塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

幼少期の思い出の強さ

2019-08-24 09:20:27 | 日記
 先週の今日は同窓会のために出かける準備をしていたものです。

 僕のクラスにいたk君は、今英語がもの凄く達者で通訳なしでネイティブの方と、はっきりとした意思疎通ができると聞き、皆で驚きました。

 当時のk君は英語の成績は秀でた形ではなく、地区の進学校に進んだわけでもないためです。

 つまり、高校入学を果たしていこう、彼に「何か」が起き英語を学ぶことが楽しい、そして重要性が一気に増した形なわけです。

 彼は不参加でしたので、詳しい話が聞けたらどんなに良かっただろうと思います。

 僕が43の今でも未婚なのは、女性との距離感が恥ずかしい話、よくわからないことが理由の一つにあります。

 僕は今でこそ身なりに注意していますが、小学校、中学校は身なりにも清潔度にも注意を払っていなかったのです。

 ですから、席替えで女子は僕の隣に来るのを嫌がりましたし、その冷ややかな視線が今でも心のどこかに、暗い気持ちをもたらしているのでしょう。

 集合写真を撮る際も

 「私、モリヒコの隣はちょっと」

 という声が聞こえてきましたが、それだけ当時の心情は変化のしようもないほど、沁みついているものだと痛感した次第です。

 今ではブラジルですらストリート・サッカーではなく、クラブがスクールを運営し体系的な練習を可能としています。

 ブラジルがあれだけ発想な豊かな選手に恵まれたのは

 1・ストリートならではの体格差を克服する
 2・相手を出し抜くための策を考える
 3・自分がいかにボールを保持し、怪我を少なくするか

 と自分で必死に考える、これが楽しかったためでしょう。

 この幼少期の体感が、成人になってからも消えることなく宿っていた。

 この効果がワールドカップ優勝5回に結び付くように思います。
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久保建英、マジョルカへの移籍が決定

2019-08-24 09:11:50 | 日記
 久保建英が来年6月30日まで、マジョルカに期限付き移籍を果たします。

 マジョルカと言えば1999年、カップ・ウイナーズ・カップの決勝まで進み、若き日のサムエル・エトーが研鑽を積んだ場所です。

 また、エクトル・クーペルもマジョルカで自身の戦術を確認し、バレンシアに迎え入れられます。

 イタリアだとボローニャが選手の名声を呼び戻すクラブとして知られています。

 マジョルカもボローニャと同様の形が感じられるのは

 地方だからこそ、ファンとマスメディアがいきなり批判することはない
 指揮官、選手のいずれも批判の視線を感じずに、自分のしたい事をできる環境

 なのではないでしょうか。

 マジョルカには靴ブランド「カンペール」が存在し、1990年代一気に靴の産地として知られるようになりました。

 またスペイン産の赤ワイン、イベリコ豚など、多くの食材が日本の食卓をにぎわすなど、サッカー以外の要素で虜になった方は多いと思います。

 サッカーでこれだけスペインが重要視されるのも

 サッカーにとって大切である、攻撃の姿勢が常に感じられること
 バルサとレアルという、普遍性を持つふたつのクラブ

 の存在があると思います。

 攻撃にとって最大の目的は「シュートを放つこと」にあると指摘されますが、スペインはこの姿勢が昔かた強かったのでしょうね。

 2015-16シーズン、レアルはラファ・ベニテスを指揮官に指名し、彼はまず守備の再構築から始めます。

 実際守備の改善は大きな効力をもたらしましたが、この着眼点がファンには消極的に見えたのかもしれませんが。
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