塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

Jのクラブに見るスローガン発表の意味

2013-01-30 13:49:01 | 日記
 長野パルセイロの2013シーズンが「結心」となりました。

 パルセイロに限らず、Jのクラブは毎年必ず異なったスローガンを公表しますが、この試み何とも日本らしい発想だ
と苦笑してしまいます。

 と言いますのもこうしたスローガン、日本以外のクラブで発表されているという話、僕は耳にしたことがありません。

 韓国、中国、そして東南アジアでもこの試みは行っていないようで、来日した外国籍選手からすれば奇異に映るので
はないでしょうか。

 スローガンの公布には

 1・選手と監督、フロントとファンが同じ目標を共有する
 2・白星から見放され、歩みが止まった際の指針として振り返る

 という2点の目的があると言えます。

 しかし、いくら優れたスローガンを発表しても、シーズン半ばにもなれば忘れているファンもいるでしょうし、仮に
立ち返ることが出来たとしても、基軸となるのは

 「選手と監督の入れ替え」

 になります。

 欧州、南米でこの試みが成されないのは

 「優勝、残留、欧州と南米それぞれのリーグ戦出場」

 という、クラブによってシーズンの目標が完全に異なる為で、日本のように優勝を狙うクラブがごった煮のように多く
ないからかもしれません。

 勿論全てのクラブが残留を願いますが、一度狂った歯車が戻らない事例も多数存在します。

 アルゼンチンではリーベル・プレートがそうですし、日本ではガンバの事例が当てはまりますが、少なくともブラジル
やアルゼンチンに見られる

 「ビッグクラブ救済」

 というあってはならない案が存在しないことは、日本にとっては良いことです。

 スローガンの発表は僕個人の見解では非常にドメスティックな代物ですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
コメント
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