塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

イブラヒモビッチがグアルディオラに毒づく理由

2011-11-05 02:12:57 | 日記
 イブラヒモビッチが今でもグアルディオラに毒づいている発言が取りざたされますが、
イブラヒモビッチとしては、今まで所属してきたクラブで常に

 「主役」

 を担ってきただけに、自分という存在価値が見出せないバルセロナに、違和感を拭い
さることが出来なかったのでしょう。

 彼はアヤックスの他、イタリアの老舗3クラブでリーグ優勝を果たし、常に中心に位置
してきました。

 しかしバルセロナでは

 「ベンチスタート」
 「途中での交代」

 もありましたし、疲労や故障以外でのベンチスタートなど、それまで皆無なわけです
から、グアルディオラに対して

 「何を考えているのかわからない。」

 そう考えても不思議ではありません。

 逆に厳しい言い方をするならば、彼は自分が主役になれないクラブでは生き残れない
という証拠でもあります。

 モウリーニョでさえインテル初年度の2008-09シーズンのFWを、誰と誰で構成
するのかではなく、

 「イブラの相棒を誰にするか?」

 という戦術で優勝を勝ち取ったくらいです。

 しかしグアルディオラとモウリーニョの目論みは一致していましたね。

 皮肉にも彼の卓越した個人能力が、クラブ全体の調和を考えるとその和を壊してしまう
為です。

 選手が自分で苦境を打開するのではなく

 「イブラヒモビッチひとりに任せればよい。」

 そうした空気が蔓延ることを、両監督とも許せなかったのでしょう。

 ミランはカッサーノの病気療養のため、イブラヒモビッチにかかる負担が増大しますが、
彼はある意味今の状況を、心から楽しんでいるのかもしれません。

 周囲に頼られることは、彼にとって最高の出来事ですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JSLからJリーグへ。日本サッカーの記念碑

2011-11-05 01:51:36 | 日記
 ハンドボールの日本代表がロンドン五輪の出場権を韓国代表に阻まれたニュースを聞く
度に、

 「日本サッカーのプロ化は、やはり凄い出来事だった。」

 と痛感しています。

 1985年のワールドカップ予選、日本は今でも木村和司が国立競技場で見せたフリー・
キックが話題になりますが、現場を預かっていた当時の代表監督、森孝慈氏は

 「日本がプロ化する以外に、韓国には追いつけない。」

 という気持ちで一杯だったと聞きました。

 1990年のイタリア大会に向けて編成された代表は、

 「ラモスの日本への帰化」
 「赤いジャージ」

 が印象に残っているものの、結果は散々に終わり、代表監督を務めた横山謙三氏が古巣
レッズの指揮官に就任する際は

 「どうして彼が監督なんだ?」

 という疑問、批判が熱心なファンから巻き起こったくらいです。

 もし川渕三郎氏が、周囲の懐疑的な視線に負けプロ化を断行できなければ、

 「日本のワールドカップ出場」
 「2000、2004、2011年のアジアカップ優勝」
 「1996年~2008年までの五輪出場」

 は達成できなかったはずですし、選手の海外リーグへ挑戦も夢で終わっていたはずです。

 日本サッカーにおいて、JSLからJリーグへの転換は一大事でしたし、今後他国でプロ
サッカー・リーグが誕生する際の、大きな手本にもなると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする