全米40を録って送ってくれー、と頼んだらこの翌年、エンジェルのタルさが大好き、と自慢のホンダCR-Xでパーマネントバケーションのテープをかけまくっておりました。
私はエンジェルの次のシングルマニアでしたが、彼の言う「A面ばっかりしか聴かんのんじゃけどのぉ」というアルバム評には賛成しておりました。
そうそう、ミッシェル・ポルナレフは「シェリーに口づけ」、「愛の休日」も日本で人気がありましたね。オリビアの「カントリー・ロード」も、洋楽ファンになる前に聞いていましたっけ。ジョン・デンバーよりもオリビアバージョンが好きでした。ジャニス・イアンも人気がありましたね。
ミッシェル・ポルナレフ、懐かしいですね。
僕が中学生の74年頃当時のAMラジオでよく流れていたのが、「シェリーに口づけ」でした。
Oliviaの♪Take Me Home County Road♪もよく流れていました。
高1の頃はAMラジオで洋楽と邦楽のどちらがその番組のリクエストTop10の上位にいるかを対決する番食いがありました。
Aero Smithの♪Walk This Way♪とか、Kiss♪Detroit Rock City♪やGeorgeの♪This Song♪が洋楽のメンバーでした。
太ぼんさんのシングルは79年~80年ですね。
おーと!KISSは小学生での体験ですか。おませさんですね^^
そういえば、ビートルズとカーペンターズ、ビージーズの「小さな恋のメロディ」は、私も聞いたのは小学生、姉のレコードからでした。ミッシェル・ポルナレフも聞きましたね。
神田さん→私→バナーさん→⭐⛴️さん→ロール西さん。
それぞれアルバム1~2枚の差がありまして、しかもそのあたりのみなさんはちゃんと長生きしているのが良いですな😃
私はシングルですが…
エロスミス…リメンバー
⭐⛴️…ジェーン
ハート…イブンイトアップ
Zep…ホットドッグ
ビージーズ…哀しみのトラジデー
イグルズ…ハートエイクツナイト
スティクス…ボーロンザリバー
ポリス…メッセージ
ボブシガ…ファイヤーレイク
クイーン…プレイザゲーム
ここら辺は地元AMのベスト10モノですが、あとあと考えるとよく覚えていたものです。
ジャーニー…お気に召すまま
フォリナー…女たち
JB…ノバレノーバレ
サバス…ピャラノイド(ライブ盤発売で)
ストーンズ…レスキュー
カーズ…タッチャンゴー
ホーランドーツ…ウェイホーミー
ドービー…リアルラブ
この辺は高校入学で周りのみなさんと音楽雑誌からのエアチェック(電波悪くてモノラル😖)でしたなあ。
とにかく大御所さんが次々と出してくれていてありがたかったです。
なおKISSだけは小学生ながらデトロイトがカッコ良すぎて聴いたことを覚えておりました。
個人ばなしで誠に申し訳ございません😫
私もエアロスミスを初めて聞いたのは、FENから流れてきた"Dream On"から。衝撃の名曲でした。ハードロックバンドのバラード、のちには「パワーバラード」といわれるほど普通になっていきますが、この頃のハードロックのバラードが初めての大ヒットじゃあないでしょうか。ちょうどそのちょっと前、ナザレスの「ラブ・ハーツ」の大ヒットも併せて、2曲とも名曲でした。
私がTop40を聞き始めたのは、75年ですが、75年はまだチャートを付けるまで入れ込んではいなかったので、聞き逃した曲はたくさんありました。
イーグルスはアルバム一枚前の『呪われた夜』ですね。このアルバムには心を打たれました、さかのぼっての「ならず者」、大ファンになりましたっけ。ジャクソン・ブラウンは同じく「孤独のランナー」、星船はというと、"Miracles"を聞いてはいるのですが、ファンになったのは"With Your Love"です。1年ぐらい私の方が早かったでしょうか。
エアロスミスの『闇夜のヘヴィ・ロック』ですね、このアルバムは、私がリアルタイムで聞いたアルバムなんですよ。"Toys in the Attic"はシングルにならなかったか、ヒット曲ではなかったんですが、結構心に突き刺さる曲でしたよ。コーラスバンドにしちゃあスティーブン・タイラーの声が目立ちすぎだとは思いますが、ハモリは良いですよ。
76年当時、Aero Smithはそのロゴもカッコよかったですね。
その頃から♪Dream On♪は名曲と言われていました。
S.Tylorはカリスマ性がありましたね。
僕の後追いですが、76年頃からの聴き始めなので、70's前半から活動しているアーティストはほとんど後追いですね。
僕が誇る3大アーティストEaglesはもちろん♪Hotel California♪からですし、J.Browneは77年の名作♪Running On Empty♪からでした。
そしてDoobiesは77年の♪Living On The Fault Line♪でした。
なんと、♪Echos Of Love♪は土曜日午後2時のダイアトーンポップスベスト10にランクインしていました。
あとは、Journeyは♪Evolution♪、Styxは♪Pieaces Of Eight♪、B.Segerは♪Stranger In Town♪、星船は♪Earth♪、Macは♪Rumours♪、Bossは♪Darkness On The Edge Of Town♪、Steely Danは♪Aja♪からと、見事に77年~78年のアルバムですね。
唯一Foreingnerは77年デビューなので、リアルで聞いていました。
ところで、先日の同じ年の同名異曲のTop10ヒット、84年にもありました。
Van HalenとPointersの♪Jump♪です。
Pointersのは(For My Love)が付いてましたけど。
それにしても今回の「ネーチャンみたいなカッコしたデュード!」曲はまあまあ、でそれほど、みたいに書きましたけど、変調部のバンドのみんなでコーラスしている部分、アソコはカッコ良かったなあ。
ハモりがどーの、ではなくて純粋にウマイなあ、ちょっとジーンとシモンズだなあ、エアロ復活までこういうのは出てなかったよなあ、と思っておりました。
これは次のポンプLPのエレベーターラブとジアザーサイドでもありまして、もとを探れば闇夜のヘビーロック(曲)のダルい「トーイズ♪ トーイズ♪…」で顕著でありました。
てことで、エロスミスはコーラスバンド…は無理がありましたかね、ごめんなさい😫
ジャーニーは『Evolution』からリアルですが、やっぱり『Escape』がよかったなぁ。
もちろん、74年以前ごろでは後追いですが、まあ、リアルでも後追いでも、70年代から80年代初めころののロックアルバムには思い入れがありますねぇ。頑張って買った2枚組グランドファンクの『Caught in the Act』は良かったなぁ。
そぉかあ、レイズLPで間に合いながらもフロンティとSKプ、キャプチャーライブを後追いされたと…。そういやその間には「夢・夢のあと」とかいうサントラもありましたっけ?
ジャーニーはフーズクライングナウに間に合ってホントに良かったです。だからこそセパレートウェイズのビデオをアホか🤪と余裕を持ってけなしましたしね。
なるほどなあ、でも遡行するのもまた楽しですよね?
私からしても⭐⛴️さんやバナーさんのエロスミスのリアタイはうらやましい限り。私はギリギリ「夜の炭坑夫」がリアタイで、⭐⛴️さん言われる「野獣、飛べ、闇夜、ロックス、描け、海賊盤」は後追いですからねえ。
となると⭐⛴️さんらには74年以前ごろのストンズやZep、グランドファンク、アリスクーパーあたりが後追いだったんですかね?サバスも入れてもらうと嬉しいな😃
うん、みなさんの「俺の後追い」が聞ければ嬉しいですね☺️
この当時、たくさんの若手のロックグループが出てきました。そんな中で、エアロスミスは、ちょっと曲者的なグループでしたので、好き嫌いはあると思いますよ。先に書いたエアロスミス、キッス、スティックス、ボストン、ハート、さらにはクイーンにスイート、カンサス、ナザレスなどなど、いましたね。当時はもちろんネットはありませんので、ラジオ以外ではミュージックライフライフが主要な情報源でした。ほとんど立ち読みでしたけど。
へぇー、藤あや子さんねぇ。って、藤あや子さんの曲は全然知りませんが、ド演歌なんですよね?でも、エアロスミスに、キッスファン、なんかいい人っぽいかな。
あの頃、エアロスミス、キッス、スティックス、ボストン、ハート、次々と若手のロックグループが世に出てきましたっけ。ワクワクするアメリカンロックの時代でしたな。
エアロスミスですが、あの頃、中学から高校生へ、ロック少年の心には響きましたよ。アルバムのタイトルからワクワクしたものでした。『野獣』『闇夜』『飛べ!』『ロックス』ですからね。
"Dream On"のシャウト!感動モノですね。
そのエアロスミスの復活、嬉しかったですよ。でも底辺時代は、聞かなかったなぁ。
87年はHR系のヒット曲が多かったですが、年末にまさに真打登場ですね。(もうひとつ4年ぶりのグループもありましたけど)
78年の♪Come Together♪以来でしたか。
映画がらみの曲でしたね。
その後の♪Draw The Line♪はパッとせず、ヒットチャートから姿を消しました。
この曲初めて聴いた時から、太ぼんさん風にジーンシモンズでした。
HRですが重たくなく、ポップでもなく、スカッとカッコいい曲でした。
Aero Smithはそんなにお気に入りのグループではなかったですが、76年のかのⅯⅬ誌を買っていた頃は毎月のように記事になっていたので、よく覚えたグループでした。
ちなみにⅯⅬ誌関連では、元編集長の東郷かおる子さんが、1月に「ⅯⅬ誌がQueen人気に火をつけた」みたいなタイトルで講演会みたいなのをするそうです。
たしか94年の来日公演の時には、伊藤政則さんと一緒に彼らのインタビューを行っていたはず。
さらにあや子さんはKISSも好きだったらしく、「私は昔、キスが好きでした」とテレフォンショッキングのインタビューで答えたら、タモリさんは「えっ?」っていう顔をしていました。
要するに「ロックのKissが好きだった」を「キス魔だった」と勘違いしてしまったわけですね。
>太ボンさん
私はやっぱりジャーニーかな。
といっっても私の場合、ずっとファンだったというわけではなく、88年か89年ごろに突如、「ジャーニーが聞きたくなった」となって『フロンティアーズ』を聞いたのがきっかけでした。
もちろんそれまでは、ジャーニーなんて聞いたことがなく、聞いていたとすればスティーブ・ペリーの『オー・シェリー』か86年の『トゥー・ユア・セルフ』ぐらいなもの。
そんな私がなぜ突然ジャーニーを?
…と問われても「気分的にそうだった」としか言いようがないわけですが、その『フロンティアーズ』を聞いてから、すっかり彼らにはまってしまい、その後は『エスケイプ』やベスト盤、さらには『ライブ・エナジー』などを聞きまくっていました。
当然、そのころのジャーニーは解散状態。
それも再結成すら期待していない状況でした。
そんな状態から『トライアル・バイ・ファイアー』がリリースされるまで、8年間待ち続けたわけた次第です。
曲は楽しそう過ぎてそれほどでもなかったのですが、とにかくビルボーでエロスミスのヒットチャート上昇を初めて見られたのでバンザイでありました。
思えば84年だったか「闇夜のヘビーロック」という邦題、「トーイズインジアチック」という原題のカッコ良さに見いられ、以来レンタルレコードを回りまくっていたその頃、バンドは開店休業状態でしたっけ?
でもクイーンとKISSにはピンと来なかった私にはドンピシャでありました。
シーンに帰れただけでも嬉しかったのにその後のドッカンドッカンにはナメリカバンザイでありました。
というか底辺時代に応援していた自分を褒めたかっただけなんですけどね、イヤラシイ。みなさんもそんなバンド、お持ちじゃないですか?教えてくさいよ😃