塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロベルト・エンケの死で僕が考えた事

2009-11-13 00:28:23 | 日記
 今日の報道から彼は長年うつ病を患っていたことがわかりました。昨日もお伝えしたように、2歳になるお嬢さんを3年前に亡くしていた事も、自殺に大きく影響しているようです。
 
 僕は小心者なので自殺しようと考えた事はありません。でも「僕が死んだら両親以外に悲しむ人、誰かいるだろうか?」と考える事はたびたびあります。でもどんな死に方であっても、死んだ本人は自分の葬儀の様子は見れません。
 
 一昨年の冬、長野市に岡田武史日本代表監督が来て講演をした事があります。僕も参加したのですが、その中で今でも印象に残っている箇所があります。要約すると次のようになります。
 「アフリカでは食べ物が不足していて多くの命が失われているが、彼らは希望を捨てず必死になって、生きよう!生きよう!と頑張っている。日本は物質的に非常に恵まれているのに、自殺する人間が非常に多い。これは明らかに間違っている。」

 僕は今年33歳なのですが、お嫁さんもおらずたいした稼ぎもありません。でも社会に出て10年もたつとわかってくるんですね、人生いいこともあれば悪いこともあると。だから死なないで生きていれば何か良いことあるかもしれないと考えるようになります。

 生きている間にもしかしたら、日本代表がワールドカップで優勝するかもしれない。長野パルセイロが日本はおろか、アジア全土にその名を轟かせているかもしれない。ひょっとしたらお嫁さんが来て、家族みんなでサッカー観戦にでかけることがあるかもしれない。

 いろいろ考えるわけです。
 でもエンケの気持ちもわかるんです。多分彼は自分の悩みは考えを、他人に打ち明けないタイプだったのではないかと思うのです。僕もそうなんですが、悩みを他人に打ち明ければ心が軽くなるのはわかります。でもその悩みで誰かを悩ませたくないんですね。エンケはきっと心優しい、他人を慮れる人物だったのでしょう。
 今は彼の冥福を祈るばかりですが、常人では考えられない金額が動く昨今のサッカー市場。エンケのような犠牲者が増えないようなシステムを、整備する必要がありますね。
コメント
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