塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思う、現在の日本代表選手

2021-08-22 21:32:29 | 日記
 森保監督はアジア最終予選、対オマーン戦に向けての選手選考をどうするつもりでしょうか。

 もし、「塚田盛彦代表監督」ならば、以下の点を考慮するのですが。

 1・オーバーエイジを含む五輪選手の登用は見送る、そして招集もしない
 2・海外リーグの選手たちは原則、リーグ戦に集中してもらう
 3・大迫のような、海外リーグからJ1に移籍したばかりの選手も招集外

 ます「1」ですが、バルセロナのペドリがわずか「2週間」の休暇を与えられたと聞きましたが、もっと休ませてあげればよいのにと思います。

 それくらい「くたびれている」でしょうし、日本五輪代表の選手たちも、既に移籍やリーグ戦出場と実にあわただしい世界で暮らしています。

 これらを考慮すれば、現段階で彼らを招集することは、日本代表にとってメリットはないと考えます。

 「2」がさらに難しく、ベルギーのように既に新シーズンが始まり、序盤戦を経過している国もあれば、スペインやイタリアのように、ようやく開幕というリーグもあります。

 これは欧州と一口にいっても、開幕と閉幕が各国によって異なるためで、シュミット・ダニエルや伊東純也のように、既にクラブで実績を評判を両立している選手を招集しても、それ以外の選手がリーグに専念させる

 これくらいの方が良いと思うのです。

 日本代表経験者である乾、岡崎、長友の3選手が新シーズンの契約先を見つけていません。

 彼らの実力は当然皆が招致していますが、彼らもまた対象外でしょうし、大迫や武藤、木下も同様です。

 そう考えますと、基本軸は

 1・J1上位のF・マリノス、フロンターレなどの選手を招集
 2・海外リーグの選手は既に身体が仕上がっている選手

 で構成されるべきではないでしょうか。

 森保監督がどう考えるか、当然楽しみではありますが。
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反抗する、という意味合い

2021-08-22 20:59:20 | 日記
 セルジオ越後が以前、こう語っていて「なるほど」と思いました。

 「ワールドカップ優勝国は、基本ローマン・カソリックの国から誕生している」

 確かに仏教国、イスラム教国から優勝国は誕生していませんね。

 カソリックの優勝国 ウルグアイ ブラジル アルゼンチン スペイン フランス イタリア
 プロテスタントの優勝国 イングランド ドイツ

 確かにカソリックが多いと判断できます。

 プロテスタントは中世のパンクロック、ヒップホップのようなもので、「プロテスト 抗議する」と意味合いを持ちます。

 聖職者は金儲けや権力に食らいつき、庶民の生活は一向によくならない、しかも聖書は聖職者だけが読める書物であり、彼らは庶民という下賤な存在は、聖書を理解できない(識字率の問題もありますが)と思っていたようですよ。

 なんだ、最近のFIFAと会長のブラッターやミッシェル・プラティニが絡んだとされる、汚職事件と何ら変わりはないかと思いますね。

 ブラジル ジョアン・アベランジェ
 アルゼンチン グロンドーナ
 韓国 チョン・モンジュン

 などが、ワールドカップ招致を餌に、甘い汁を吸ってきたと囁かれています。

 それに対抗したのがマラドーナやロマーリオであり、現在のFIFA会長のインファンティノになるのでしょうか。

 これらを考慮すると、日本の岡野俊一郎や長沼健のような存在は、権力を目指す人物が圧倒的に多いであろう国際サッカーの中では、無垢でバカの様にように見えたかもしれません。

 ただ、歩む道としては「真っ当」だったように感じます。

 だからこそデトマール・クラマーやハンス・オフトという指揮官が日本滞在を決意し、強化に励んだと感じるのはやぶさかではないと感じます。
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サッカーが世界に伝播している理由

2021-08-22 20:46:56 | 日記
 諸外国の風景はわかりません。

 ただ日本の(少年、少女)野球には僕が勝手に名付けた「ジャイアン・シンドローム」があると思います。

 僕の幼少期も現在同様、ドラえもんは日本を代表するアニメ作品であり、テレビ朝日の看板でした。

 今はどうかわかりませんが、当時はよく野球の場面が出てきまして、ジャイアンは必ず(民主主義はないのですね)必ず投手を務め、同時に

 「のび太、お前がエラーしたから負けたんだ!!」
 「お前のせいだぞ!!」

 と敗戦をすべてのび太のという「弱者」に突き付けます。

 自分がどういう投球をしたのか、そもそも自分がどうしていつも投手をするのか、そこらへんは一切触れることはなく、同時にのび太を庇う、ジャイアンに訴える友人は誰もいません。

 だって殴られるから
 発言すること自体が無駄、だって聞かないから
 ならば怒りの矛先をのび太にしむけて、自分たちは安全地代にいようかな

 当時も今も、僕はそう思います。

 僕は野球をプレイすることは今も昔も「大嫌い」ですが、それはのび太同様、ミスをすると周囲からバカ扱いされたから、叱責されてすこぶる居心地の悪さを感じてきたからになりません。

 僕はある種「人権」に抵触(大袈裟でしょうがね)するとすら思いますが、人が人を簡単に「バカ」とののしってはいけないと思いますよ。

 内心はどう思うかわかりませんがね。

 野球が巧な方は、周囲からエラーをしてもミスを指摘も追及もされず、甘い環境にいた、だから僕のような下手が漠然とした不安を抱えていることを考えることすらないのでしょう。

 野球が著しく盛んな地域が偏っているのは、このような強者の論理がまかり通っているためではないでしょうか。

 サッカーが世界中に伝播しているのは、人にやさしいからだと思うときがあります。

 退場者が出るかもしれない
 そもそも黎明期はけが人が出ても、交代枠すら存在しないため、数的不利の形で試合をした
 荒天、曇天など気象条件にも左右され、本革の靴、羊毛のジャージは濡れると重くなり快適から遠くなる

 など、様々な条件の中でサッカーは発展してきました。

 そこには大空翼が宣言した「ボールは友達、怖くないよ」という、人間と競技への敬意があると思います。

 僕は幼少期、サッカーは下手でも本当に楽しめましたよ。

 ミスをしても誰も責めませんし、野球でエラーや三振しても庇ってくれる大人、仲間が一人もいなかったことだけは確かで、これも記憶は鮮明です。
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