塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手が移籍して感じるであろう点

2021-05-15 21:29:59 | 日記
 サッカー選手は移籍がつきもので、中村憲剛のように一つのクラブにしか在籍しない選手は稀と言えます。

 本場欧州でも一つのクラブだけで過ごすことは難しく、エムバッペのように契約解除金を今後塗り替えるであろう選手もいれば、下部リーグでも自分の居場所を求め、移籍を模索する選手もいます。

 そのような選手たちが移籍し、古巣と対戦することになった際はどんな心境でしょうか。

 中村俊輔がF・マリノスからジュビロ磐田に移籍した際は、彼もまだ落ち着いていたと思います。

 しかし彼ほどの名手でも現在の「横浜FC」のジャージを着用し、見慣れていたはずの日産スタジアムに立ち、かつて声援を送ってくれたはずのファンからにらまれること。

 当然気持ちの良いものではないですよね。

 それは現在名古屋グランパスエイトに在籍する斎藤学もそうでしょうし(Fマリノスからフロンターレ)、欧州ではアルゼンチン代表のカルロス・テヴェスがシティとユナイテッドに在籍しました。

 見慣れたはずのホーム側ドレッシングルーム
 しかし、今着替えているのはビジター側のドレッシングルーム

 この「矛盾」は、選手冥利なのかそれともまた別の心情なのか、僕たちに判断しにくいですね。

 NBAやNFLに代表される米国競技でも移籍はつきものですが、サッカーほどファンが神経質になっているようには思えません。

 純粋に地区制度が保たれていますし、米国にはそもそも契約解除金の概念が希薄という点もあるでしょう。

 勿論、高収入の選手ほど批判はつきものですが、僕のような小心者はそんなお金を受け取った瞬間、冷や汗で手が震えてしまうに違いありません。

 移籍も高年収も、ほどほどが一番ではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮にフロンターレが無敗優勝を達成すれば

2021-05-15 20:57:34 | 日記
 10シーズン前の2011年、J1では後世まで語り継がれる優勝クラブが誕生します。

 それは柏レイソルで、2010年はJ2が主戦場であり、2011年はJ1復帰初年度だったんです。

 にもかかわらず、J1で優勝を果たすという「快挙」という言葉が陳腐に思える、素晴らしいシーズンを送ります。

 浦和レッズに移籍するという、若き日の酒井宏樹
 ジョルジュ・ワグネルとリーグMVPとなるレアンドロ・ドミンゲス
 そして指揮官ネルシーニョの存在

 今思えば、レイソルには確固たる軸と信念があったことがわかります。

 では、今期また別の快挙の可能性が残されていると、僕は想像しています。

 それは川崎フロンターレによるシーズン「無敗」での優勝であり、もし仮に達成できたならば、本当に素晴らしい偉業になりますよね。

 鹿島アントラーズは2000年に3冠、2007年からは3季連続優勝
 ガンバ大阪は2014年に3冠
 浦和レッズはJクラブで唯一、2度のチャンピオンズ・リーグ優勝
 ジュビロ磐田は2002年の2ステージ時代、完全制覇

 というように、大きな足跡を残してきたクラブは多々ありますし、クラブの財産になっていることも間違いありません。

 ただ、無敗優勝はまだ登場していませんし、そもそも2ステージは一回復活しましたが、もう採用されることはないでしょう。

 ですからジュビロの戴冠は、今後は「参考例」の扱いになる気がします。

 3位につけるサガンが仮に優勝すれば、賞金だけでなく地方クラブをおおいに勇気づけるでしょうし、監督交代で鹿島アントラーズも息を吹き返しました。

 ただフロンターレの躍動感、戦いぶりは他のクラブからみても魅力的でしょうし、このまま独走が続くと予想されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧州選手権初出場のフィンランドと言えば

2021-05-15 20:37:20 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェストが五輪同様今年にずれ込んだ、欧州選手権2020の選手名鑑を刊行しました。

 優勝候補以外で注目すべき国は

 1・1998年ワールドカップ以来のビッグ・トーナメント参戦のスコットランド
 2・ワールドカップには縁がないが、欧州選手権には縁のあるトルコ
 3・ビッグ・トーナメント初参戦の、北マケドニアとフィンランド

 でしょうか。

 特にフィンランドは過去にヤリ・リトマネンとサミ・ヒーピアという、有力選手が存在したことで覚えている方は多いと思います。

 ヒーピアは長年、リバプールの最終ラインを支え、リトマネンは1995年、アヤックス・アムステルダムでチャンピオンズ・リーグ優勝すら経験していますからね。

 この時のアヤックスは

 ジョージ・フィニディ ナイジェリア代表
 パトリック・クライフェルト、フランク・デブール エドウイン・ファンデルサル オランダ代表

 という若く勢いのある選手がそろい、指揮官ルイス・ファンハールが描く3-4-3の攻撃的布陣が欧州を席巻します。

 その「4」つまりひし形の頂点に指名されたのがリトマネンで、オランダからすれば大した実績のないフィンランド代表は、まさに驚きに存在だったに違いありません。

 ファン・ハールはのちにバルセロナに移籍し、自分の愛弟子であるアヤックスの選手たち、しかもオランダ代表ばかり重用し、クラブの伝統を無視していると、大きな批判にさらされます。

 リトマネンもバルセロナに在籍し、リバプールにも活躍の場を求めますが、帰還することになるアヤックスのファンは、穏やかなまなざしで彼を迎え入れたものです。

 アヤックスの主力たちが、もうオランダ国内ですべきことはなく、同時に「ボスマン判決」の影響が色濃く、チャンピオンズ・リーグで快進撃を見せたのは、2019年まで待つことになるわけです。

 リトマネンも後輩たちの活躍を拍手喝采でたたえたのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする