イタリアならばパントフォラドーロ
オーストラリアならばコンケーブ
日本ならばアドラー
ワールドカップ2022が開催されいる現在、多くの企業が色気や儲けを気にする中、上記のブランドは感情を揺らされることなく、ただただ良い商品を生むためだけに生きているように見えます。
この考えは尊いとも思えますし、ある意味禅僧のような考えかもしれません。
基本ストリートや部活選手、アマチュアも含めて選手の声を聴きたい、契約選手がワールドカップや夏季五輪で勝つ姿を見たいと思うのがブランドの本心ではないでしょうか。
ただ上記の3企業が多くの契約選手を抱えているわけではなく、むしろ
良い商品を生むこと
その良さがわかってくれる人物がいてくれればそれでよい
彼らのためにまた商品を生む
という企業理念の下で生きているように見えるんですね。
彼らがナイキのような刺激的なコマーシャルを生むわけではなく、アディダスのように〇〇パックを発売するわけでなく、ミズノのように新作アルファをワールドカップ前に発売する。
というような生き急いでいるわけではありません。
朴訥とただ丁寧に丹精込めてスパイクを1足手がけること。
こんな企業があってもよいのではないか、大量生産と逆の形があってもよいという姿に魅せられている方、案外おおいのかもしれませんね。