塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

名画モナリザとレオ・メッシを重ねて

2021-08-15 20:31:59 | 日記
 「最後の晩餐」と「モナリザ」は、西洋美術に関心がなくとも、レオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けた作品だとわかります。

 ちなみにモナリザがフランス所有(ルーブル美術館に展示、保管)されているのは、晩年をフランスで過ごしたためであり、イタリア人がパリをとずれた際、この世界的名作を異国で見る事に、どのような感想をもたらすのか気になります。

 僕は日本美術に疎いのですが、葛飾北斎や若冲の品がが仮にソウルや北京に飾られている、美術展として貸し出しているのではなく、保持されていると聞けば、やはり残念に思うのでしょうが。

 ダ・ヴィンチとモナリザの関係性は

 スペインとフランス
 バルセロナとパリ・サンジェルマン
 カンプノウかパルク・ディ・プランスか
 主人公は背番号10から30に変更したレオ・メッシ

 と酷似しているような気がします。

 むしろ、彼の故郷アルゼンチンの方からすれば、契約先がどこでもメッシがプレイを続けることができることが最重要と思うのでしょうが、失ったバルセロナのファンと迎え入れたパリのファンの温度差。

 ここに相当の違いがあるということです。

 少なくともバルトメウの試算や選手獲得が乱獲でなければ、ここまで問題はこじれなかったように思います。

 全てをメッシが解決してくれる
 キケ・セティエンもロベルト・クーマンも、メッシを必ず徴用する

 というような、ある種の安易さもあった気がします。

 1996年、インテルを率いるロイ・ホジソンは、スイス代表のチリアコ・スフォルザを獲得し、10番を与えます。

 名前は無視できないもので、ミラノにはスフォルザ家という名門があり、彼と因果関係があるかどうかはわかりませんが、このスイス代表としてはルーツをたどる移籍、という面もあったと思います。

 パリとの契約を終えた後、もしメッシが再度バルセロナに復帰すれば、それはバルトメウへ最高のカウンター(あてつけ)となり、ルーツへ復帰するという形になるのでしょう。
 
 一緒にネイマールが復帰するというウルトラCはさすがにないでしょうが、同時に両選手ともいささか年齢を重ねすぎているという側面も否定はできません。
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選手実用品という魅力

2021-08-15 15:04:27 | 日記
 東京都に「流体力学」という店舗があります。

 ここで扱われる品は通常とは異なり、大リーグやNBAで選手が実際に使用したバットやジャージ、バッシュを取り扱う、ファンならば一度は訪れたいと思う店舗です。

 1990年代は一気に大リーグとNBA情報が流れ込むようになり、同時に選手使用品やオートグラフが本物なのかどうか、の鑑定も盛んになりました。

 代表の前野重雄氏は米国スポーツの真贋についての第一人者ということで、これまでお世話になった方は更にファンになったのではないでしょうか。

 サッカーでいえば「ザ・ダグアウト」が相当すると思います。

 昔は専門誌「ダンクシュート」にも、選手のオートグラフ(サインの事です)が入ったトレーディング・カード、バッシュの広告が掲載されていたものですが、選手にも「核」がありますしね。

 オールスター級の選手とルーキーでは価格が異なりますし、ナイキやアディダスとAND1のように、新興ブランドと伝統ブランドでも価格は異なったようですし、一般向けでないことは確かです。

 サッカースパイク専門サイト「0014のブログ」によりますと、ニューバランスと新契約を結び欧州選手権2020に参戦したラヒーム・スターリング。

 彼が試合で着用したスパイク「フェーロン6」が、日本円で20万円の金額で売却されたとあります。

 英国には「BCブーツUK」と呼ばれる、選手着用品を扱う店舗があるようで、このフェーロン6はここで売られていたようなんです。

 よほどイングランド代表に興奮したか、シティのファンか、それともリバプール時代からスターリングを追いかけていたのか、理由はいろいろあるのでしょうが、凄い取引ですよね。

 結婚している男性には「妻」という天敵がいて

 「返品してきな」
 「そんな無駄な買い物」

 と叱責されながら買い物をすることがありますが、英国ではどうなんでしょうね。
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完璧主義など無駄だと思いますが

2021-08-15 14:47:14 | 日記
 完璧という言葉があります。

 この言葉に関して以前、こんな声を聞きました。

 「完璧という言葉は使わない方が良い」
 「何故ならば、人によって完璧の捉え方が異なるからだ」

 その通りだと思います。

 僕には弟がいますが、お世辞にも彼の自室が手入れと清掃が行き届いているから言えば、まったくそんなことはなく、両親は常に不満をもらします。

 僕だって内心

 「この枕カバーやシーツ、いつ洗うのだろう」
 「空のペットボトルやお菓子の袋、すぐに捨てたらよいのの」

 とは思いますが、本人はこの環境が心地よいわけですよ。

 僕から見たって両親も

 母親 全く着用する気配のない着物(受け継いだ物も含めて)処分する気も気配もない
 父親 ため込んだ本を手ばなす気配もない

 それでいて僕には(やはり手放すべきではなかった、と思う書籍が最近多くなり困っています)本を出せ、いらない服を処分しろ、常にいう、あるるしゅのダブル・スタンダードなんですよ。

 「私も不用品を手放すから、皆でそうしょう」

 ならば辻褄は通りますが、まったくそうではないですし、僕が手ばしてもよい、と思うのに

 「どうして捨てるんだ、勿体ない」
 「あとで使うかもしれないから手放すな」

 という始末。

 そう、達成感、完璧さは血縁でもここまで感覚が異なることを、重々承知すべきでしょうよ。

 サッカーもそうで、グアルディオラのように事細かく決まり事を支持する人間や、オランダ代表に復帰するファン・ハールのように、ある種の傲慢さで束ねようとする人間もいます。

 恐らくユルゲン・クロップような万能型と思える指揮官は

 1・強権的ではなく、そこまで戦術に拘泥しない
 2・何よりも選手や裏方の気持ちに思いをはせる
 3・指揮官にとって一番失うべき事柄は情熱

 と思うのではないでしょうか。

 僕は自分の考えで自分自身に完璧を求めてをよいと思いますが、他人様にその意見をぶつけるのは筋違いではないかと思います。

 米国は自分たちが考える民主主義こそが万能と思い、中米やアフガニスタン、イラクに強要してきましたが、その結果は既にごらんのとおりの形ですからね。
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ネットによる買い物を改めて見つめて

2021-08-15 11:34:59 | 日記
 インターネットによる購入は、個人が海外の店舗との接点を増やすきっかけとなりました。

 1990年代、アウトドアに関心のある方は米国「LLビーン」からカタログを取り寄せ、辞書を引きながら希望商品をメール・オーダーして取り寄せていました。

 メールオーダーは(カタログ販売)は、広大な米国をカバーするための方法論、つまりお客の近くに店舗がないマイナス面を考慮しての形で、既に経営破綻しましたが、シアーズが最初に始めたと記憶しています。

 「ランズエンド」は、メイルオーダー、ネット、電話でも注文が可能ですが、日本語対応で問題ないため利用した方は多いと思います。

 日本のサッカーファン、特にスパイク好きは英国の「プロダイレクト」など、専門店のサイトを閲覧し、英語で支払い方法やサイズを確認しながらクリックしているのでしょうね。

 僕は日本国内でも通信販売を利用しないので、諸外国の店舗を探すという作業は一度もしたことがありません。

 例えばアディダスの「グリッチ」は日本では未展開でしたから、履いて試合に出場したければ高いお金(関税が高いはずです)を支払う必要がありますが。

 ミズノも海外限定色のモレリアを販売してきた一方、リビルディング・プロジェクトのように、日本限定流通のスパイクもあります。

 逆に海外のサッカー・スパイクファンが、これらを欲しいと思えば難解な日本語に戸惑いながら、製品の特長や素材を見極める形でクリックしているに違いないのですが。

 彼らはきっと、「安心」はしていると思います。

 最近は麻薬や覚せい剤の問題が多くなりましたが、それでも日本の治安の良さ、もてなす態度は広く知られており、届いた商品が偽物や箱が空っぽ、という事例は恐らく相当低いと思われます。

 やはり今後はネットでの買い物が主流となり、僕も学ぶ必要があるのですが。
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