塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スターがスターを作る

2009-11-25 21:10:33 | 日記
イタリア語で「フオリクラッセ」という言葉があります。僕はこの言葉を「名手を越えた名手」と訳しています。イタリア語には他に「カンピオーネ」という言葉もありますが、これは単なる「名手」と訳していいと思います。
 一例を挙げますと、「ユベントス時代のジダンはカンピオーネだったが、レアルに移籍した後の彼はフオリクラッセになった。」

 今世界中にいるサッカー好きの少年たちが、やがて成長しプロとなる原動力に、現在のスター選手は欠かせません。子供達に好きなサッカー選手を聞けば、喜んで選手の名前と好きになった理由を教えてくれるでしょう。
 ではその子供達が将来プロに成れるかどうか、またフオリクラッセとして自分が次世代の子供達の敬愛を受けるまでに成長するには、何が一番大切なのでしょうか。

 僕は「願う事」だと思います。

 僕たちは日常の中で「スゴイ」という形容詞を沢山使います。でもその大半は相槌として、簡単に消費されているものです。その中には「自分には関係ない」「僕にはできっこない。」という諦めの気持ちも入っていると思います。
 何より「スゴイ」の概念が、人によって違う為、たとえジダンが世界的名手としてファンからは認知されていても、関心の無い人間にはどうでもいい存在と言えるからです。

 でもサッカー好きな子供たちは違います。「僕もジダンのようになる。」その純粋な気持ちが彼らを奮い立て、練習に耐える気持ちを促してくれるのです。人から笑われてもいいから、マルセイユ・ルーレットを真似してみる。出来た時の喜びは彼らをより一層高い次元へ押し上げてくれるでしょう。
 組織の一員として名手は時に監督の構想外となってしまいますが。子供達は真面目な選手よりも、遊び心をもった選手を好きになる物です。ですからスターは今も昔も光り輝いているのです。
 そして子供達は将来ジダンのようになりたいと、毎日願っているのです。

 改めて振り返るとバルセロナ時代のロナウジーニョはやはり偉大でした。最近ミランで左ウイングとして重用され、かつての輝きを取り戻しつつあるようですが、やはり体が絞りきれていないようです。バルサ時代と今では明らかにアゴと体のラインがふっくらしていますしね。

 僕がロナウジーニョのプレイで愕然としたのは、チャンピオンズリーグのアウエー、対チェルシー戦で見せた「ツイストシュートでした。」
 2度のキックフェイントを入れてから放ったシュートは、名手ペトル・チェホが一歩も動くことが出来ない、まさに完璧なシュートでした。この試合が行われた2004-05シーズンは優勝に手が届かなかったものの、翌シーズンバルセロナは1992年以来と成る欧州の頂点に立ちます。
 ロナウジーニョの存在なくして、バルサの躍進は成立しませんでしたし、彼の輝きは多くの子供達の夢となったはずです。

 近年のサッカーは戦術が高度化しすぎ、選手が戦術を逸脱する事は背信行為と捉えかねません。でも時には選手が自分の判断で、ゴールを目指すことがあってもいいと思います。ゴールを目指せる選手はひとりで組織を打破できる、優れた存在であるからです。
 
 スターが時代のスターを生み出す事は、過去も現在もそして未来でも変る事の無いサッカーの法則であるからです。

 
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サッカーと言う仕事

2009-11-25 12:26:59 | 日記
 皆さんは転職の経験ありますか?僕は今の仕事が4度目の職になります。お恥ずかしい話ですが、正社員として採用された最初の会社をわずか半年で辞め、それ以後は正社員になった例がありません。今のスーパーの仕事も実は非正規の雇用です。給料は安いですが家族皆が病気でないことが一番の恵みです。

 僕たちが転職した際一番気になる点は、「職場に馴染めるか」「与えられた仕事をこなせるか」の2点に尽きると思います。
 例えば僕がいわゆる「会社」と呼ばれる職場に転職したなら、馴染むまでに相当な気苦労があると思います。僕がスーパーで働いていることはお話しましたが、レジうちに商品の袋詰、商品陳列に店内の美化活動。どれをとっても会社勤めの人間には無縁の世界です。
 僕もパソコンを使う事はありますが、たいした業務ができるわけではありません。また取引先への訪問や社内会議などは、本当にテレビドラマの世界です。転職したいと考えることは多々ありますが、現実は相当厳しいことも理解しています。

 サッカー選手の場合「移籍」は「転職」にはなりません。これはひとつ選手にとって大きなメリットになると思います。
 確かに国を跨ぐ事に躊躇しない選手はいないでしょう。また移籍先の風習や風土に馴染めるかどうかの保証もありません。選手にはサッカー以外の困難が、数多く待ち受けているわけです。

 でも選手に与えられた仕事は万国共通ですね。そうシュートをゴールネットに突き刺すことです。それ以外に任務は存在しません。バスケットやボクシングといった他のスポーツに鞍替えするわけでもなく、アイスホッケーのように芝が氷に変るわけでもない。
 施設やクラブの規模に違いはあれど、芝とボールと観客、そして審判と選手が揃えばプロサッカーの試合は今すぐできます。世界中で見られるごく一般の光景です。

 当然移籍先に馴染めず母国に帰ってくる選手もいます。下手をすれば国内の移籍で上手くいかずに、早々と元のクラブに復帰する選手だっています。 
 でもサッカーのいい所はやり直しが比較的簡単にできる点にあります。
 例えば今ボーフムにいる小野は、フェイエノールトでの役割が終わったと感じたら、再び日本に帰ってきました。そして日本でリフレッシュした後、ドイツに旅立ったというわけです。日本に帰ってくる事は恥ではありません。移籍先でベンチが定位置よりも学ぶ事は遥かに多いはずですから。

 サッカー選手の転職というのは他のスポーツの選手として生計をたてることですが、解説や監督の仕事は、「昇進」と捉えるべきでしょう。
 一般企業でも役職につける人間は限られていますが、解説や監督の仕事も同様に非常に狭き門だからです。ですからどんなに弱小であっても、代表監督のポストがまわってきたら、それは非常に名誉なことですし、ファンの信頼を得る解説力を身につけるには、やはり経験が必要となってきます。

 J1のオフシーズンと欧州の冬の移籍市場で、選手が国を跨ぐ時期がまもなく訪れます。果たして今年はどんな移籍模様が現れるのでしょうか。今から僕は楽しみにしています。
 もちろん誤報や噂話に惑わされてはいけませんが。
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サッカーを愛でること

2009-11-25 01:27:09 | 日記
 僕の父は仕事の都合で僕がサッカー観戦できないとき、携帯メールで情報を送ってくれます。内容は日本代表の試合や選手選考、僕の好きな長野パルセイロの試合結果などですが、松本山雅の試合速報も送ってくるんですね。
 当然父に悪気はありません。僕の為に必要であろう情報を送ってくれているだけですから。サッカーが好きだからパルセイロと同様、山雅の情報も必要だろうと父は思っているわけです。
 僕はそのメールを見て苦笑いしているのですが、僕の父のように野球の世代は、サッカーのような「地域」と言う言葉よりも、「全国区」もしくは「県」という言葉が脳裏に浮ぶのでしょう。

 例えば長野県には野球の北信越リーグに所属する「信濃グランセローズ」というチームがあります。グランセローズは「県民球団」の形をとっているので、ファンクラブも県内の至る地域にありますし、ホームの試合は広い長野県をできるだけ片寄らないように、幾つかの球場で試合をしています。

 サッカーはそうではないですね。長野パルセイロは長野県に根ざすのではなく、長野市近辺のファンの生活を潤おすことが大前提です。つまりパルセイロの試合を観戦する事で、顔馴染ができたりスタジアムまでの散策が楽しくなる、クラブはクラブがある地域に根ざすことが最優先になります。
 だから松本山雅の情報を得ても面白くはないですね。今述べたように僕は彼らと関わりががありませんし、やはりパルセイロ最大の敵ですからね。

 僕は欧州や南米のように、ダービーのたびに暴動が起きたり、新聞やテレビが必要以上に煽る事は避けるべきだと思いますが、それでも純粋に競技として宿敵が競うことは、試合の質を高めるうえで最高の方法だと思います。

 長野県には他にも「上田ジェンシェン」「アンテローブ塩尻」といった北信越リーグに所属するクラブがあります。彼らはパルセイロほどの競争力がないため、1部と2部を行き来していますが、彼らだってJ1のステージに辿り着く可能性はあるわけです。

 サッカーを愛でることは、「忍耐」と同時に「夢」という言葉の重みを僕たちに教えてくれています。僕達ファンはサッカーと出会ったことに、改めて感謝しないといけません。
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