塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー界のゲームチェンジャーとは何者か

2022-01-02 21:38:23 | 日記
 購入したばかりですので読んでいませんが、光文社新書から「バンクシー・アートテロリスト」という書籍が出版されています。

 テロリストを仮に「無差別殺人者」「戦争で儲けを得ようする人物」と定義するならば、世間が騒然といます。

 しかし、テロリストを「ゲーム・チェンジャー」「従来の価値観を新しい価値観へと変貌させる」と訳すならば、その印象は大きく変化します。

 僕はバンクシーの資料は、この新書を含めて4冊目になりますが、バンクシーはテロリスト、絵画を用いて議論を起こさせはしますが、確信犯的に政治とは何かを訴える存在だと思います。

 僕が記すならば

 「アート・オブ・ゲームチェンジャー」

 という形うでしょうか。

 バンクシーは英国ブリストルに生まれていますが、英国というのは

 1960年代 ビートルズ、ローリング・ストーンズ
 1970年代 セックス・ピストルズ ボブ・マーリー
 1980年代 カルチャー・クラブ

 など、ロック、レゲエ、パンク・ロックにネオ・ロマンティックなど多種多様な音楽と人間性を生み出してきました。

 ブラーはチェルシー
 ストーン・ローゼス マンチェスター・ユナイテッド
 オアシス マンチェスター・シティ

 といいように、音楽関係者が贔屓のプレミア・クラブを持つことはよく知られていますが、彼らも前任者たちがいなければ、デビューにはもっと苦労したかもしれませんね。

 ゲームチェンジャーの代名詞といえば

 フランク・ライカールト オランダ代表
 イゴール・シャリモフ ロシア代表

 に代表される、攻撃と守備、どちらにも秀でた能力を持つ稀有な存在が考えれます。

 1990年代前半まで、サッカー用語として「オフェンシブ・ハーフ」「ディフェンシブ・ハーフ」と呼ばれる選手たちがいましたが、両選手はセンター・ミッドフィルダーとして、フィジカル・コンタクトをボールの扱い、いずれにも長けていたことは特筆できます。

 だからこそ時代の節目に登場する選手たちに僕たちは魅了されるのでしょうし、今後も新しい価値観の選手はきっと登場するはずです。
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ある種の理想像は捨て去るべきか

2022-01-02 21:21:51 | 日記
 ジェームズ・ボンドは忘れるべき存在でしょうか。

 この場合は映画としてのジェームズ・ボンドという意味ではなく、ショーン・コネリーを起用した初期のジェームズ・ボンドが描いた姿

 「男性とはこういう存在なのだ」
 「酒に強く、賭けに勝ち、高級車の運転が巧で女と寝たらすぐに惚れる」

 という、マシュクリン、マッチョ、男性的という意味合いの「虚像・虚構」という意味合いです。

 僕は鑑賞したことがないのですが、ダニエル・クレイグが演じる現在のジェームズ・ボンドは、大変評判が良いと聞きました。

 それはジェームズ・ボンドを演じた前任者たち、コネリーからピアース・ブロスナンまでの完全無欠な形ではなく

 人間ジェームズ・ボンドが抱える苦悩
 人間ジェームス・ボンドが見せる表情

 など、鑑賞者に近い形で脚本が進むためと聞きました。

 そう、完璧な人間などいませんし、サッカーならばペレですら与えれたすべてのPKを決めているわけではないでしょう。

 でも忘れるべきではない事柄はサッカーにはあると思いますよ。

 例えば1978年と79年のUEFAチャンピオンズ・カップを2連覇したノッティンガム・フォレスト。

 指揮官のブライアン・クライフは過去、日本ではプレミア・シップマガジンとして翻訳が刊行されていた専門誌「4-4-2」でコラムを掲載するほど、優れた洞察力の持ち主でした。

 だからこそ。アヤックス・アムステルダムやバイエルン・ミュンヘンが優勝した1970年に、大きな栄光をもたらしたのでしょうが、クラフ自体は恐らく日本風に例えるとすれば

 「昭和の典型的な男」
 「女は男の後ろに引っ込んでいろ」

 という考えだったかもしれません。

 つまり、彼の方法論は70年代にが合致しましたが、2020年の現在ではそうではないと思います。

 だからこそクラブの栄光と指揮官が抱くある種の思想は、切り離して学ぶべきかもしれません。
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アウディ、白い巨人との契約を終了か

2022-01-02 21:11:19 | 日記
 レアル・マドリードは現在、ふたつのドイツ企業とスポンサー契約を交わしています。

 公式スーツ ウーゴ・ボス
 公式車 アウディ

 そのアウディはレアル・マドリードとの契約を更新しないと既に通達しているとされ、事実であればレアル・マドリードは新しいスポンサーを探す必要があります。

 日本車 トヨタ、日産自動車
 フランス車 プジョー、シトロエン
 イタリア車 フェラーリ、フィアット
 米国車 リンカーン、シボレー

 車好きではなくとも、車のブランドとその出征国は何となく閃くものですが、スペインに車産業があるのか、と思うほそスペインでは自動車産業が発達していないように感じます。

 だからこそ、アウディという外資との契約を結んだのでしょうね。

 では欧州で最も知られたサッカーブランドが、新規契約を結ぶとすればどこになるのでしょうか。

 案外「テスラ」という電気自動車の旗頭があるかもしれません。

 テスラは既にトヨタ自動車を上回る存在感があるともいわれ、創業者のイーロン・マスクも知られた存在ですね。

 実はアウディは。レアル・マドリードを含むプロサッカーのサポートよりも、自社で立ち上げたレーシング・チームの方に資金を投入すると言います。

 ならば同じくレースで自社の価値観を示してきたトヨタや本田、そしてフェラーリのようなフォーミュラー1の老舗も、レアル・マドリードが現在「宙ぶらりん」になったとしても、好機到来とは思わないものでしょうか。

 トヨタ バレンシア フィオレンティーナ
 スバル コベントリー・シティ
 横浜タイヤ チェルシー

 というように、日本の自動車産業が欧州サッカーを支えてきた時代は過去、間違いなく存在しました。

 ただ、現状は「現状維持が最適」と思うように感じますし、今は水素なのか電気なのか、はたまたハイブリットなのかという、分かれ道の時期でもありますしね。
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容姿端麗はアドバンテージでしょうか

2022-01-02 20:59:59 | 日記
 日本の音楽界に「ヴィジュアル系」という言葉が登場したのはいつごろでしょうか。

 X(現在のXジャパン」やバクチクが登場した1980年代後半からその兆しは見えていたと思います。

 その後続く「シャズナ」や「ルナシー」もそうですが、ファンや関係者はCDを買う、有線放送を聴くという楽曲の前に、彼らの衣装や髪形にまず驚き

 彼らは何者だろう
 ド派手な格好だな」

 と感じました。

 しかし歌詞が与える強い印象、楽曲の良さ、ボーカルの力強い声など、見た目と音楽そのものが正比例していたからこそ、見掛け倒しにはなりませんでした。

 サッカーでも10代後半の若い世代が素晴らしい活躍を見せ、同時に見た目が麗しければ、それだけでマスメディアから恰好の標的となります。

 マルティン・ウーデゴール ノルウエー代表
 内田篤人 日本代表

 はその代表例かと思いますが、自身の体調管理、戦術把握能力、怪我の状況からプレイなどサッカーという職業、自分の根幹についてマスメディアに答弁することは、納得していたと思います。

 しかし、この10代という多感な時期に

 「外見だけの選手」
 「見た目が良くてもプレイが軽い」

 など、自分の容姿でまず批判されるのは、心底アンフェアだと感じたに違いありません。

 ただ、全盛期のデイビット・ベッカムように、容姿端麗でありマンチェスター・ユナイテッドという老舗の先発選手という存在は

 「関心のない人物を呼びせ寄せられる、便りになる存在」
 「彼のファンが増加し、その中の何パーセントかは本当にサッカーという競技から離れない」

 という側面はあると思いますよ。

 ただ、外見だけを取材されることを好まない選手の方が多いでしょうし、まずプロである以上質問はプレイ、練習など彼らの努力に向けてが基本、であることは当然です。
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