ミセスローゼンの上人坂日記

父の事母と話すや朝の蝉


年に一度カリフォルニアの波に心身共に洗われるのがニックにはとても大事な事なのだ。そうは聞いていても、別に瀬戸内海でも伊豆でもお台場でもいいじゃんとも心中では思っていたが、今回一年ぶりにカリフォルニアの海に入ってみて、やはりちょっと違うと感じた。波が違う。波が偉大である。私は四国のリアス式海岸で育ったので、波には縁が無かった。漁船が頻繁に行き来するから波が起こるのだと思っていた。この浜は小さなボートやヨットはいても、漁船は見かけない。なのに、巨大な波が次々生まれ、ひきりなしに海岸に打ち寄せている。津波かと逃げ腰になるくらい大きな波も来る。波が来たら、波の下に潜るしかない。波にまともに立ち向かったら、波にぶっ飛ばされ、錐揉み状態で岸まで連れてかれてしまう。ひたすら波の下に潜りつつ、岸へ戻されつつ、じりじりと沖へ進むのが楽しい。あるいは波に背を向け、腕でパドルして、身体を固くサーフボード化して、一瞬だけ波乗りするのも楽しい。あまりに大きな波だと維持できず錐揉み状態で岸へさらわれてゆく。だんだんこの錐揉み状態が面白くなり、失神するような心持ちで無心に、延々ときりきり舞いをやっていると、宿に帰ってから水着の中に色んな物を見つける。今日入ってたのは、砂、石、海藻、小枝、錆びた1ペニー硬貨、そして鴎の羽根まで入ってた。去年ビバリーヒルズで買った華奢なビキニの金具が完膚なきまで波に叩き壊され、今年新しい頑丈な水着を、センチュリー21で買わねばならなかった。
頭の天辺から爪先まで波に叩かれ無心にきりきり舞いするのは、ある種、滝に打たれて修行するに近いのではないか。ありがとうございました、という気持ちで海から上がり、精進落としのテキーラショットを頂く。年に一度の墓参り的な思いもある。何たって、ニックのお父さんは亡くなって灰となって、この辺りの海に撒かれたのだから。
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