塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

時流か、それとも昔馴染みか

2021-05-04 21:27:05 | 日記
 トヨタ自動車が制作する水素自動車「ミライ」

 ホンダがガソリン車の製造をやめると宣言し、欧州市場では電気自動車の需要が飛躍的に高まる中、車業界もかつての家電製品と同じ帰路に立たされています。

 家電業界は過去
 
 ビデオ販売におけるベータかVHSか
 映像販売におけるブルーレイかDVDか
 テレビはプラズマか液晶か

 という点で、多くの論争がなされました。

 テレビは少なくともプラズマでも液晶でもなく、既に有機ELと4kに変化していますし、映像は買う形ではなく「配信」で届けてもらう形にシフトしつつあります。

 つまり、どれだけ論争をしても有意義な形になるとはいえないわけですね。

 車も水素自動車の方が圧倒的に環境にやさしいわけですが、プラグ・イン・ハイブリッドや電気自動車の方が価格で優位にあることも確かです。

 トヨタのような大企業でも、個々での選択肢を間違えますと、経済問題、特に雇用で大きな損失になりかねません。

 「ヤスダ」のスパイクを復活させるためのクラウド・ファウンディングが成功し、新作も発売されるようになりました。

 難しいのが現在のヤスダが

 1.主流のニットスパイクを開発するだけの規模はあるのだろうか
 2・もしニットスパイクを発売したならば、往年のファンは去ってしまわないだろうか

 という点にあります。

 往年のファンは、ヤスダの丁寧な作業と革の質感が好きで、だからこそあの風貌、味わいをもう一度は期待と考えたからこそ、参道して資金援助を果たしたと思います。

 つまり裾野を広げ、現在のヤスダを知らないファンに手に取ってもらうには、時流は考慮せねばなりません。

 しかし、これまでの根底を支えてきた昔馴染みからそっぽを向かれる可能性も否定できないのではないでしょうか。

 僕は古典的な服飾を好みますが、時流に抗うことが難しいことも確かですからね。
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僕が好む第3の存在

2021-05-04 20:55:40 | 日記
 個人の持つ性格、家庭環境による面が大きいと思いますが、僕はナンバー1になりたいという欲がありません。

 むしろサッカーでも「ナンバー3」あたりに惹かれます。

 大概サッカークラブの表記ですと

 イタリア ユヴェントス、ミラン、インテル、もしくはミラン、ユヴェントス、インテル
 ポルトガル ポルト、ベンフィカ、スポルティング、もしくはベンフィカ、ポルト、スポルティング
 スペイン バルサ、レアル、アトレティコ、もしくはレアル、バルサ、アトレティコ

 と言う事例が多いと思います。

 スポルティング・リスボンはルイス・フィーゴとロナウドという、ポルトガル代表の大エースを育んだ育成組織で知られる
 アトレティココは指揮官ディエゴ・シメオネの就任と共に、心身ともにタフなクラブへと成長
 インテル 遂にユヴェントスからスクデットを奪還する

 というように、3番手と目されるクラブでも見どころは凄く多いはずなんです。

 我が家の場合、政治でいえば昔から自由民主党という絶対的な存在ではなく、民主党や新進党の代表される、別の政党に投票してきました。

 それは父が読売巨人軍ではなく、大洋ホエールズの時代から横浜ベイスターズを声援してきたことにも反映されていると思っています。

 僕は過去、西武ライオンズが好きでしたが、それは月間コロコロ・コミックで連載されていた

 「かっとばせ!キヨハラ君」

 を読んでいた影響が強く、心底ライオンズが好きだったかというと返答に困ってしまいます。

 サッカーに限らずスポーツの場合

 1・自分がこうなりたいと思わせる王者に気持ちをゆだねる
 2・王者ではなく弱みを見せながら戦う弱者に気持ちが惹かれる

 の2種類に好みが分かれるはずです。

 ただ、我が家(父と祖母)で例外的だったのは大相撲で、千代の富士をとにかく贔屓にしていたことはよく覚えています。

 絶対王者と言う存在は、どんな立場の観客でも虜にしてしまう存在だと、改めてその大きさを痛感する次第です。
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かつての英雄を批判すること

2021-05-04 20:37:31 | 日記
 グラスゴー・レンジャーズで監督としての経験値を高めているスティーブン・ジェラード。

 彼もコップも、いつの日かアンフィールドで再会できることを楽しみにしているのでしょうが、現実はそう理想的には進みません。

 ケニー・ダルグリッシュが2012年退任時の際、かつて「キング・ケニー」と讃えられ、リーグ・カップをもたらしたとはいえ、その古典的な戦術はやはり見るものがなかったのでしょう。

 つまり、コップはジェラードの成績が伴わなければ、罵声を浴びせる形になります。

 それも、ケニー・ダルグリッシュを凌駕するであろう、クラブ最高の選手だった人物にです。

 ユヴェントスがそうですよね。

 ファンはわかっていたはずです。

 クラブが過度期であること
 指揮官アンドレア・ピルロはアンダー23で実戦経験を積み予定の、完全な初心者であること
 欧州制覇を狙う他のクラブよりも、陣容はこじんまりとしていること

 しかし、ユヴェントスのファンは結果が伴わないピルロに対し、心中で罪悪感を感じていない、言い換えればすべての元凶が彼にあるわけではないが、痛罵を浴びせることで気持ちのはけ口にしている。

 という点が感じられます。
 
 過去、日本代表も同様でした。

 住友金属、鹿島アントラーズというクラブの枠を超え、全身全霊で日本サッカーに心血を注いできたジーコに対し、意見や反論を寄せられることがはばかられました。

 それは批判や提言が、彼とその功績に対し、何ら敬意を払っていないと目されること、自分がブラジル代表背番号10の重責を担い続けた人物に意見できるだけの見識と度量があるのか。

 など考えすぎた面もあるでしょうが。

 僕は素人でも意見は出してよいと思いますが、そこに指揮官に対しての不躾な行為が伴わないという、明確な基準が不可欠だとは思いますね。
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