スポーツナビのような専門媒体を閲覧しますと、森保一日本代表監督は首脳陣たちと最後まで大迫勇也の招集をどうすべきか考え続けた様子です。
2006年日本代表監督ジーコは最後の23名で「マキ」と伝え、詰めかけた報道陣から「おおっ」というどよめきが起きました。
一方でジーコも巻誠一郎という代表選手としての経験値と能力は、久保竜彦にかなわないが健康体である、一方の久保は体調さえ万全で故障の心配さえなければ、という葛藤の中で巻を選んだのは、仮に久保を選択した際、むしろ22選手で戦うようなもの、と考えたためでしょうね。
ただ実際、背番号10の中村俊輔も発熱で体調は最悪であり、初戦のオーストラリアの3-4-3とかみ合わせの悪い3-4-1-2では、最終ラインを上げる力さえ終盤残っていなかったわけですが。
ですからフィリップ・トルシエが語った
中村を外す決断は簡単だった
秋田と中山はまとめ役として選出を決めた
という発言は、むしろ(今思うと)代表監督として葛藤、思考、悩みなどにはつながらなかったのかと思うと、愕然としますよね。
もちろん2002年のイタリア代表のように、ロベルト・バッジョを招集するかどうかで世論が分かれた際、すべての責任を背負い代表を構成する代表監督も、常にその質問が送られいら立ちを感じることもあるでしょう。
ただどの国でも
ファンが完全に希望する人選は存在しない
だからこそ選出された選手には、重圧も責任も喜びも与えられる
一方で敗れた瞬間、容赦のない罵声が飛ぶ
ことになるわけです。
人権侵害のような大きな批判はともかく、日本代表はカナダ代表との対戦を経て、カタールでドイツ代表をまず迎えますね。