塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

主以外が履くという選択

2019-08-28 22:12:21 | 日記
 アンドレス・イニエスタ専用スパイクとして開発された「ウルトラレッツア」

 アシックスが威信をかけて制作したこのスパイク、当然イニエスタのラストで制作されているのでしょうが、僕ならばJ1のアシックス契約選手すべてに、1試合限定でも良いので履かせたと思います。

 ナイキがマイケル・ジョーダンのために開発したエアー・ジョーダンは、当然彼だけが履く代物でした。

 しかし、ジョーダン12のあたりからチームメイトであるロン・ハーパーなど、ナイキ契約選手の1部もジョーダン12を履き始めたのです。

 エアー・ジョーダンに限らず、米国でも日本でも人気バッシュは

 所有するだけで価値がある
 街履きとしてのステイタス

 として認知されていました。

 一方で日本国内のジョーダン12の在庫状況と言いますと

 前作のジョーダン11が爆発的な売れ行きと高値を記録したために、多くの業者が扱う
 従って在庫がだぶつき、売れ行きが芳しくない

 という点もありました。

 またジョーダン12の履き心地は非常に硬く、純粋にバスケットボールという競技の特徴を捉えていたものの、「街履き」としての人気は高くありませんでした。

 ナイキはジョーダンが初めて引退を表明した1993年以降、限定カラーやローカットの投入などで、購買層を刺激したのですが、

 「ジョーダン以外の契約選手にも提供」

 という背景には、販売促進と機能の表現というふたつの意味合いがあったに違いありません。

 もしイニエスタ以外の選手もウルトラレッツアを履いたならば、希少価値と言う点は下がったでしょうが、多くのファンが目にするという意味では利点があったように思えます。
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堂安律、噂どおりPSVの一員に

2019-08-28 17:15:56 | 日記
 堂安律がフローニンゲンから、オランダ3強の一角であるPSVへ移籍します。

 PSVとフローニンゲンの間で、契約違約金をめぐってひと悶着あったようですが、堂安は今季優勝を狙うクラブで戦うことになります。

 仮にエール・ディビジで優勝すれば、日本人選手として初めての快挙となります。

 小野伸二は2002シーズン、UEFAカップを勝ち取るもリーグ優勝は未達成でしたし、本田圭佑はVVVで優勝しましたがこれば2部の出来事ですからね。

 PSVは下部組織から丹念に戦術を植え付けるアヤックスよりも、新加入の選手が動きやすいのではないでしょうか。

 彼らの過去を振り返りますと

 1・1998年チャンピオンズ・カップ優勝
 2・ちなみにこのシーズンは3冠を達成
 3・ブラジル代表のロナウドとロマーリオ、韓国代表のチソン・パクの在籍で知らてれいる

 点が思い浮かびます。
 
 PSVは現在アンブロからジャージの提供を受けていますが、フローニンゲンはプーマと契約中でした。

 ナイキからプーマへ契約変更した彼にとって、体全体をプーマで覆うことがある種の媒体として大きな形でした。

 今季はブレーメンの大迫と同様に、アンブロのダブル・ダイヤモンドが映る確率が高くなりますね。

 ウルグアイ代表のスアレスも、まずはフローニンゲンでプレイし、アヤックスへ移籍しリバプール、バルセロナの形で移籍しました。

 つまり順応すること、学ぶことを重点に置いたからこそ今の彼があるはずです。

 「悠々として急げ」

 そんな言葉が堂安にも似合う気がします。
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もう全てが揃わないという現実

2019-08-28 01:08:15 | 日記
 僕が通っていた中学は、1クラス36名の10クラスで成り立っており、地方の中学からすると相当のマンモス校でした。

 ただ現在は少子化の影響もあり、6クラスを維持するのが精いっぱいのようで時代の隔たりを感じます。

 当時は思春期の真っ只中ということもあり、特に女子は担任のA先生に反旗を翻すことが圧倒的だったのですが、最終的にはまとまりのある良い雰囲気で卒業しました。

 僕が馬鹿だなと思うのは、この中学の卒業式が36名が最後に揃う最後の日、ということに当時は全く気付かなかった点にあります。

 つまり、就職、進学、結婚など今後訪れる人生の様々な要素を、想像できなかったんですね。

 実際、先日の同窓会でも勤務先が遠い、子育てが忙しい、千曲市から巣立っている、家族で引っ越して連絡先すらわからないなど、あれだけまとまりがあったクラスでも、全員の出席には至りませんでした。

 中にはまとまっているように見えても

 「今更中学に同窓会なんて」

 と思う、つまり良い印象を持てなかった同級生もいるのでしょう。

 高校の同窓会にもう参加しないであろう僕のように、思い出に良い形が全くない場合は苦痛でしかないですから。

 ただ「死」ということは、全く想像していませんでした。

 僕のクラスでも既に他界していた同級生がいたことを初めて知り、衝撃を受けました。

 最後に話したのはいつだろう
 もう話すことも、声を聴くこともないのか

 と、しみじみ自分が生きていることの意味合いを考えさせられました。

 サッカーでも2003年のコンフェデ杯で、カメルーン代表のフォエが心臓発作で他界した際の衝撃は、とてつもなく大きいものでした。

 今年に入ってもスペイン代表のレジェスが交通事故で亡くなりましたが、試合中であろうがオフの日であろうが、選手の不慮の事故は本当につらいものです。

 アンドレス・イニエスタが「ダニ・ハルケ」の存在をいつまでも忘れないように、僕たちも生と死を常に考える世の中なのではないでしょうか。
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御大将が見せる配下との差別化

2019-08-28 00:55:42 | 日記
 僕の住む千曲市の隣町である坂城町には、戦国の世に「村上義清」という武将が存在しました。

 更に南下し上田市まで到達すると、戦国武将の中でも特筆した知名度を持つ真田一族の面影が確認できます。

 池波正太郎先生が週刊朝日で「真田太平記」の連載を担っていたころは、頻繁に上田まで訪問したと言います。

 僕は今、新潮文庫から刊行されている塩野七生さんの「十字軍物語」の文庫4巻を読み始めていますが、欧州でも日本でも鎧兜、甲冑は当然身を護るものとして大切な存在でした。

 しかし、これが神聖ローマ帝国皇帝や諸大名など、「御大将」の物ですと身を護る要素よりも見た目の派手さや、自軍を象徴する色彩などで様々な形が見えてきます。

 つまり、御大将が配下よりも異なる鎧をまとうことは

 1・末端の兵士に対して、我らが総大将が命を預けるに値する存在であることをわからせる
 2・わからせることで士気を上げる
 3・総大将自らの気合、精神統一に役立つ

 という意味合いがあると想像します。

 サッカー監督がベンチでクラブから支給された形とはいえ、スーツを纏うのも選手がジャージという別の衣服を纏う中、

 自分が総大将であることを示す
 一線を引くことで、自分の権威を表現

 という意味ではないでしょうか。

 岡田武史氏が2度にわたり日本代表監督を務めた際、1998年ワールドカップはアシックスから与えられたジャージでベンチ入りしました。

 しかし2010年ワールドカップはダンヒルの公式スーツで陣頭指揮にあたったわけですが、氏の胸中には

 「選手の心情に近づくよりも、威厳を示すことの大切さ」

 があったのではないでしょうか。

 企業でも役職た高ければ高いほど、背広に限らず表情や言葉遣いが高いレベルで求められることも、同様の意味合いがあると感じます。
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