塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ハリー・ケイン、代表通算50得点に到達

2022-06-08 20:24:23 | 日記
 イングランド代表では長らく、ボビー・チャールトンが持つ代表49得点の記録が破られませんでした。

 周囲は1986年ワールドカップ得点王、ギャリー・リネカーがチャールトンの記録を破るに違いないと感じていましたが、リネカーは48得点で代表を退き、更新したのはマンチェスター・ユナイテッドのウエイン・ルーニーでした。

 ただ、当時の指揮官であるアレックス・ファーガソンは、29歳前後でルーニーは一気に衰えると既に見抜いていたと言います。

 ファーガソンは若き日のロナウドもルーニーもつぶさに感じていましたが、前者が常に飲料と食材に注意し、羽目を外さないように注意していたにもかかわらず、後者はコリーン夫人との喧噪も含めて、節制という言葉からは離れた生活でした。

 今「フットボール・チャンネル」において、トテナム・スパーズのハリー・ケインが

 「ハリー・ケインが代表70試合で50得点とハイペースでゴールを量産」
 「ルーニーの持つ代表通算53得点を更新」

 と掲載しているのですが、仮にルーニーがロナウドのような性格であれば、もっと代表で得点できたでしょうか。

 ケインはスパーズで未だ無冠ですが、ルーニーはユナイテッドで多くのトロフィーと抱き合いました。

 しかしケインにはルーニーにはない、ワールドカップ得点王(2018年ワールドカップ、6得点)という勲章を所持し、彼の代表通算得点を更新することは間違いないはずです。

 ただ、ルーニーも自分に節制する気が現役時代無かったことは、引退した今でも考えているでしょうし、その点で後悔はしていないと思いますよ。

 節制するならば若くして引退しても良い、その考え方がウエイン・ルーニーらしいと言えばそれまでなのですが。

 Jリーグに移籍した外国籍選手たちが、日本の食生活をどう思うのか尋ねてみたいですね。
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吉田麻也が語った長距離移動について

2022-06-08 20:07:29 | 日記
 今日は非番で一日自宅で過ごし、夕食前に昼寝をすることができました。

 日本代表の主将、吉田麻也がこの4年間で何と、地球8周分に匹敵する飛行機移動を繰り返してきたことを公表し、自身を含むアジア出身選手が欧州でプレイすす増加傾向にもっとAFCは注意を払ってほしいと促しました。

 ただ吉田の見解に関して、AFCは回答をしないのですが。

 飛行機搭乗はおろかパスポートの申請すらしたことがない僕からみても、時差の克服を含む移動がもたらす身体への負担は相当な事だとは想像がつきます。

 かつてセザール・サンパイオとドウンガ、ふたりのブラジル代表がJ1(横浜フリューゲルスとジュビロ磐田)に在籍していた際も、ワールドカップ予選で代表招集を受けた際、この長距離移動に耐えていました。

 米国、恐らくフロリダなのでしょうがここまで移動し、ここからブラジル、もしくは他の国に降り立ち、試合をして再度日本に戻ってくる。

 ブラジル代表選手たちが日本や韓国を移籍先に選ばないのは、当然欧州の方がレベルが高く、最高峰の舞台であるUEFAチャンピオンズ・リーグがあるわけですが、この物理的問題を解決することが出来ないこともあると思います。

 浦和レッドダイヤモンズは今季「元」スウエーデン代表のダヴィド・モーベルグをスパルタ・プラハから獲得しました。

 つまり、代表での責務を終えた実力者であるならば、欧州への移動が回避でき同時にクラブに戦力として還元可能、というのが西野努GMの判断だったように感じます。

 彼はウーベ・バイン、バジール・ボリ、そしてギド・ブッフバルトと共にプレイしましたから、外国籍選手の与える甚大は影響を誰よりも痛感しているでしょうし、西野GMに限らずJ1のGMは、子の外国籍問題に今後も直面するのでしょうが。
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GKがMVPに輝く時

2022-06-08 13:01:20 | 日記
 2006年の欧州最優秀選手は、イタリア代表のファビオ・カンナバーロが受賞しました。

 この年イタリア代表がワールドカップで優勝しましたから、受賞者は彼らの中から選出されるであろう声は当初から挙がっていました。

 その一方で受賞はファビオ・カンナバーロではなく、GKのジャンルイジ・ブフォンがすべきとの声も挙がっていました。

 そう、仮にブフォンが受賞すれば、レフ・ヤシン以来の受賞であり、それは本当の名誉なことではあったのですが、

 (カンナバーロの受賞は、1996年のマティアス・ザマー以来の出来事であり、以後守備の選手が受賞しておらず、彼の功績も本当に素晴らしい事ですが)

 一方、今季初のプロ発足となったWEリーグ。

 栄えある初代最優秀選手には「GK」の山下杏也加が受賞しました。

 受賞した本人も驚いたように、サッカーでは受賞の多くが守備陣ではなく攻撃陣ですよね。

 ですからWEリーグの決断、つまり

 攻撃、守備を問わず本当に素晴らしい活躍をした選手が受賞する
 ファンが感銘を受けたプレイに、攻撃も守備もない
 クラブの多くの勝利をもたらす存在

 を考慮した、その意味合いが伝わってきます。

 ジャンルイジ・ブフォンはパリ・サンジェルマンでUEFAチャンピオンズ・リーグの優勝を目指し、再度ユヴェントスに加入し、現在はパルマに在籍しています。

 駆け出しのクラブに復帰しても、ファンからは

 「あいつは俺たちを裏切り、移籍した」
 「応援する義理はない」

 と突き放されるも、その存在価値が薄れることはありません。

 カタール・ワールドカップでもGKの存在感が大きいドイツ代表は、やはり全世界から注目を集め、その中には当然僕らが混じっているわけです。
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監督交代という決断について

2022-06-08 12:35:10 | 日記
 LAエンゼルス・オブ・アナハイムは、指揮官のジョー・マドンを解任しました。

 サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールド・シリーズに勝利し、念願の世界一に輝いたのは丁度20年前の2002年でした。

 日本では韓日ワールドカップでファンが熱狂する中、エンゼルスのファンも大きな興奮に包まれていたことになります。

 しかし、以後はワールド・シリーズに進むことはおろか、ポスト・シーズンも逃すことが多く、マスメディアからは大谷翔平とマイク・トラウトがこのままでは、チームとの契約を更新しなくなるとの声も挙がっていました。

 サッカー選手の多くが移籍先に

 「UEFAチャンピオンズ・リーグの出場権」
 「レベルの高いリーグ」

 を求めることと同様、大リーグでは当然ワールド・シリーズとポスト・シーズンが、移籍先の大きな魅力になりますから。

 サッカーとは異なり野球はシーズンが長い、つまり連敗を連勝で覆すことが出来る一方、どんなに敗北が増えても指揮官の交代はそうありません。

 日本でも今季、阪神タイガースが序盤戦から黒星が多く、戦績が一向に上昇しないことが話題でしたが、それでも監督の交代とはなりませんでした。

 では阪神タイガース首脳陣は、ジョー・マドンを解任し他のチームに移籍したならば、当然脅威になるであろうチームの主力を残留させるために動いたエンゼルスの行動をどのように感じるのでしょうか、(チーム数とプレイオフが大きく異なることも確かですが)

 一説によると阪神タイガースのファンは、むしろ優勝しないでほしいと願うと聞きました。
 
 「今年も勝てないねえ」
 「俺たちの駄目トラ」

 と愚痴をこぼしながら、皆で酒を飲むことの方がむしろ楽しくて仕方ないというらしいですが、それがプロの矜持ではないですね。

 サッカーでも清水エスパルスがヴィッセル神戸に続き監督交代に踏み切りましたが、監督交代が多いことはある意味サッカーという競技の特色と言えます。
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ゴールデンシューという名のトロフィーより

2022-06-08 12:24:12 | 日記
 「お似合いの靴をもらえれば、女の子は世界を征服することだってできる」

 この言葉はマリリン・モンローが残した言葉だそうで、先日購入した「スニーカーの文化史348ページ」から引用しています。

 ですからサッカーの世界においても、得点王は高く評価され「ゴールデン・シュー」という靴の形をしたトロフィーが授けられるわけですね。

 その得点王でも未来が暗いこともあります。

 ポーランド代表のロベルト・レヴァンドフスキは

 「FCバイエルンとの契約は更新しない」
 「移籍先はFCバルセロナだけで、彼らの話しか聞かない」

 と述べていますが、既にクラブと彼の間に大きな溝が生じており、下手をすればオリー・カーンが指揮官のナーゲルスマンに、仮に移籍交渉が決裂してこのポーランド代表が残留したとしても、使うなと圧力をかけるかもしれません。

 契約解除金なしで獲得した選手が、ここまで大きな足跡を残したのだから、その恩義に報いればよいのにと思うのが、僕がアマチュアだからでしょうか。

 1994年米国ワールドカップ、期待されずに出場した「ロシア」代表の中で、いきなり注目を集めたのがオレグ・サレンコでした。

 ロシア代表はイーゴリ・シャリモフは主力が出場せず、同時にブラジル代表とカメルーン代表、スウエーデン代表と同組となり、戦前から苦戦が予想されていました。

 そのサレンコはカメルーン戦において

 「彼一人で5億点」
 「ブルガリア代表のフリスト。ストイチコフと並び、大会得点王」

 となりますが、正直このワールドカップ以後の戦績を耳にしたことがありません。

 ストイチコフもFCバルセロナからパルマに移籍し、日本では柏レイソルでプレイし、1994年の欧州最優秀選手に輝きました。

 この3例から見ても、得点王の勲章が必ずしもキャリアに大きな形跡を残さないというのは、正直「酷」だなと感じる次第です。
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