塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

オスカーワイルドが残した言葉から

2021-08-26 21:33:02 | 日記
 中野京子曰く、オスカー・ワイルドは
 
 「無垢なほど邪悪なものはない」

 と語ったそうです。

 (参考資料 欲望の名画 文春新書)

 今アフガニスタンやパキスタンなど、イスラム教でより原理主義的傾向が見られる国がありますが、彼らは自分たちの教えや生活環境こそが最適
(無垢)だからこそ、今の情勢に疑問を感じないのでしょうか。

 ただ異教徒である僕が言う事でも内面もありますがね。

 イングランド代表として欧州選手権2012を戦ったジャック・ウイルシェア。

 息子さんは彼に、「どうしてパパはチームがないの」と尋ねるそうです。

 ウイルシェアがアーセナルで花開く、と誰もが思っていましたが、喫煙問題だけでなく桁外れに故障が多い事(先天的なのか、後天的理由なのかはわかりませんが)のため、アーセナルを離れます。

 ボーンマスやウエストハムでもプレイしたウイルシェア。

 息子さんの「無垢」な気持ちから出た正直な「疑問」は、胸につかえたでしょうね。

 だからこそサッカーに限らずプロ競技は、お子さんに関心を抱いてほしい、また来場してほしい、親御さんにねだってほしいと感じてもらう工夫を怠らないでと思います。

 プレミア・リーグは入場者数の上限を撤廃したようですが、Jリーグはまだまだですよね。

 怪我は多いが戦力にはなる
 過去の問題を克服している

 というウイルシェアは、セルティックに在籍するジョー・ハートやPSVに移籍したマリオ・ゲッツエの事例は、大きなヒントになる気がします。

 例えばJ1のような大陸を飛び越えることは無理でも、しがらみを突破るために家族の了承を得て、海外に出向くことは必要かもしれません。

 ファンは老け込む年齢でも無い選手を厄介払いしたがりますが、それを超えるのもプロではないでしょうか。
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発表された日本代表選手を見て

2021-08-26 21:13:15 | 日記
 日本代表選手が明らかとなりました。

 五輪代表、とりわけオーバーエイジの3選手に久保、堂安、そして板倉と動き続けた選手たちも招集されています。

 移動距離や所属リーグ開幕までの日程の浅さを考慮すれば、もっと別の考え(例えばシンントトロイデンに在籍する選手たち、ベルギーは開幕が他国よりも早いためです)もあったように思いますが。

 代表選手たちの休暇の少なさは、毎年議題となりますが満足のいく解決策は見当たりません。

 アルセーヌ・ヴェンゲルは代表招集をかなり限定したうえで、ワールドカップ2年周期開催を提唱しました。

 現状では4年周期の方がメリットがあるように思えますが、どうでしょうか。

 ズヴォレに在籍する中山雄太も招集されていますが、彼はレフト・フルバックで起用されるのでしょうか。

 彼もこのポジションで生き抜く!という気持ちが芽生えていると良いのですが、ポリバレントというのは勝手な見方で、プロは本職で評価されるべきでしょう。

 GKのように動きようがないポジションはともかく、単なる「駒」として勝手に複数のポジションをあてがわれると、特に代表戦のようにテレビ中継はある、マスメディアは容赦しない中で、過緊張は起こりやすくなるでしょうしね。

 特にレフト・フルバックは、ジェノアに移籍すると目されている長友佑都が招集されていますが、所属先がない選手が仮に先発してしまうと、中山と佐々木翔の面子とやる気は一瞬で失われます。

 ぜひともオマーン戦は、この両選手が勇躍してほしいと思いますね。

 また、初招集やJ1で好調のサガンやヴィッセルから、選手が招集されてほしいものです。

 Fマリノスならば、その神戸移籍が囁かれましたが残留した仲川輝人。

 2019年MVPは、こんな形で終わるわけないですから。
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新型コロナウイルスのワクチン接種を予約しました

2021-08-26 15:00:36 | 日記
 先ほど、千曲市が設けたコールセンターに電話をして、新型コロナウイルスのワクチン接種の日取りが決定しました。

 開催したパラリンピックは無観客
 酸素ステーションの設置
 デルタ株とラムダ株という未知の存在

 など、考慮すべき事柄が多々ありますがね。

 Jリーグやプロ野球でも、フロントはいかに観戦時の感染を防ぐかを毎日模索しています。

 ただ、ガイドラインに設定されている「大声を出さない」「立ち上がららない」という啓もうは、プロサッカーやプロ野球における人間心理をつかめていません。

 先日の五輪サッカーと五輪野球もそうでしたが

 1・ゴールやホームランが生まれれば、ファンは大声をだしかねない
 2・同様に満塁やPKを与えた場合なども、ため息や失望の声がでてしまいがち
 3・そしてピンチが去った後の安堵感

 これらで声が出てしまうことは無意識、つまり自然の摂理であり、それが人間本来の姿である以上、スタジアムで観戦している際は難しいと思いますね。

 僕は勤務先のお達しとして

 1・越県をするな
 2・食事は自宅でも基本一人で食べるように
 3・大人数が集まる場所で楽しむな

 という約束事があるために、長野Uスタジアムで長野パルセイロの試合を2019年以降は1試合も観戦していません。

 同時に今年の正月以降、長野市にも一度も出かけていません。

 これまでの生活環境や概念が大きく変化していることに変わりはありませんが、僕は個人で動いていますし、そもそも行動範囲が狭いので極端な窮屈さを幸運にも感じてはいないのですが。

 選手たちのように移動が相次ぐ職業は特別でしょうが、だからこそ気のゆるみができないという窮屈さはあると思います。

 ただ、リーグが行えていることに感謝すべきなのでしょうね。
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僕が外国籍に抱く印象の中に

2021-08-26 01:17:39 | 日記
 近所の書店に米国のイラスト・レーター「ノーマン・ロックウエル」の画集が販売されています。

 僕は店頭でめくったにすぎませんが、書評を読むとロックウエルの画集に登場するのは白人しかおらず、黒人が住む形跡するない、というものがありました。

 大リーグでは背番号42のジャッキー・ロビンソンや、ホームランキングのハンク・アーロン、ニカラグア出身のロベルト・クレメンテなど、欠番やその名を知られる選手が大勢います。

 ただ、ロックウエルは単に自分の描く社会に黒人を排除しようとしたんではなく、彼の準環境に彼らがいなかっただけ、という事もあり得るとは思います。

 ただ、そのころから現在に至るまで解決を見ない「白人と黒人の断層」が見え隠れしているようにも思えます。

 難しいのは大スターであるカニエ・ウエストがミスター・トランプの政策に賛同した点で、黒人や収入が低い人物が全てミスター・トランプの手腕を懐疑していたわけではない点でしょうか。

 サッカーは英国から世界中に伝播し、特にブラジルでは黎明期から黒人もプレイしていたはずです。

 特にオーバーヘッドの元祖と言われる「レオニダス」という選手は、オールドファンでなくても知る方は多いでしょうし、ペレとガリンシャなくして1958年ワールドカップ優勝はなかったでしょう。

 1982年のワールドカップも語り草ですが、ジーコやファルカンが、ソクラテスやジュニオールと険悪だったという話は聞きませんし、黒人や僕たち黄色人種と白人たちに亀裂が走る理由は、もっと別にある気がします。

 僕たち日本人はその多くが小柄であり、肩幅があり背が高い諸外国の選手を見て、僕は特にそうなのですが

 「おっかないないなあ」
 「絡まれたりしたらどうしよう」

 と内心勝手に恐怖を抱いてしまうのです。

 サッカーやバスケットボールがプロ化し、幼少期から諸外国の方を触れ合う機会が増えれば、僕の持つ不安さを解消できるかもしれませんね。
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僕が思うサッカー選手の結婚

2021-08-26 01:06:03 | 日記
 イタリアにおけるカルチョは、フェラーリのF1参戦同様、常に大きな関心事です。

 従って選手も超一流、代表招集をうける存在になれば、交際相手も当然話題になります。

 イタリア代表の選手と交際相手をおおまかに分けますと

 1・ロベルト・バッジョのように幼少期から知る女性を妻にする
 2・ザニオーロに代表される、不特定多数の女性と交際していると指摘される
 3・多くの選手がここに当てはまると思いますが、選手として名声を得てから知り合った女性を妻にする

 の3点になるのではないでしょうか。

 欧州ではテニスや自転車競技、ラグビーの選手たちも花形ですが、サッカーとカルチョは誰もが興味を抱く人気スポーツです。

 歌手や女優など、その分野で名声を得た女性と交際発展することも珍しくはなく、だからこそバッジョのような結婚は、素朴に思えるからこそ感情に訴える気がしますね。

 僕は今、今日購入した新書(古本です)

 「あの戦争になぜ負けたのか」

 を読んでいます。

 ラグビー・ワールドカップもそうですが、サッカーにはこの戦争の影響が色濃く出ます。

 つまり、戦争はできないが競技における国家間の争いは甘受できる、ということで戦争の代替えとしての意味合いあります。

 塩野七生は「イタリアに住んでいる以上、サッカーを無視できない」と語っていたと思いますが、駐留外国籍の方は別に野球と大相撲を覚えなくてはならない、という感覚はないのではないでしょうか。

 逆にJリーグの試合を観て、自国リーグとの差や様々な意見を抱くことの方が大きいように思います。

 日本でもキングが設楽りさ子と結婚したあたりから、女優や歌手と交際する事例が多くなりました。

 それはサッカー選手が職業として認知されたという反面、アンチや私生活の乱れに直結しかねないというリスクも倍増したことを意味しますが。
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