塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジュビロ、新監督招聘の効力はいかに

2019-08-23 17:47:05 | 日記
 ジュビロが降格を避けるべく、様々な動きを見せています。

 ガンバ大阪から今野を加入させたのも、降格におびえ萎縮する選手たちを鼓舞し、ガンバ、代表のいずれでも多くの場数を踏んできた彼の存在が後押しになると考えたためでしょう。

 しかし、よくわからないのは、新監督にフベロ氏という外国籍の指揮官を突然招聘したことです。

 これが短期、つまり降格、残留どちらの結果でも2019シーズンで契約を終えるのか、来季も指揮をゆだねるのか僕にはわかりません。

 ただ、外国籍の指揮官を招聘するならば、開幕前の方がよかったように思います。

 部外者の僕が言うのもおこがましいですが、監督人事が唐突すぎてよくわからない、というのが僕の意見です。

 トリニータが過去、シャムスカ氏のもとで一気に成績を向上させた例があるように、外国籍の指揮官が全て結果が伴わないわけではありません。

 一方で鈴木秀人前監督がわずか1カ月で退任したことを思うと、現在のジュビロが監督の交代だけで成績が向上すうrことは、実に難しいように見えます。

 ジュビロが過去2部に降格した際も、ヤマハ、プーマなどスポンサーが降りることはなく、指揮官が名波浩というかつての主力ということも、ファンのよりどころ出があったと感じます。

 エスパルスもコンサドーレに0-8という、サッカーらしからぬスコアで完敗したように、静岡の2クラブは今ファンの信任を得にくい状況です。

 ジュビロとすればサガンや山雅などの成績を考慮しながら勝ち点を積み上げる必要があり、他力本願と言う点でも今後は苦戦が予想されます。
 
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洗練された100円ショップ

2019-08-23 17:35:52 | 日記
 僕は数ある100円ショップの中では「セリア」をよく利用します。

 ウエット・ティッシュにクリーナーなど、掃除用品、日用品を購入するのですが、今日は母の希望で100円ショップの代名詞、「ダイソー」に出かけました。

 ダイソーでもセリエと同じように100円の中で様々な商品が売られています。

 両店についていつも驚きを隠せないのは

 1・食品の扱いもあり、大手スーパーでは見かけない品があること
 2・この価格で日本製もあること
 3・海外の方にも人気

 という3点にあります。

 何だかこの買い物方法、欧州のスカウトが日本を頻繁に訪問し、格安の手数料で戦力補強をしたい形と似ている気がします。

 現在の100円ショップの品は、デザインも洗練されており、日用品でも洒落た印象が強くなりましたね。

 日本の選手たちがより輝いて見えるのも

 1・熱心なファンがスタジアムに出向く
 2・屋台や選手ガイドなど、取り巻く環境が年々向上している

 というように、1993年よりも当然ですが改善と向上を果たしているためです。

 中には移籍先で

 「どうしてアジアやアフリカから来た、というだけで侮蔑的な扱いなのだろうか」
 「プロなのに、どうしてこんなに設備が整っていないんだ」

 と思うこと、あると思います。

 本場という言葉は桃源郷ではありません。

 柔道や合気道、茶道をたしなむ外国籍の方が日本行きを熱望するのは当然でしょうが、日本だって桃源郷ではありません。

 しかし、出向かなければわからないことがあること、これも確かでしょうしね。
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2000年代前半、ファンが選手と直接会えた企画

2019-08-23 01:06:36 | 日記
 2000年代初頭のまだ日本人選手が、今ほど海外に活路を見出していない時期の事です。

 大手の旅行会社は日本人選手応援ツアーを企画し、サッカー好きを自社のファンにしたいと考えていたのですね。

 これは一例ですが、ワールド・サッカーダイジェスト2002年12月5日号の103ページでは

 「2002-2003年シーズン欧州蹴球紀行」
 「中村俊輔選手応援ツアー」
 「レオナルド選手応援ツアー 2003年1月を予定」

 という広告があります。

 興味深いのはたとえ日本人選手でなくとも、Jリーグに在籍経験を持ち同時に高い人気を誇ったレオナルドの応援ツアーも手掛けている点です。

 広告では親切に

 「中村選手とファンの集い」
 「俊輔公式グッズプレゼント」
 「練習見学とサイン入り生写真プレゼント」

 という謳い文句もあります。

 それだけ当時の日本サッカーは、代表の主力選手でも本場で戦う選手はごく稀な存在、だったというわけです。

 2001年、敵地でフランスに0-5で敗れた際も、雨中の中重い芝生を苦にすることなく戦えたのは、当時ローマに在籍していた中田英寿だけでした。

 しかし、現在のように次から次へと渡欧する選手が現れなかったことは

 1・欧州で知名度のある存在は中田のみ
 2・ワールドカップの出場がわずかに1回

 と欧州から信任が無かった点が強いですよね。

 これだけ日本代表選手が欧州各地で戦うことは凄いことですし、旅行会社も誰かを絞って応援ツアーと企画、ということはもはや無いでしょう。

 当時はスマートフォンや映像配信がなかったことも、ツアーの企画を生み出した要因と言えそうです。
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