昨日、悲しいニュースが入ってきました。
ベイ・シティ・ローラーズのリードボーカルのレスリー・マッコーエンさんが、4月20日に死去したとのことでした。65歳でした。
ベイ・シティ・ローラーズ、私が洋楽を聞き始めた70年代半ば、ベイ・シティ・ローラーズの人気は驚異的なものでした。
その人気は、もちろんルックスと企画力で生まれたもので、演奏はお世辞にもうまいとは言えず、当時の私の周りのロック少年たちからは忌み嫌われていました。
でも、曲をよく聴いてみると、昔のヒット曲などを持ってきて、うまくアレンジする選曲に加えて、レスリー・マッコーエンの歌唱がベイ・シティ・ローラーズを支えていたと言っても良いでしょう。
そのレスリーの素晴らしいボーカルを聞くことができる曲がこの曲"The Way I Feel Tonight"。邦題は「愛をささやくとき」です。
最高位は1978年1月7日と14日の2週間の24位。この曲がBay City Rollers の最後のTop40ヒットになりました。
ベイ・シティ・ローラーズのリードボーカルのレスリー・マッコーエンさんが、4月20日に死去したとのことでした。65歳でした。
ベイ・シティ・ローラーズ、私が洋楽を聞き始めた70年代半ば、ベイ・シティ・ローラーズの人気は驚異的なものでした。
その人気は、もちろんルックスと企画力で生まれたもので、演奏はお世辞にもうまいとは言えず、当時の私の周りのロック少年たちからは忌み嫌われていました。
でも、曲をよく聴いてみると、昔のヒット曲などを持ってきて、うまくアレンジする選曲に加えて、レスリー・マッコーエンの歌唱がベイ・シティ・ローラーズを支えていたと言っても良いでしょう。
そのレスリーの素晴らしいボーカルを聞くことができる曲がこの曲"The Way I Feel Tonight"。邦題は「愛をささやくとき」です。
最高位は1978年1月7日と14日の2週間の24位。この曲がBay City Rollers の最後のTop40ヒットになりました。
チェリー、そうそう変なにおいがしました。段々思い出してきました^^
それはそうですよ、逆らってはいけません^^
いましたねー!タータンチェック。
今考えると恥ずかしいですが、当時はその辺を歩いていた時もありました。そうだったので、ロック少年からは不評だったのでしょう^^
「わかば」と「ゴールデンバット」ですか、パッケージを思い出しました。「チェリー」という不味いタバコもありました。
ミック・カーンかキラー・カーンの聞き間違いだと思われますのだ
デビット・シルビアンといえば、知ってますよ、もちろん。ジャパンですね。ちょうどこの頃、日本で大人気でした。ロック雑誌にも良く出てましたね。
ゴロワーズというのはフランスのたばこなのですね。フィルターがないのですか。
そういえば、「エコーズ」「モア」ありましたね。もちろん吸ったことないですが。
70年代半ばのローラーズの人気はすさまじいものでした。洋楽雑誌にもローラーズの特集が沢山ありました。ラジオでも良くかかっていましたね。
あまりにも日本で人気がありすぎたのか、そんなところがロック少年たちには嫌われたところでしょうね。(それで「隠れローラーズファン」にならざるを得なかったです)
なんと!ハリジョージスンさんも「隠れローラーズファン」でしたか。
そうなんですよ、ローラーズの曲は、意外に良い曲が沢山あるのですよ。私としてはポップロック系の曲が好きなのですが、ロック系の曲の中にも"I Only Want to Be with You"など、良い曲がありました。
「B.C.Rに似ている」とは、当時としては最高の誉め言葉ですね。
彼らの曲では、まず初めに"Bye, Bye, Baby"が気に入りました。アルバムではまれらの3枚目のスタジオ盤『Bay City Rollers』に、"Bye, Bye, Baby"と"Saturday Night" が入っていました。このアルバムは良いアルバムでした。6枚目のアルバム『Dedication』もお気に入りです。
ベイシティローラーズはあまり聴かなかったのですが、MUSIC LIFEの当時の記事を見る76年の来日公演は凄かったらしいですね。武道館3回は当時来日アーティストの中でも記録的だったらしいとか。(ちなみに76年来日はサンタナ、ドゥービー、レインボー、スージークワトロなど・・スージーは24公演!)
当時の来日記事が紹介されていましたのでリンク貼っておきます。
https://www.musiclifeclub.com/news/20210423_08.html
つい2年前も来日されていたとか、残念です。
僕の好きなミュージシャン、バンドには何故かスコットランド出が多いです。B.C.Rも「隠れファン」でした。又、何年か前にスコットランドがU.Kから独立しようとする動きがあった時は「止めといて!」と思ってました。独立はなりませんでしたが、今でも革新派は独立指向です。
全然関係ないですが、僕は高校生の頃、B.C.Rに似ていると言われてました。どのメンバーかというと、一番ルックスでは劣る?ドラムのデレクでした!Hahaha!
ちょうど高校に入学する春休み、僕が♪Saturday Night♪のヒットをキカッケに洋楽を聴き始めた頃、初めて聴いたアルバムが、姉が買ってきてくれた、彼らの♪Would'nt You Like It♪でした。
その後、♪Bye Bye Baby♪が入ったアルバム(タイトル忘れました)は自分で買いましたが、少なくとも、高1の秋ごろまではBCRを聴いていました。
当時はタータンチェックを身にまとったティーンの女性もいましたね。
後に、イアンとかパットとか加入しましたが、やはりレスリーのヴォーカルが一番良かったですね。
そうですか、お姉さんがローラーズファンだったですか。私としては、"Saturday Night"よりも"Bye, Bye, Baby"が好きでした。この曲はメロディアスロックの名曲ですよ。
ところで「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」ですか、曲は知りませんが、「ゴロワーズ」といえば、ハードボイルの小説で出てくるたばこですね。もちろん吸ったことありませんです。
そうですか、ベイシティローラーズファンだったのですか!
回りにはローラーズファンは全然いなかったのですが、今になってそういうお話ができてうれしいです。
パイロットも私も大好きでした。"Magic"は大ヒットしましたね。"January"も日本でヒットしました。
そうでした、彼らは自分たちのやりたい音楽だったかどうかはわかりませんが、ファンの好みの曲を大事に演奏していました。頑張っていましたね。
当時は、一緒に全米Top40を聴いていた友人一人以外は、周りには硬派なロック少年たちでしたので、ローラーズの話など厳禁でした。
それでもいい音楽は良い!ということで、「隠れローラーズファン」としては、密かにエアチェックして聴いていました。特にこの曲はレスリーの素晴らしいボーカルが聴けるいい曲でした。
ペス ペー ティユオゥーゥ ディエワイ ナイツ!
と歌うと発語が明瞭となり、自身もアガりますです。
とくに、ペス ペー が大事ですよ♪
ちなみにこのシングルも家にありまして、おねえは偉いなあと思いましたよ、B面もサイコーでしたね。
バイバイベイビー、ベビーグー、バイベイビーベイビーパイパイ!
小学校5,6年にしてブルージー(ちがいます?)な曲に目覚めてしまいました。すごくモヤモヤして、でも心にのこってしまう、て感じでありました。
このころはかまやつの「わが良き友よ」よりも「ゴロワーズ…」のようにB面もちゃんと聴いておかないともったいなかったですねー。
じゃ、シルビ~ーーーマイロー♪
この曲は、ちょっと人気が下降気味になった頃の、アダルトな曲に向かっていった頃ですね。個人的にはエリックとスチュアートが作った次のシングル「Don't Let the Music Die」が好みです。
レスリー、R.I.P.
23日から24日とずっとBCRをかけて、和訳記事を書いて、レスリーを偲んでおりました。今ようやっと、ローラーズが好きだった!と口に出していえるようになりましたね…。
この曲、彼らにとっても最後の全米ヒットとなってしまったわけですが、オリジナル曲じゃなくカバーだったのも後で知ってビックリしました。歌詞もちょっとロマンテッィク(エッチ)で、オトナになったローラーズの曲ではありました。「全米トップ40」でAMラジオから流れるこの曲、きっと星船さんも想い出に残っていることでしょう。僕もそうです。いい音楽を残そう、音楽は死なない、失くしちゃいけない…星船さん、もうしばらくブログも頑張っていきましょう!